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短編作家芥川と怪異〜勝手に芥川研究12

 芥川龍之介は短編作家です。長編を書こうとしましたがうまくいかず未完になっていますので、彼が完全な形で残した小説は短編のみです。
 これは芥川を語る上で結構重要なことです。漱石先生は長編作家でしたし、芥川が同時代で尊敬していた志賀直哉は「暗夜行路」が有名で、短編は「城の崎にて」が取り上げられる程度です。実は志賀直哉も短編作家で長編は「暗夜行路」のみなのになぜか短編作家としての認知度は芥川より低いです。
 短編作家としては他に梶井基次郎がいますが、彼は夭折してしまいましたので作品数が少ないうえに、やはり「檸檬」ばかり取り上げられて他はあまり話題になりません(わたしは梶井基次郎の文章は美文だしクセがなくて好きなのですが)。
 太宰治は短編に有名な作品が結構ありますが、やはり「人間失格」や「斜陽」のほうが有名です。
 以後は、長編の時代に入り、短編だけで勝負する作家は少なくなっていきます。
 そして今は長編でなければ売れない時代です。これは芥川が書いていた頃の出版業界の事情が今とは違うことが大きいです。世界を見渡しても、一九世紀には小粋な短編作家がたくさんいましたが、二〇世紀になると、長編が圧倒的に増えて、短編も書くけれども本命は長編という作家がほとんどになっています。
 ここで書き出しに戻ります。芥川は短編作家。長編の時代にあって、日本の小粋な名作短編を読もうと思ったら作家は限られる。その中の筆頭が芥川だと思うのです。つまり、彼の後を継ぐような短編作家がいないことが、逆に芥川の希少価値を高めているんですね。
 しかし、古色蒼然とした作品なら現代人はきっと読まないでしょう。ではなぜ今でも芥川は読まれるのか。それは、幅広いジャンルの短編を書いているからです。特に、児童文学、怪奇幻想系の短編の存在が大きいと思います。
 児童文学については以前に記事で書きましたので置いておきます。ここでは怪奇幻想について。
 芥川の怪奇趣味は有名です。
 そもそも田端に引っ越す前の実家が七不思議の本所というのも面白いですが、父や母からきいたことなどをネタとして一高時代から「椒圖志異」にまとめています。天狗だとか幽霊とか、もちろん河童も出てきます。影の病というタイトルではドッペルゲンガーも登場します。江戸時代の「奥州波奈志」という話が由来のようです。

北勇治と云ひし人外より歸り來て我居間の戶を開き見れば机におしかゝりし人有り 誰ならむとしばし見居たるに髮の結ひ樣衣類帶に至る迄我が常につけし物にて、我後姿を見し事なけれど寸分たがはじと思はれたり 面見ばやとつか/\とあゆみよりしに あなたをむきたるまゝにて障子の細くあき間より椽先に走り出でしが 追かけて障子をひらきし時は既に何地ゆきけむ見えず、家内にその由を語りしが母は物をも云はず眉をひそめてありしとぞ それより勇治病みて其年のうちに死せり 是迄三代其身の姿を見れば必ず主死せしとなん

影の病,「芥川龍之介全集二三巻」岩波書店、P132 

 また、海軍機関学校の英語科教官だったころに、副読本として彼が編纂したThe Modern Series of English Literatureというアンソロジー(全八巻)があります。彼の常人の域を超えた速読と読書量のなせる技と言いましょうか、これにはまだ有名じゃない作家も含めて英米の多様な作品が収録されています。また巻ごとのタイトルが実におもしろいのです。
一巻 Modern Fairy Tales
二巻 Modern Short Sories
三巻 Modern Ghost Stories
四巻 Modern Short Plays
五巻 Modern Essays
六巻 More Modern Short Sories
七巻 More Modern Ghost Stories
八巻 Modern Magzine Stories

学校で使う副読本ですよ?ゴーストストーリーなんか集めますかね。芥川のこういうところ、とてもお茶目だと思います。

この三巻にはポーやスティーブンソンはもちろんビアスやブラックウッド、ウエルズなどの名前が並びます。ビアスを日本に初めて紹介したのは芥川です。
 実はこの八巻のアンソロジーから、怪奇幻想ものだけを取り出したものがあります。

 芥川が編んだ英語科の副読本ですので、英語の勉強に丁度良いかも。

 翻訳本もあります。

 この本は二〇一八年発売。二〇二三年の「アリス物語」もそうですが、芥川関連本は青空で読める今になっても盛んに出版されています。古典に属する作家としては非常に珍しいケースだと思います。芥川人気は衰えることをしりません。写真集は出るし、芥川記念館まで近々できるし(笑)。
 長編有利の令和の今になっても、短編しか書かなかった大正時代の作家である芥川が未だに人気がある理由のひとつが、彼の怪奇趣味だとわたしは思います。
 芥川は、純文学にジャンル分けされますが、書いている作品には、怪奇幻想に属する作品が多数あります。「羅生門」にしても「地獄変」にしても、怪奇幻想にいれても良いとわたしは思っています。
「河童」なんて、スウィフトの「ガリバー」のような不可思議な世界を描いた風刺文学で、好きか嫌いかはともかく、この時代に日本で似たような小説はありません。また「二つの手紙」などはポオのウィリアムウィルソンと同じくドッペルゲンガーものの怪談です。「歯車」でさえも全体の暗鬱とした雰囲気と実際に帝劇と銀座で見たドッペルゲンガーの話からして一種の怪奇小説です。未完に終わった「邪宗門」などは、若殿対謎の悪僧との法力対決で、今で言うところの超能力バトルものです!幻魔大戦です!
 読む側からすれば、純文学!しかも古典!とかしこまる必要はまったくないのです。 
 これこそ芥川の強みだとわたしは思います。芥川は不気味な晩年の作品も含めて、読者を楽しませてくれます。エンターテイナーなんです。古典と言うと、堅苦しくて読みにくいイメージがありますよね。特に古い写実主義の文学はそういうイメージがあります。しかし、芥川の場合は、西欧テイストのモダンな幻想小説の特質を持っているので今の人にも受け入れやすいと思います。
  私が唯一無二の短編作家と彼のことを称するのは芥川のこういうところです。

※余談になりますが、ホルヘ・ルイス・ボルヘスという著名な南米の作家が編纂した探偵小説アンソロジーに「藪の中」が収録されています。うむ。確かに「藪の中」はミステリかも。犯人わからないけど(笑)。
 ちなみに彼は、スペイン語版「歯車・河童」の序文を書いており、そこで芥川を高く評価しています。

 今回は、短編小説家としての芥川の価値と怪奇幻想小説、エンタメとの関係について私見をまとめてみました。

長文失礼しました!







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