菜の花

アラフォー独女がこれまでに遭遇、経験した「男難」「女難」から、人間の可笑しさ、滑稽さを…

菜の花

アラフォー独女がこれまでに遭遇、経験した「男難」「女難」から、人間の可笑しさ、滑稽さを書き連ねる自伝回顧録。 そこから見える人間てなんだ?というテーマを考える。

最近の記事

思春期とエロの功罪

ボンバーヘッド セクハラ事件の後、勢いで髪の毛をショートカットにした。 その時は、気分の変化ぐらいにしか受け止めていなかったし、内田有紀のブームだったこともあって真似したかったのだろうと思ったが、今更その出来事との関連性について振り返ると私が人生でショートカットにしたのはその時以外に無いのでそれなりに思うところはあったのだろう。 なぜ、ショートにしないかは毛量が多すぎるのと、超直毛なのでショートにすると大惨事になることをそのときに思いしった。 毎朝、寝癖と格闘するは

    • 中1で受けたセクハラの戦闘後記

      あれは何だったのか 整理しようとする度に気持ちが消化されて無駄なものが省かれていくように思う。この出来事は私らしさを生成する強烈なエッセンスになったことだろう。  まず「自分の身を自分で守れた」という自尊感情の維持には大変役にたった。 一方で人間の思い込みで事実なんて如何様にも変わるという信頼関係のシステムの曖昧さと脆さに直面する。更には人は助けないということにも目の当たりにした。一緒に考えたり励ましたり応援することはしても。 中学一年生にして、この人間社会の集団のシステ

      • セクハラ教師を公開処刑に処す②

        前振り 息を吸い込んだ。 なるべく通る声を意識して努めて落ち着いて声をあげた。 「私はソフトボールが嫌になったことはありません。先生に触られるのが嫌なだけです」 私の声の通りの良さは小学生の頃から折り紙付きだった。 地域の祭りで歌わないかと誘いをうけたことがあるくらいの腕前だ。 どうやら作戦は成功したようだ。 職員室中が私の話しの内容に聞き耳を立てるように、先ほどまでの談話する声や、作業途中のカタカタと机を鳴らす音が一斉に止んだ。 「はあ?お前馬鹿じゃないのか

        • セクハラ教師を公開処刑に処す①

          二重苦事実を知らない父に「お前は何をやっても続かない」と呪いのような言葉をかけられたことが引っ掛かり、退部届けを出しに行くのを少しの間見合わせていた。 部活に行くことをやめ、悶々としながら放課後を過ごすことになったが、始めたことを途中で断念したことへの敗北感や、これで良かったのかという思い、しかしもうこれ以上勝手に触られることに我慢できそうもない自分との間で葛藤していた。 大人のうち一人でも私の決断を「それでいい」と言ってくれたなら、自信を持てたに違いないし仕返しを企てた

        思春期とエロの功罪

          セクハラが与えた影響

          本当は落ち着いた学生生活を送る予定だった 私は口が悪い。 多分、家族全員口が悪い。 特に父親に関しては、普通のサラリーマンだが人相まで悪い。 でも、全員地域の活動や役員なんかには積極的に参加する善良な市民である。 その口の悪さには自覚があって、普段は言葉遣いを気をつけているが、たまにボロがでる。 だから、中学生になったら大人の階段登るわけだし、もう少し落ち着いて生活しようと自分を律していたらこれだ。 石村のおかげで覚醒した。 配慮などもってやる必要などはない。

          セクハラが与えた影響

          春子、セクハラ顧問にぶちキレる

          なんとなくソフトボール部に入部する 中学生になると部活は強制だった。 柔道部に入るつもりでいたが、廃部が決まっていたので私の代では新入部員を募集していなかった。 柔道部を選んだ理由は至極単純で父が柔道をしていたからだった。 会社の広報の冊子に表紙に父の技が決まった瞬間の写真が使われていたのを目にして、その頃もやっぱりおてんば娘だった私は「カッコいい」と、また不謹慎に思われるかもしれないが、密かに公式に人を投げ飛ばせるのも気持ち良さそうだと思っていた。 おまけに父に受

          春子、セクハラ顧問にぶちキレる

          私の人生初「女の子の日」

          はじめに ※一部不快な表現がございますのでご了承の上お読みください。 前述の記事で私の初潮に触れたが、実際のエピソードはお祝いムードの心温まるだけの物語ではなかった。 初潮についてのエピソードを他の女子と話したことはないので、皆がどのようにしてそれが女性機能の始まりだと気づくのかは知らないので、あくまで私の話しとして書くこととする。 しかし、なぜ初めての潮なのだ。 やばい!漏らした! たしか、夏休みのことだった。テレビで「タッチ」の再放送を見ていたと思う。 小学生の頃は

          私の人生初「女の子の日」

          恋愛アレルギーの布石

          私の恋愛は始まる前には終わっていた。 初潮 自分の初潮が何歳だったかうろ覚えだ。 確か小学4年生頃だったか。 母がお赤飯を炊いて祝ってくれたことが温かい思い出として残されている。 その日、私は生殖としての性が決定づけられた。 それを後に呪うようになるとは思いもよらず、それは赤飯食べられるような特別なことなんだとふんわり思いながら頬張っていた。 それまでは自分をいわゆる「女」として意識したことがなかった。 おてんば娘 近所には男子しかおらず、幼い頃から遊ぶのも同じくその

          恋愛アレルギーの布石