読書感想『颶風の王』河崎 秋子

「オヨバヌ」
人の意思が、願いが、及ばぬ―――

明治期、東北。生まれてすぐに里子に出された捨造は、すでに正気を失くしている産みの親・ミネを見舞いながらひっそりと暮らしていた。
すでに育ての親は他界し、閉塞感にさいなまれながらも暮らす日々の中でたまたま見た北海道の開拓民の募集の新聞記事に捨造は心惹かれる。
これだ、これしかない…生まれ故郷を捨て開拓民になることを決意した捨造は、一頭の馬を買った。
その馬と共に故郷を離れようとしたその時、ミネから手記を渡される。
そこには自分の出生の経緯が記されており、自分の買い求めた馬との間にある因縁を教えてくれた。
許されぬ恋をして捨造を産んだミネ、故郷を捨て北海道へ渡った捨造、生まれ故郷を去るしかなかった捨造の孫娘・和子、そして和子の心残りに立ち向かう和子の孫娘・ひかり。
明治、昭和、平成…変わりゆく時代の中で生きた一族の記憶と、彼らと共に生きた馬の物語。


何年かぶりの再読なんだが、何度読んでも非常に奥深く、心に響く本である。
明治時代、捨造の旅立ちから物語は幕を開けるのだが、彼の母親・ミネの物語は壮絶である。
そのあまりの壮絶さに初めて読んだときは、なんかえげつない本読み始めてしまった…と若干ひいた記憶がある。
正気を失くすに値する体験をし、捨造を産み落とすミネなのだがそこにはアオという一頭の馬が深く関わっており、その事実を知らぬまま捨造はアオの血統の馬を買い求めるのだ。
一緒に旅立つ馬との因縁を知った捨造は、その後、馬を生業にして生きていく。
そして昭和に入り、戦争を超えた晩年、自然災害のせいで捨造は馬から切り離されてしまうのだ。
その事実は孫娘・和子の大きな傷となり、それが思わず形で平成のひかりの章まで続いていく。
流れゆく時代を生き抜いたミネの子孫たちの物語であり、同時にアオの血統を受け継いだ馬たちの物語である。
この本が印象に残りすぎて、河崎作品は欠かさず読んでいるのだが、何というかね…いつも、その死生観というか…世界の捉え方がちょっと違うんだよね。
どうしても僕らは「人」なので、物事の基準が「人の目線」で語られてしまう。
だが、そんなものが及ばぬものが世の中にはあふれているのだと、河崎作品は常に語りかけてくるのである。
人の理論には全く当てはまらない、もっと大きな壮大さが物語の随所から溢れ出てくるのである。
何度読んでも、ただただ凄いというか…いかに人間がちっぽけなのかを毎度毎度叩きつけてくるよね…。
河崎作品でしか味わえない、無力さのようなものが漂い、同時に自然の強さに打ちのめされる。
いやぁ、凄い。
凄く、いい。
これ多分また定期的に読みたくなる本です。


こんな本もオススメ


・『フェスタ』馳星周

・河崎秋子 『絞め殺しの樹』

・佐藤 友哉『デンデラ』

人の意思の及ばぬ小説は面白いのよ…。

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