『フードペアリング大全』翻訳書の編集担当者による紹介文
香りで料理を科学する
フードペアリング大全
分子レベルで発想する新しい食材の組み合わせ方
http://www.graphicsha.co.jp/detail.html?p=43635
ferment booksで翻訳と編集を担当した翻訳書籍『フードペアリング大全』(グラフィック社)が好評のようなので、版元に提出した営業用資料を一部改編したFBの投稿を、さらに一部改訂してこちらにも掲載することにしました。
主に、なぜこのようなフレーバーの科学的分析が料理の創作に有効なのかを説いた、本書前半の概論的パートの要約だと思っていただければ、そんなに外れていないと思います。
すでに読者の方、これから購入しようという人、なんとなく興味のある人、みなさんの参考になれば!
そもそも、フードペアリングとは?
さて、本書の監修を担当してくださったのは『「食べること」の進化史』(光文社新書)の著者、石川伸一さん。
その石川さんが「風変わりな食と香りの本」とツイートしていたけれど、この本、確かに、そうかもしれない。
どんな感じに風変わりなのか? 一般的には理論化するのが難しいだろうと思える「どの食材の組み合わせが美味か?/美味な食材の組み合わせは、どうして美味なのか?」について、科学的な分析を試み、さらに料理創作の方法にまで昇華してしまおうという、かなり斬新な方法論が展開されているのが本書「フードペアリング大全」なのです。
「フードペアリング」という言葉自体は、同一の香りを共有する食材同士を組み合わせると美味である、という基本となる仮説をもとに、あらゆる食材のアロマプロファイルを分析し、データベースとして提供する企業の名であり、その理論や方法そのものも指します。
フードペアリング理論の端緒となったのは、イギリスの三ツ星レストラン「ファットダック」のヘストン・ブルメンタール氏が考案したホワイトチョコレートとキャビアの料理。ブルメンタール氏本人が、なぜこの組み合わせが美味なのかを探るため、食品科学者であるフランソワ・ベンジー氏に分析を依頼したところ、2食材には共通するアロマ分子が存在することが判明し、フードペアリングの仮説が生まれました。
本書の著者が運営するフードペアリング社は、2009年に設立され、データベースを提供するウェブサイトなども存在するため、意識の高い世界中のシェフたちにとっては既知のものだそうです。これまで完全にプロ向けでしかなかったノウハウが、いま一般書店に並んでもおかしくない時代になった、ということなのでしょう。料理の科学、食の科学といったカテゴリーの書籍が、このところよく読まれていることも、本書発刊の背景にあります。
本書の考え方
◎安全な既知の食べ物と、毒かもしれない未知の食べ物
料理には創造力が必要とはいえ、食材の組み合わせを発想するさい、料理する者は常に各地域の食文化の伝統に「しばられて」います。伝統とは大変豊かなものですが、同時に拘束力でもあります。生牡蠣にレモンは定番ですが、キウイを添えようと考える人はあまりいません(p40参照)。チョコレートと魚卵(キャビア)の組み合わせなど、有名なトップシェフが提案しない限りゲテモノ扱い必至です(p61参照)。
つまり、プロ・アマ問わず、人は自分が過去に経験したことがある味覚から、容易には抜け出ることができません。
それは動物としての本能だからです。食べるという行為は生命にかかわります。毒性がなく「安全」が確認された慣れ親しんだものを食べ続けるのが、生き物の生存戦略としては、もっとも合理的です。食文化の保守性は安全を志向する本能に由来するのかもしれません。
しかし一方で、人類には他の動物にない「好奇心」もあります。既知の安全なものだけでなく、未知の「毒」かもしれないものも食べてみたい。未知の食材を食べてみて、おいしく、安全となれば、食べられる食材の数が増えます。それは、地球上のあらゆる場所で人間が生きていけることにも寄与してきました。
安全な既知の食べ物と、毒かもしれない未知の食べ物。この両方を求める人間の行動は「雑食動物のジレンマ」と呼ばれ(p12参照)、マイケル・ポーランによる同名の書籍も名著として読み継がれています。
話を戻すと、料理が創造性をともなうアートの一種であることは間違いないものの、それが既知の伝統的な味の組み合わせに基づくことしかできないという前提があるとすれば、上記における人間の「好奇心」を満たすことはできない。いや、その「好奇心」を満たすことにこそ創造性があるのではないか。そこで、伝統的味覚の外側にある「おいしさ」を考えようとするのがフードペアリングである、というわけです。
◎「味」の構成要素のうち最も大きいファクターは香り
では、伝統的な味覚を超えるおいしさを得るにはどうしたらいいのか。ここで「香り」がキーポイントになります。
