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【伝統工芸に学ぶ教育論】第3章:柳宗悦

工芸品に触れ、学びを深めていくと、たどり着く人物がいる。
柳宗悦である。私も、幾度となく、日本民藝館を訪れたり、各地の特別展にも足を運んだりした。今、生きていたら何を語るだろう。そんなことを想像しながら、まとめている。





3-1:柳宗悦に触れてみて

人類は、発展を遂げてきた。その傍らには道具がある。
命を繋ぐために食物を獲得するが、私たちは、狩りをする道具、土を耕す農具。食物を加工する調理器具や保存するための器などを開発してきた。人類の営みの傍らには道具の発達も関係している。旧石器、縄文、弥生などから江戸、明治、と日本の歴史の道具も進化をした。

明治~大正時代を生きた民藝運動の中心人物、柳宗悦。日本民藝館の創設者でもある。柳宗悦が提唱した民藝運動に「用の美」がある。
機能美、健康美、奉仕の美など、一言でいうと、日常の暮らしの中に、「美しさ」を見出したのが柳宗悦であった。

そもそも、『美しさとはなにか?』。
柳宗悦もこの問題に取り組んだのではないだろうか?真善美、真の行い、善い行い、この二つは、多くの人に一定の分別ができるものである。嘘をつかない、道を譲る、ゴミを拾う、真の行い、善い行いである。だが、美しい行いとはなんだろうか?ここには、なんらかの一定の分別はできず、『人によりけり』のものとなる。だから、美しいとは、こうだ!と決めつけられないのである。難しく、奥深い。

その中で、
柳宗悦は、日本における美しさとはなにか?
向き合ったのだと思う。柳宗悦が、出した答えは生きた明治・大正・昭和の時代、目に写る庶民生活は、平凡で当たり前の穏やかな美しさ、だったのではないだろうか?その生活が成り立つ所以は、生活を支える器や道具。これらが、人の営みに全力でサポートし、役に立とうとする機能を持ち合わせていた。丈夫で長持ちし、その形は役に立つために長い年月をかけて作り出されたものである。人を支えるその健気な佇まいに、『用の美』と唱えた。道具としての美しさとは、その目的を果たす姿勢や佇まいにあり、柳宗悦は、器たちの美しさを敬意を込めて、用の美と伝え広げていた。と私は思う。

だが、令和の時代となった。柳宗悦も現代を見て何を思うだろうか。
私はとても興味がある。今や、用の美という言葉も遠い存在になりつつある。

器は、用を飛び越えて、個性を重んじるようになった。

機能としての美しさ(機能美)、
健気に支えんとする美しさ(奉仕の美)ではなく、

各々の個性を表現し、美しさは、各々で異なる解釈になってきた。個性とは、人目につくために目立ったり、違いを表現しようとする。

改めて美しいとは、なんなのだろうか?
それは、最高位の価値なのか?
美しければいいのか?
美しいとは、個性で満たされるのだろうか?
表現が自由であれば、良いのだろうか?

私には違う考えがある。
どちらかといえば、かつての用の美の方に近い考えである。工芸品とは、日用であるもので、使う側と使われる側を生じさせる。用の美とは、使われる側(工芸品)の美しさを唱えていた。

だが、

私は使う側(人)の美しさを引き出すものが工芸品であると考える。

つまり、使うことで美しくなる、使う姿が美しい、など人にフォーカスする考えである。用の美とは、使うことで美しくなると思う。

3-2:暮らしの中に「美」を見出す日本人の精神

柳宗悦は、日本人の美意識と暮らしの豊かさを結びつける「民藝運動」を提唱し、その根底に「奉仕の美」という思想がある。機能と自然の素材が調和した美しさが宿っている。華美な装飾や複雑なデザインではなく、素材そのものの質感や、使う人の手に馴染む形状に宿るもので、日常生活の中に根ざしたものである。
欧米のように美を「ブランド」や「ステータス」として追求するのではなく、日本では日々の暮らしや道具そのものに美しさを見出すという独自の美意識。この美意識こそが、日本人の生活文化を豊かにし、心を穏やかにする基盤となってきた。
たとえば、茶碗や皿、湯飲みといった日用品には、装飾を凝らさない中にも、美しい形や自然な色合い、使いやすい形状が求められた。日用品に込められた美は、見栄やブランドを誇示するものではなく、誰もが日々の中で楽しみ、感謝できるものとして存在する。
陶器や漆器、織物といった工芸品には、その実用性と美しさが両立しており、使う人の生活を豊かにするための美意識が反映されている。

3-3:欧米と日本の「美」とは?

欧米の美意識は、主に外に向けた「ブランド」や「ステータス」としての価値を重視する傾向がある。富や地位、社会的な立場を示すための美であり、主に外部に対するアピールとしての装飾が中心といえる。

日本人は、日常の中でさりげない感性を大切にしてきた。
素朴で自然な形状、日本人の暮らしを支える佇まいに「美」が存在する。日本人は身近な道具や日常のささやかな風景に美を見出し、それを「生活の豊かさ」として共有し、大切にしてきた。いずれ記述したいが、こうした日本人の美意識は、侘び寂びの精神にも通じ、派手さを抑えた中にある静けさや、年月を重ねた物の風合いを愛でる感性を育んだ。道具を長く使い続け、自然な経年変化を美と捉える視点は、生活に根差した美意識の表れといえる。

第4章では、日本の課題に触れていく。
現代を生きる日本人は、大きな流れを見失い、「対処」の連続となってしまっている。


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