読書感想『小鳥とリムジン』小川糸
セックス依存症の母親のもとで、父親の存在も知らずに子供時代をすごした小鳥。
その環境に限界を感じ自ら児童養護施設へ逃げ込んだ小鳥だったが、施設から出て自立をしなければならない18歳を目前に思わぬ話が舞い込む。
自らが、小鳥の父親だと名乗るコジマさんが、病に侵された自分の介護をして欲しいというのである。
人と接することが苦手で普通に働くことが想像できなかった小鳥は、悩んだ末にその依頼を受けることにする。
時が経ち、ほとんど動けなくなってしまったコジマさんの介護に通う小鳥は、その道中にある『リムジン弁当』のにおいに惹かれながらも中にはいる勇気が出せないでいた。
徐々にコジマさんと心が通いあってきていた小鳥だったが、ある日出勤するとコジマさんは静かに息を引き取っていた…
人生のすべてを諦めて生きていた小鳥、彼女の人生が出会いによって徐々に動き出す再生の物語。
小川糸さんの、優しくて、どこかふわふわしているのにとても怖いことの書かれている文章が好きだ。
今回の主人公である小鳥の子供時代は、とてもエグいものである。
母親が常に男とまぐわい、それを幼い小鳥に見せつけ、なんならその場に彼女を呼び寄せるのである。
家にいると気を抜いて眠ることもできない小鳥は、唯一鍵のかかるトイレに立てこもり、何とか日々をやり過ごす。
ただ、母親は小鳥に食事も住むところも清潔な服も教育さえも惜しげもなく与えており、結果、小鳥は表面だけ見るときちんと育てられている家の子にしか見えないため誰からも救いの手は差し伸べてもらえない。
それどころか、家で心が休まらないため眠ることが出来ず、授業中に眠る小鳥は問題児として扱われてさえいるのである…。
誰にも理解してもらえない、気軽に相談もできない事情を抱えながら小鳥は日々を消費してきたのである。
だが、この話で描かれるのはそんな過酷すぎる子供時代の話だけでなく、それを生き抜き既に30歳になった小鳥の今の話なのである。
そんな絶望的すぎる日々を何とか生き抜いたものの、自分の人生に投げやりな小鳥がやさしく温かい人たちに出会い、語り、一緒にご飯を食べる日々の中で生きることを取り戻していくのである。
いつも凄いな、と思うんだが…描かれてる世界がとんでもなくグロテスクで気持ち悪いのに、胸に残るのはなぜかそれさえも優しい柔らかさの中に内包してしまうような温かさなのだ。
人と接すること自体を苦手だと思い、自分でも全体が把握できないような深い傷を抱えた小鳥…そんな彼女が出会った人々と過ごす中で、希望を見出し、喜びを感じ、幸せをかみしめられるようになるのである。
出会った人のことをもっと深く知りたいと思えるようになり、過去に自分に関わった人々のこともきちんと考え受け止められるようになっていくのだ。
そこにはもちろん、憎悪も失望も、今も消えない怒りもあり、でもそれに飲み込まれないだけの愛や優しさや幸せを彼女は手に入れるのである。
いやぁ…とても辛くてしんどい話がベースにあるのに、なんでこんなに優しいのか…。
じわじわと残る胸の熱が、あぁいいものを読んだなぁ…と実感させてくれる、そんな本である。
小川糸さんの世界だなぁ…好きだわ。
こんな本もオススメ
・阿部 暁子『カフネ』
・津村記久子『水車小屋のネネ』
・窪美澄『朔が満ちる』
子供の頃は人生ってどうしても両親が与えたもので形成されるんだけど、実はそこを超えてからが長くて、与えられなかったものを取り返すことは難しいけれども違う形で手に入れることはできるんだって思うね。