一般的に「味」と呼ばれるものは、味覚(五味=甘、酸、塩、旨、苦)+嗅覚+触覚(食感)であると言われます。さらに、聴覚(カリカリなど咀嚼音)、視覚(おいしそうな食べ物の見た目)もプラスした五つから構成されるとの考え方もあります(p18の図)。
この中でもっと大きいファクターは香りです。有名なのは鼻をつまんでコーヒーやオレンジ・ジュースを飲んでみる実験。なんとなく苦い、なんとなく酸っぱい、くらいの印象しかなくなり、飲み物特有のフレーバーが感じられなくなります(p18カコミ)。
◎同じ香りをもつ食材どうしの組み合わせはおいしい可能性が高い
フードペアリングの考えかたを一言でまとめるなら、上のとおりです。この「法則」にもとづいて、未知の食材の組み合わせを試していけば、伝統的にはどこにも存在しなかったけれど、おいしい食材の組み合わせというものが、科学的な観点から見つかる可能性が高まるわけです。
本書の使い方
◎同じ香りを持つ食材を探し出す方法(p30~34参照)
著者は、ありとあらゆる食材をGC-MS(ガスクロマトグラフ+質量分析計)と呼ばれる機器にかけ、含まれる揮発性有機化合物(=においの物質)を測定し、それを元に各食材ごとのアロマ・プロファイルを作成。それを図示したものが、本書掲載の「アロマ・ホイール」(例えばキウイのアロマホイールはp41)です。
本書では、複数の食材のアロマ・プロファイルを参照し、アロマタイプ(香りのカテゴリー)別に(p34参照)香りを共有する食材を図示する「ペアリング・グリッド」(カラードットの表組)が無数に掲載されています。
ペアリンググリッドとは、キー食材(表の親となる食材)と、以下羅列される食材との間に共有される香りがあるかどうかを示した表です。
大きなカラードットは同一の香りの共有を、小さなドットは、そのカテゴリーに属する香りを持つものの、キー食材の有する香りとは同一ではないことを、黒点はそのカテゴリーに属する香りを持たないことを示します。大きなドットに注目すれば、香りの結びつきが強い食材同士が発見できます。
◎本書の使い方の一例
1. バターナッツに注目。p167の「ゆでたバターナッツ・スクワッシュ」のグリッドを参照。
2. グリッド内の「熟成チェダーチーズ」のカラードットに注目。フルーツ、フローラル、ベジタブル、カラメル、ウッド、チーズのアロマタイプで特定の香りをバターナッツと共有する。
3. 以上から、バターナッツとチェダーチーズの料理を考案。
4. さらなるグリッド・ホッピングを試みる。p373からの索引へ。「ち」⇒チェダーチーズ⇒熟成チェダーチーズ。ページ数をチェック。p142へ。(太字のノンブルはその食材が「親」になったグリッドのあるページ数)
5. 「熟成チェダーチーズ」のグリッドを見る。グリッド内の「サルチチョン・ソーセージ」に注目。3食材が同様のアロマタイプを共有していることがわかる。
5. 以上から、バターナッツ、チェダーチーズ、サルチチョンの3食材で料理を考案。
など。あくまで考え方の一例ですが・・・
食材について
「醤油」などという我々が簡単に手に入れられるものから、黒穂病に感染したトウモロコシを食用とする「ウイトラコチェ」など、おそらく日本では入手可能性ゼロに近そうなメキシコの食材まで、地球上の食材を幅広く網羅しようとの意図が感じられます。
妄想を膨らませるツール
おそらく本書は、美味なる料理を創作するための唯一絶対のメソッドなどではありません。料理に自由な冒険心を導入する試みの一つなのだろうと思います。
石川さんが、さらに本書を「妄想をふくらませるツール」とツイートをされていましたが、まさに。
そして、プロ/アマチュア問わず、料理すること/味わうことに関して本書は、少なからずの示唆を与えるでしょう。
人はなぜ食べ物を「おいしい」と思うのか。そもそも「味」とはなんなのか?
そういった根本に思い至らせてくれるのが、フードペアリングなのかもしれません。
最後に、カバーデザインについて
日本語版のカバーデザインを担当してくれたのは、藤田康平さん。
内容に負けない、意表を突いた、とんがったビジュアルにしたいという発注に、このようなカッコいいデザインで応えてくれました。
原書のカバーデザインは、本文に多数掲載されている「ペアリンググリッド」のカラードットのイメージを前面に持ってきたもので、内容と連動しており、ポップな感覚もあって捨てがたかったのですが、なんとなく日本の90年代ポップカルチャーを連想させる要素も感じたりしたので、思い切って変えることにしました。
最終的にはヴェイパーウェイヴなどのニュアンスも連想させる今っぽいビジュアルで、かつ食と科学を感じさせるものでもあり、さらに料理書/科学書らしからぬデザイン、という意図したものになり満足しています。