私の人生初「女の子の日」
はじめに
※一部不快な表現がございますのでご了承の上お読みください。
前述の記事で私の初潮に触れたが、実際のエピソードはお祝いムードの心温まるだけの物語ではなかった。
初潮についてのエピソードを他の女子と話したことはないので、皆がどのようにしてそれが女性機能の始まりだと気づくのかは知らないので、あくまで私の話しとして書くこととする。
しかし、なぜ初めての潮なのだ。
やばい!漏らした!
たしか、夏休みのことだった。テレビで「タッチ」の再放送を見ていたと思う。
小学生の頃は夏の甲子園とタッチの再放送を見て、そこからそそくさ遊びに行くというのを夏休みの日課にしていた。
私は幼稚園に上がる前から毎日外に遊びに行くのを日課としていたらしい。
しかし、その日は行けなかった。事情が変わった。
テレビを見終えて身支度を整える一貫で、用を足すためトイレにいきパンツを下ろすと、そこには茶色い染みがついていた。
当時の私には、人体から漏れ出る茶色い染みについての知識はアレしかない。
そうだ。ウンコを漏らしたのだと慌てた。
しかも肛門は無反応だったのだから大事件である。
「便意なく通過してきやがった!!」と本気で思ったのだ。
そうなると遊びに出た先で大量失禁する可能性だって否定出来ないのだから、悠長に外に出ている場合ではない。
まだ小学生だった私はこういう場合の対処方法がまだわからず困ったので、すぐに誰かに相談しようと思い付いた。
おもむろに近くにいた兄を見た。
しかしこやつに言った日には、盛大に笑いのネタとして回りに言い触らされるのは目に見えているので、何の解決もしないどころか、恥辱を受けて得なことなど一つもない。あるとすれば私の一生の恥と引き換えに回りが一時笑い転げられるぐらいで費用対効果のバランスが崩壊している。
頼みの母はパートに出ていた。
母からは、何かあったら電話しなさいと職場の電話番号を聞いていたのを思い出した。
兄にばれる前に!!
母に電話をかけるかは正直迷った。
電話していいと言ってはくれたが、母は仕事中なのだから、やたらめったら電話をしていいわけではない。
悶々とすること数秒のうち、兄のアホ面を一瞥し、こいつにウンコ漏らしが発覚したら人生が終わると強く確信した。
私が外にいかないことなどよっぽど何か無いと起こらないことだ。
勘がいいかは別として異変くらいは気づくだろう。
因みに、兄弟ともにアホだ。似た者兄弟で妹が小学生2年生にして地面から自宅の2階までよじ登る猿なら、その兄は園児の時代には2階から地上へ飛んで捻挫をして「着地した場所が悪かった」とヘラヘラ笑っている猫のようなバカだ。
この兄弟において、こんなセンシティブな事情が理解できるようになるのはもっとずっと先のことだ。
とにかく、こいつにばれる前に事態を終息せねばならない。
女性の大先輩は「お母さん」
意を決して母に電話し事情を説明した。
母から「本当にうんち?パンツの臭い嗅いだ?」と聞かれた。
「茶色いからウンコじゃないの?」と私。
「うんちだったら絶対臭いがあるからかいでみて」と。
電話をしながらパンツを嗅ぐと便の臭いはまったくしなかった。
それは逆に私の想像を超えた事態が発覚していることを示唆するのでお手上げとなった。
「臭くないよ。何これ?」と慌てる私。
「あー、生理が始まったんだね。きっと。」と母。
「女の子は皆来るから心配ないよ」とナプキンのありかを教えてくれたが、今では当たり前にしている開封方法も取り付け方法もわからない。
適当に着けようとしたところ母から初潮を迎えた女の子のための小冊子があるからと、そのありかとそれをお手本に見るように言われた。
夕方になると、朝に便だと勘違いしたものは血液の色を帯びて「生理」が確定した。
女の子が秘密にしないといけないこと
その晩、私は鼻を高くした。
兄の好物の赤飯を私が初潮を迎えたことをきっかけに食べる機会を与えられたのだから「私のおかげだからな」と言って、すでに朝のお漏らし発覚をビビっていたことなどケロッと忘れていた。
因みに、私と兄の喧嘩は食べ物絡みが一番多かった。
それ以外のことについて悩む力もなかったので問題ならなかったように記憶している。
しかし、その日を境に私の野生児ライフが一変する。
私はその時もソフトボールをしていて、最終学年時のポジションはキャッチャーをしていた。地区大会で優勝して県大会に行くようなチームだった。
そして私の後輩は全国レベルまで登りつめた。
だけど、私の代は最後の夏の大会でプロテクターでフル装備してたためか、暑さにうかされてて頭がぼんやりしていたためか正常な判断ができなくなっていて、私が三塁走者が居ることを忘れて、バントのピッチャーゴロを1塁に送球するという凡ミスで失点し呆気なく負けた。
それは、なんであんな痛恨のミスしちゃったのか自分でも何度考えても答えが出ないくらいのあり得ないミスだった。
悔やまれて悔やまれてしばらく落ち込んで、皆に会わせる顔がなかった。
今思い返せば、その夏の試合の正常な判断を失わせた要因の一つは「生理」だった。
俊足でショートを守っていた子に「春子!!生理って堂々と言うことじゃないんだからね。ナプキンも手に持ってないでポーチに入れて隠すかポケットにしまいな」と、姉妹しかいない彼女からは「女性」のありかたについてよくありがたく指南を受けていたし、ちょうどそんな会話したのがその日だった。
そのときも「へーそういうもんなんだ」と何も考えず素直に行動をなおした。
回りの女子からは「あー春子には、まだわからないよねー」という扱いの安定の野生児ポジションを築いていた。
健康優良児(皆勤賞が売り)だった私が体調不良を初めて経験したのも思えば「生理」だった。
ソフトボールの練習に行く途中、自転車をこぎながら貧血で失神してみたり、とにかく生理は私にとって自分のアイデンティティを揺るがす厄介な敵のような面倒な存在となる。
しかも「生理」って理由を口にすることも「エチケット」という名の暗黙の禁止だったので、説明することすら憚られた。
じゃあ、突然の体調の変化を「生理」ってワードを使わずにどうやって説明すりゃいいのか。
「朝ご飯食べなかった」と嘘をつくか、「あんまり眠れなかった」と嘘つくか。
私は生まれてこのかた、毎日、毎晩、もりもり食べて、ぐっすり眠って生きてきたのに。
今の私にはよくわからないが当時の私には女の子でいる限り得はしない妙なプライドがあったので大変屈辱的な体験だった。
しっかり母性看護で女性の体について勉強した今なら、ホルモンバランスがまだ不安定な時期だからこういうことも起こり得るとわかるんだけど、当時は健康優良児が売りで失神どころか体がダルくなることも全くの想定外だったし「この...私が倒れるなんて!!」と恥ずかしくてたまらなかった。
私のせいじゃなくて「生理」という変な現象のせいなの!!と。
これは、真っ直ぐしか歩けない娘が、初めて社会から口を塞がれたという出来事だった。
このときだって、私はなぜ「生理」である事実や「ナプキン」を隠さないといけないのか理解していなかった。
女性皆にほぼ平等に毎月訪れる現象なのに。
ただ、「エチケット」という体のいい言葉で自分を丸め込めただけだった。
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