ワーママはムリゲー?SNS発信が作る私たちの思考の枠
「フルタイムの会社員をしながら子育てするなんてムリゲー」。この言葉が、常識のように語られていることが気になっている。
確かに、ワーママの数は増えてきたが、日本ではフルタイムで働く女性はまだ少数派。パート勤務が主流である背景からも「ムリゲー感」が広がる理由はわかる。家庭と仕事のバランスが難しいのは確かなのだ。
だけど、ふと考えてみた。この「ムリゲー感」、実は私たち30代後半から40代前半の世代が、自分たちで作り上げたものではないだろうか?少し上の世代の人たちは、子育ての状況をSNSでつぶやく文化なんてなかった。私たちの世代から、インスタやXが日常の風景になったのだ。そこでは「ワーママしんどい」「やっぱりフルタイムは無理だ」の言葉が日々飛び交っている。皆さんも、「ワーママしんどい」という言葉、ついSNSに投稿してしまったこと、ないだろうか?
ある友人にこの話をしたら、「だって、しんどいのは事実じゃん」とキッパリ返された。うん、確かにそれも正しい。共感できる部分も多いし、吐き出すことで救われることもある。
私もフルタイムで二人の子どもを育てる日々はなかなか過酷だ。最近は夫の帰りが遅く水曜日にはすでに息切れ状態。洗濯物の山や子どものしょうもない兄妹喧嘩を見ると溜息が出る。「もっと早く出産しておけばよかった」と後悔することだってある。(なんせ体力が持たないのだ。20代の頃ならこの疲労感も乗り越えられたかも、なんて悔やんでもどうにもならない)
ただ、どうだろう?冷静に見てみると、子育てしながら働く環境は確実に良くなってきているのだ。例えば10個上の先輩たちの時代を振り返ると、妊娠したら辞めるのが当たり前で、残業ができなければ「戦力外」と見なされることが普通だった。私が新入社員だった頃は、「旦那さんが稼いでいるのに、君が働く意味があるのか?」と平気で問われ、先輩が苦笑いしていた場面に何度も遭遇した。そんな時代に比べれば、今の働き方改革や育休パパの増加には確かな進化を感じる。
そんな中で、注意が必要なのは「しんどい」という言葉がいつの間にか自分への呪いになっていないかという点。SNSで「しんどい」と発信するたびに、「私はしんどいワーママだ」という自己認識が強まる。それが重なると、どんな些細なことも「やっぱり無理だ」「頑張っても報われない」と感じやすくなりはしないか?SNSでの言葉が自分自身の気持ちに影響を与えていると感じるのである。
もちろん、弱音を吐くこと自体を否定するわけではない。私自身も「しんどい」とつぶやいて共感のコメントをもらい救われた経験がある。noteでも弱音を吐いた。たまには大変な気持ちを出しても良いと思う。だけど、同時に感じるのは、ネガティブな発信が「自分の思考そのもの」をネガティブに染めてしまうリスクなのだ。
視点を少し変えてみたい。「しんどい」と言いながらも、私たちは子どもを産んだことを後悔しているわけではない。しんどいけれど、子どもは可愛い。仕事も辞めたくない。まぁ、この「矛盾」こそが、私たちを悩ませている元凶だのだけども…。
後悔していないのはきっと、小さな幸せがたくさんあるからだ。寝たら忘れてしまうようなことばかりだけど、ふとした瞬間に笑わせてくれる子どもの発言や行動。「〇〇君のママ」ではない一人の大人として社会に貢献しているという実感。みなさんも、そんな瞬間があるんじゃなかろうか。
「ワーママはムリゲー」という言葉に支配されるのではなく、その中で「何ができるか」を探してみる。言うのは簡単だけれど、実行するのは難しいことは分かっている。それでも、その姿勢が私たちの働き方や生き方を変える第一歩になるのかなと思う。
SNSの言葉はただの独り言ではない。それは自分の思考を形作り、周囲にも影響を与えるツールだ。だからこそ、「しんどい」だけで埋め尽くされる発信にしないよう心がけたい。その積み重ねが、良くも悪くも自分を変えてしまうから。