見出し画像

読書感想「最後の物たちの国で」ポール・オースター

 わたしは小説を読むとき、ストーリー以上に小説世界の空気感を大切にします。透明感、寂寥感、虚無感、切なさ、血生臭さ、荒っぽさ、暴力性、無機質性、躍動感、色気、ユーモア、色々な空気感があると思います。小説を読む方なら分かると思うのですが、空気感というものは小説世界に入ると自然に伝わってきます。それが作家の文章の「クセ」によるものか、書かれている内容によるものか、定かではないのですが、大抵の作家は独自の空気感を持っています(もちろん同じ作家でも作品によって空気感が変わることもありますが)。
 そしてわたしの場合、その空気感によって作家の好き嫌いが大抵決まります。ストーリーや作品のテーマ性はその次なのです。例えばガルシア・マルケスは、「血生臭さ」。芥川龍之介(中期から後期)は、「寂寥感」。江戸川乱歩は「夢の中にいるような感覚」、Jエルロイは「凶暴さ」、コーマック・マッカーシーは「暴力性」、筒井康隆は「お祭り騒ぎ」等々(あくまでわたしが感じる空気感です)。この空気感が自分の好みと合う作家が好きな作家になります。
 ポール・オースターの場合は、断然「透明感」が魅力です。「ガラスの街」を読んで好きになりました。本来なら、次に「ムーンパレス」などを読むのでしょうが、天邪鬼なわたしはタイトルと紹介文に惹かれてこの本を選びました。そして正解でした。

 主人公はアンナ・ブルームというジャーナリストで、小説はどこの誰か最後までわからないこちら側の世界にいる「あなた」宛てに彼女が書いた手紙(ノート)という形式になっています。
 一見近未来の荒廃したディストピアものに思えます。ネット上の感想などでもマッカーシーの「ザ・ロード」やジョージ・オーウェルの「1984」と比較されたりします。しかしわたしは全然そんな感じはしませんでした。今当たり前に存在するモノはちょっとしたきっかけで消えていく、一度消えると復活することはなく、記憶からも消えてなかったことになってしまう。それは近未来でも何でも無くわたしたちがいる現実世界でも同じです。一人一人が見ている世界は違うし、わたしには見えていてもあなたには見えないものがこの世にはたくさんあるし、その逆もあるでしょう。(僭越ですが、わたし自身「モノがなくなっていく」という題材が好きで、自分の小説によく使います。見えているモノはそれほど曖昧で脆いものだと思っています)作者本人が言っているように、これは近未来ではなく今現在の話です。

 主人公アンナはジャーナリストの兄を探して、どこかわからない舞台となる国、「最後の物たちの国」へ行きます。そこは虚無感漂う荒廃した街で、街を統べる法も秩序もなく政府はあるにはあるようですが放置。家も食料も服も文房具さえも手に入れるのは困難で、拾ったり死者から奪ったりしたものを金にかえて何とかしのぐしかない世界です。周りのモノも人もどんどんなくなっていきます。兄を探しに入ったものの、それどころではなく日々を生き抜いて冬をしのぐだけで精一杯。死ぬまで走り続ける「走者団」、金さえあれば楽にしてくれる「安楽死クリニック」、頼めば自分を暗殺してくれる「暗殺クラブ」、「最期のひと飛び」と呼ばれる飛び降り自殺、色々な方法で死ぬ人間の死骸が街にあふれ、生きようとする人はその死骸から所持品を頂いて束の間の命をつなぎます。赤子は生まれません。消えゆく国の物語です。
 そんな空虚な世界でも、アンナには救いの手が何度か差し伸べられており、愛があり優しさもあるので読んでいて暗鬱とした気持ちにはなりません。ひたすら透明な世界の中で終わっていく世界を見ている感覚です。
 最初の救いの手は、イザベルという老婆でした。二度目は行方不明の兄を探しに最初にこの国に入ったサムというジャーナリストで恋に落ちます。三度目は、無料で衣食住を一定期間提供するケアハウス的な場所で、その場所を統括するヴィクトリアという美しい女性です。サムとヴィクトリアは、アンナと恋仲になる上に、ラストの脱出行(成功したかどうかはわからない)を共にする重要人物です。
 恐ろしいのは「人間屠殺場」(人肉工場)です。アンナは罠にはまって殺されるところだったのですが、第二次世界大戦中レニングラードにあったいわれます。実際わたしは今も世界のどこかにあると思うのです。小説内の「糞尿処理システム」は実在するし、ユダヤ人の迫害、強制収容所等々、確かに近未来ではなく、すべて実際の事実が描かれています。事実をあちこちから集めてきてこのどことも知れないこの街に体現させているだけです。ディストピア小説ではないとオースターが強調するのはそういうことなのでしょう。オースターの透明感のおかげで怖いと思うことはなかったですが、他の作家が書いたらかなり恐ろしい物語になっていたと思います。そこがスキなんですよね。オースター独特の透明感。

 感想になっているような、なっていないような書き散らかしていますが、最期にこの小説を象徴する好きな文章をいくつか引用します。

物事は反転可能なものではありません。入れるからといって出られるとは限りません。入口は出口にはならないし、たった今通過してきたドアがもう一度振り返ったときもまだそこにあるという保証はありません。

白水社 「最後の物たちの国で」柴田元幸訳  P104

今まで持っていたものを失って初めて、私たちはその存在に気づきます。そしてそれを再び取り戻すやいなや、またしてもその存在を気に留めなくなってしまうのです。

白水社 「最後の物たちの国で」柴田元幸訳   P168

ひとたび物が消えると、その記憶も一緒に消えてしまうのです。

白水社 「最後の物たちの国で」柴田元幸訳   P106


 これらの引用が、この小説のテーマといっても過言ではないと思います。
 個人的には「ガラスの街」より本作のほうが好きですね。世間的な評価はあまり高くないようですが。 
 さて、オースターはいずれまた読みます。次は「偶然の音楽」の予定ですが、他に積読がいっぱいたまっているので大分先になります。

 最後までお付き合いありがとうございました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?