わかおの日記21
太平洋戦争がテーマの映画や、当時の資料を見たりするのが好きだ。もちろん歴史についてそこまで詳しいわけでもないし、右翼なわけでもない(野球でライトを守ったことは何回かある)。ただ、そういうものを見ていると、なんだか心の深いところが揺さぶられるような気がするのだ。
京都に行った際に、下鴨古本まつりで購入したのは、「小説の書き方」だけではない。500円ほどで売られていた、昔の雑誌も買ったのだ。刊行年は昭和18年、すなわち1943年だ。太平洋戦争において日本がだいぶ追い込まれていたころである。表紙には、戦闘機の前で神妙な面持ちをしている日本兵が写っている。そして表紙の裏には、露骨すぎるほどのプロパガンダが、でかでかと書かれている。「時の立礼」と題された詩で、「是が非でも勝たねばならない」という1文から始まり、長々と国威発揚の文言が続いた後、「これが神州日本の真骨頂だ」という強烈なパンチラインで締めくくられている。ぼくはこの詩を読んだとき、何とも言えない複雑な感情に襲われた。
ぼくはたぶん、人生で一度も、「是が非でも勝たねばならない」というような気持ちで勝負をしたことはない。野球の試合でも「4点差以内で負けるぶんには実質勝ち」という自分ルールをすべての試合に適用してきたし(そのルールを適用したとしても、負けになる試合のほうが多かったが)、受験だって「落ちたら落ちたで仕方ないなあ」と思いながら勉強していた。
この時代に生きた人たちの必死さというか、死に物狂いの感じは、ぼくにはないよなあ、と思った。もちろん戦争はよくないことだし、ぼくがこうしてのうのうと生きていけるのは、平和な世の中のおかげである。けれども、この時代の人たちの一生懸命さには、見習うべきところがあるように思えてならないのだ。
どうしてこういう話をしているかというと、今日はネットフリックスで、太平洋戦争のドキュメンタリー番組を見たからである。アメリカ制作のものであるが、非常に中立的な構成になっていてとてもよかった。久々に勉強になるようなものを見た気がする。
ぼくも先人を見習って、「是が非でも勝たねばならない」という気持ちで生きてゆきたいものである。
追伸 中1の時はじめて「火垂るの墓」を見て、悲しすぎて寝られなくなったことがあります。