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おかねってなんだろう・≦・

お金について考えたこと、ありますか。ありますよね。

普通に生きていれば逃れられないものですもんね。

じゃあ、お金の使い方について考えたことありますか?
お金が自分の手元から離れたその先を、考えたことがありますか?

お金はモノやサービスに姿を変えて終わり、ではないんですよね。

モノやサービスの向こう側にちゃんと届いて、また姿を変えて働きます。

それは延々と続きます。ぐるぐるぐるぐる。


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わらしべ長者をご存じですか?

最初は3本の藁しか持ってなかった男が、物々交換を続けていった末に長者になるお話です。

これは物々交換の話ではありますが、お金の世界でも「ありえる」話です。

お金は人によって価値が違います。
額面=価値ではありません。

人によって、シチュエーションによって、物によって、高くなったり安くなったりします。

お金を余らせてる人にとっての10,000円と、本当に困ってる人の10,000円は重みが違います。

使われ方もきっと違います。

10,000円を洋服に払った人、ゲームに払った人、飲食に払った人、旅行に払った人。

例えばですけど、

飲み過ぎたー!終電逃したー!でいつも通りタクシー使った人
と、
我が子の出産に間に合うようにハラハラドキドキしながら産婦人科までタクシー使った人

同じ額でも重みが違いますよね。

「なんか知らないうちに消えてしまった10,000円」と「絶対に忘れられない使い方をした10,000円」と、どちらの使い方をしたいですか?


お金ってなんだろう?

私は、お金って誰かを笑顔にする手段だと思っています。というより、「思いたい」が正しいかも。

お金の側面の一つとして。

誰かっていうのは家族とか友人とかでもいいんですが、もっともっと遠く、見えないところの誰かを笑顔にさせられる手段の一つがお金だと思ってます。

実際は自分のためにお菓子とかビールも買います。買わせていただいてます。

お菓子もビールも一瞬で消えます。

これも私は肯定派です。

お菓子やビールがどれだけ世の中に笑顔をもたらしたか。笑顔に消えるお金は大あり。「もったいない!」と思わなければいいんです。

でもでも、理想形としては誰か、もっと広い世の中のために使いたい。消費とは別枠で、ちゃんと貢献というか、広い意味で生産活動に参加できる部分が欲しい。

手元の10,000円がもっともっと大きな価値あるものに姿を変えたら良くないですか。

それが投資とか寄付だと思うんですよね。世の中に価値を生み出す過程に投じるイメージ。

対モノやサービス以外にそういう使い方もあるよね、ってもっと身近に、もっと敷居低く、もっとカジュアルに感じられたらいいな。

だから私は投資も寄付も10年以上続けてきました。

これからももちろん。

そこらへんの話をぼちぼちゆっくりしていけたら、と思います。

最後までお読みいただきありがとうございました・<・

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