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『ホールドオーバーズおいてけぼりのホリディ』の感想

ツイッターXのスペースで月に1〜2回の割合でやっている、友人のほしこさんと映画の感想をただ語り合う会『ほしことわかばのシネマでスペース』のために映画を見てきました。しかし、映画館に行く時間もないほど忙しくしてはいけないですよね。セネカ先生も『生の短さについて』でそう言っています。

さて、そんなわけで今日は『ホールドオーバーズおいてけぼりのホリディ』の感想を書きたいとおもいます。まずは予告編をみてください。

この斜視を持つ嫌われ者の歴史の教師と食堂のおばちゃんと、頭はいいけどクラスで浮いていて親にもほっておかれている三人が一緒にクリスマスを過ごすという物語です。

この映画が面白い理由はいわゆる全部入りだから。辛いのに、笑えるし、寂しいし悲しいのに、あたたかいのです。おまけにコメディなのにガチの社会派。そしてストーリーも申し分ないです。

周りに馴染めない三人がイヤイヤながらも一緒に過ごすうちに、どんな過去があったかが明らかになっていきます。ここからわかることはどんな人であっても、今そうなったわけがあるということ。例えば、主人公のハナム先生は体臭がすごいのですが、それをみんな何も言わないし聞きもしない。でも、臭いから避ける。現実ってそういうものですよね。

しかし、問題児学生のアンガスがついに聞いてしまったら病気だということがわかる。全てには理由がある。それを知りもしないでわたしたちは人を判断してないだろうかと考えさせられます。

そしてハナム先生は劇中で「自分の物語は自分でしか語れない」と言います。そうなった理由は自分しか知らないし、語るとしても自分にしか語れないのです。だから人のことをとやかく言うことはカッコ悪いし、人にどう思われるかを考えてばかりなのはちょっとみっともないと思えてきます。

そして、これはハナム先生と食堂担当のメアリーが、問題児アンガスを見守る話でもあります。彼を置いてけぼりにする両親に変わって、彼を育てる話だとも言えるのです。実の親なんて本当に自分のことしか見えていないし、子どもの邪魔しかしない。傷つけてばかりです。しかし、実の親なんてそんなものだとわかります。

たまたま出会った親代わりがその子の成長に大きな影響を及ぼし、大きく成長させることもある。かつてわたしも叔母は言っていました。「子どもは家から出さなくちゃいけない。そうすれば他人さんが育ててくれる」その時は「なんて無責任な」と思いましたが、思春期の子どもの親となった今、なんだかわかる気がしてきました。

逆に考えたら、大人は自分の子どもでなくても、子どもを守る役割があるということ。しかし、教え導くっていう感じではなくて、ハナム先生はあくまでハナム先生そのままなのがいいのです。そういうところにアンガスもいろいろと感化されていったという気がします。

最後に、この映画のテーマは「犠牲」でもあります。うまく思い出せないのですが、「犠牲こそか真実」だか「犠牲こそが愛」だかとハナム先生は言っていたような気がします。最終的にハナム先生は自分を犠牲にしてアンガスを救うのですが、そういうところをみても彼らにしかわからない物語がこの映画の主軸になっている気がします。

とても良かったです。詳しくはほしわかシネマで!

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