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映画日記#17 『ファイブ・デビルズ』

今日は新宿武蔵野館でフランス映画『ファイブ・デビルズ』を鑑賞した。
『パリ13区』でジャック・オーディアール、セリーヌ・シアマと共同脚本を手がけたフランスの新鋭レア・ミシウス監督の最新作で、主演は『アデル・ブルーは熱い色』のアデル・エグザルプロコス。
今年のカンヌ国際映画祭でクィア・パルムを受賞したタイムリープ・スリラー。前評判がかなり高かったことから、公開を楽しみにしていた作品だ。

嗅覚に不思議な能力を持つ少女ヴィッキー(サリー・ドラメ)は、大好きな母ジョアンヌ(アデル・エグザルコプロス)の香りをこっそり集めている。ある日、謎めいた叔母ジュリア(スワラ・エマティ)が現れたことをきっかけに、ヴィッキーのさらなる能力が開花。ヴィッキーは自分が生まれる前の母と叔母の過去にタイムリープしてしまう。
映画.comより引用

村社会における女性の抑圧と同性愛への偏見を、特殊能力を持った少女の視点を通して、観客が共に観察しているような、奇妙な感覚の映画だった。35mmフィルムのざらついた映像が、奇妙な感覚を促進させていた。
主演のアデル・エグザルプロコスの、現在と過去の表情の使い分けが見事だった。
村への怒りがみなぎり、怖いもの知らずで愛に突き進んでいた過去の素直な表情と、人生の折り合いがつかず、子どもという存在に今も戸惑っているような現在の抑制された表情の対比が素晴らしかった。
この映画では、母の過去のジュリアとの恋愛と、母と娘の関係性の2つを描くことで、家族になったからといって自動的に愛が生まれるわけではないという現実を突き付けているように思えた。
しかし、突飛な出来事を通して娘が母の過去を理解することと、母が娘という存在を受け止め、母という役割を引き受けることで、新たな家族の連帯が生まれていた。
家族愛の再生成の映画として、新しい視点から捉えた現代の傑作だといえる。
ただ、夫の視点がやや希薄で、他の役に振り回され過ぎているように思えた。1番割りを食っているような役柄で、そこは引っかかる部分だった。

『私の少女』や『ファイブ・デビルズ』然り、クィアと村社会の抑圧という2つのキーワードは、現代の映画において重要な主題になっているのかもしれない。

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