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誰に、何を、どの期間「届けるのか」という話

ご無沙汰しています。このノートパソコンのCPU/ディスク常に100%アクセス続いて困っています(苦笑)。中古のiPadでも買った方がましのような。でもおじさん的には、キーボードじゃないと何も書けないんですよね。

さて、今日も思いつくまま書いていきますが。

先日、いまもういない島田紳助の漫才の考え方を聞いていたのですが、昔のお笑いは、オールターゲットだったのを「20代男性」というターゲットの絞り込みを行って生き残ってきたという趣旨の話でした。

おそらく、当時のTVの考え方にマッチしていて、時流に乗って生き残ってきたんだろうなと思って、ふむふむと聞いていたんですよね。当時は「20代男子はこういうのに興味があるはずだ」と。

また、違う日に、BUSINESS INSIDER JAPANの方の話だったのですが、その方曰く「20代女子は従来ビジネス記事は読まれないのではというが、実はきちんと届いていることがわかった」というような趣旨であった。つまり「年齢や性別ではなく、あくまででニーズありきで思いは届く」ということだと。

もう一つ、昨日読んでいた話で、出た話題として
「欧州では、公共建築は、人々に活用されておりそれを作った建築家のことを認知しており、感謝もされている。」
「しかし、日本ではそこの住人は活用されもせず、作った建築家のことも知らず、知っているのはどこの企業がつくったかということだけ。」
「そのつくった建築家も、己の欲望のためにつくるだけで、そこに住む住人のためにその技能を行使したのだろうかと」

いま思いつくまま、3つの例を出したのだけど、そのそれぞれで

1.20代男性のターゲットゾーン
2.作成した記事に興味を持つ人のみ
3.その地域に住む人

というターゲットの幅をどう認知したうえで行動するかなんだよなと。そして、その幅って広くなるほどエッジが立たなくなる傾向にあるんでしょうね。正しいかどうかは別にして、数式にすると

(生み出す力)×(ターゲット数)

というような感じでしょうか。その掛け算の数字で回りが評価するということなのかもしれない。基本もともとあ理系の思考なので、こういう公式的な数式での置き換えを頭の中でしてしまう。

まったく違う話ですが、カンヌ金獅子受賞者が岡山県立図書館のロゴ公募の件に触れ「ロゴの価値なんて0円だぜ。デザイナーよ猛省せよ」という記事を出していました。

付け加えると「意匠が上手いというのは、デザインがデザインたる要因の一つにしか過ぎないのです。プロであれば、法的な安全性、ロゴの展開性、ビジネスのアドバイスなど複合的な価値を付与されているべき」ということ。

これを読んで思ったのは、作る側の判断としては、

公共性:その地域住人が視認したときに瞬時に理解して認知できるか。それこそ子供からお年寄りまで。あわせて変な不快感を与えないものか
継続性:耐久年数を設計して作成しているか。図書館自体のファシリティの年数とかをかんがみて検討する必要がある。

公募する観点としては

募集ターゲットの絞り込み:低いコストを明示することで、地域の小中高生とかを狙い「地元の若者がで作ったこと」をアピールしたかったのか(たまに謎のプレートが村の道にドンとでるのを思い出します笑)
ロゴ機能の勘違い:つまり、ロゴは「絵の延長」として判断していて、ロゴとしてのいわゆる視認認知機能を捨てた、もしくは知らなかったのではないかと。

そういうのを考えてしまった。さっきのターゲットの話の話もありますが、もひとつ思ったことは、「耐久年数」(提供するものを機能させる期間)についての議論やコメントが非常に少ないのが気になりました。先ほどの数式でいうと

(生み出す力)×(ターゲット数)×(利用可能年数*1)
*1: 減価償却年数のように時間がたつほど機能性は失われていく形

ということでしょうか。本来公共性が高い建築物とかはこの利用可能年数は長く、ネット記事とかは、数分~3日ぐらいなんでしょうね。まさに食べ物のように消費されていく。

昨日の大船渡の投手の件とか、苦情が学校にくる違和感の根幹って、電話をかける人は、短い期間の娯楽を返せなんだけど、当の本人はあと十年以上の人生がかかっているわけで。

けど当然その歩み方は、細く長くか太く短くかは、いろいろあるんだけど、その瞬間の娯楽を求めるユーザと、提供する側思いが一致するかなんだよね。しかも、当の本人は、別にそのユーザーに話題を提供したいなんてこれっぽちも思ってないという笑 そのギャップたるや。

公共建築でいうと、毎日行く図書館の30年と、瞬間で消費される記事とか読み物の耐久年数ってそもそも同じ天秤で語れないんだけど、人が感情で判断するときって、全部記事よりだから、瞬間・瞬間になってしまうんだよね。だから、読者は160kmのピッチャーをテレビで見せろという。

ほんとに怖い話。誰しも違う時間幅で考えているはずなのに。なぜか受け手は、推敲をしないと相場が決まっています。これもまた事実。

自分の仕事がウェブ屋なので、このページは感情的な扱い、このページは耐久年数を長くということを設計時に計画立てて、提供すべき立場なのですが、最近この会話が通じるひとが著しく減っている気がしている。そもそもいないのかもしれないが。

日本という国や都市が、作っては壊し、作っては壊し、という感覚的かつ感情的な都市設計をしているのが、多いのはもはや国民性なのかもしれないなと、若干あきらめの境地にいます。(会話がかみ合わないことには物事すすまないですからね)事実は事実で戦っていくしかないと。

なんかこの内容、着地点なくなってしまいましたが。(苦笑)

最後にいま、壊されつつある、京都の区画をご紹介。五條楽園となります。この年になって初めて散策したのですが、京都にしては珍しく碁盤の目でなく、混然一体化した空間が、広がっていて数少なくなった昭和の空気がそこにあります。

わたしが行ったときには、かなり建物の建て替えも進んでいるところもあり、いま行っておかないと、この雰囲気ではなく今どきのリノベ空間に変わっていく気がしています。もし、興味などあれば足を延ばしてみてはいかがでしょうか?

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かわむら よしひろ
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