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なぜ「言葉」を使うことで自己肯定感は高まるのか?―『自己肯定感』が高まる魔法の言葉~日本人が大切にしてきた「言霊の本質」を探る~―(中編)

こんばんは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。


その一環として、
小学校教諭として学校現場では、
「和の心」を軸に、喜びあふれる豊かな学級集団を作り上げるために、
自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を目指して
日々奮闘しています。


前回から、

『自己肯定感』を高める魔法の言葉

という主題でお話をしていきます。


今回は、
なぜ「言葉」を使うことで自己肯定感が高まるのか?
その仕組みについてお話していきます。







1)こんな言葉使っていませんか?



言葉には、
すごい力があり、ちょっとの違いで、魔法にも呪いにもなります。


例えばですよ。

もし、
あなたが家族からこのような言葉を言われたらどのように感じますか?


「おい。さっさとご飯作れよ。」

「もっと、ちゃんと掃除しろよ。」

「なんで毎日洗濯しないんだよ。するだろ。普通は。」

「ユーチューブばっかり見てないで早く食器洗えよ。」



こんなこと言われたら、

みなさんは一言。思わずこう言い返したくなるのではないでしょうか。


「うるさい!」


「なんで自分は何もしていないのに私にばかり言うのよ。」と。




「やってもらっているのにさっさとって何だよ。」

「ちゃんとってどんな風にすることなんだよ。あなたがやってみなさいよ。」

「普通ってなんやねん。これが私にとっての普通やわ。」

「これを見終わったらやろうと思っていたんだよ。気づいていたなら、あな
たがやってもいんじゃないの?」


と思いませんか?


これらの言葉。


何だか上から目線で偉そうに、
ときにイライラしながら言われたとしたら?

気持ちよく家事や仕事をこなすことができますか?


できないですよね。


少なくとも、僕は、できないです。

こういうネガティブな言葉たちを僕は、呪いの言葉と呼んでいます。




では、このように言われたらどうでしょう。

「今日もご飯、おいしかったよ。」

「毎日、掃除してくれてありがとう。」

「いつもふかふかのタオルで嬉しいな。もっとがんばれちゃう!」


呪いの言葉とは逆に、
ねぎらいや感謝の言葉をかけられたら、だれでもうれしいものですよね。

「明日もがんばろう!」と気分上々になり、
心は自然と前向きになるのではないでしょうか。





では、子どもにこんなことを言ってはいませんか?

「早くしなさい。」

「ちゃんとしなさい。」

「勉強しなさい。」

「なんでできないの。」


「早くしなさい。」

これを大人が言い続ける限り、
子どもは安心して時間を守らず、安心してぐずぐずし、
行動を起こすようにはなりません。

「早く」という言葉のアラームが習慣化し、
子どもがそのアラームにコントロールされるのです。
自分で本当に困る経験をしないと考えるようにはなりません。


「ちゃんとしなさい。」

しつけの場面でよく口にして、耳にする言葉ですが、
改めて考えると「ちゃんと」という言葉は、
人によってとらえ方が変わるため、
抽象的で曖昧なよくわからない言葉だと思いませんか?
言っている大人もよくわかっていなかったりするので、言われた子供の頭の中は「?」でいっぱいになるはずです。

実は、「ちゃんとしなさい」というのは、
大人にとって都合のいいストレス発散用語であり、
イライラ波打った感情を言語化して言っているだけだったりもするわけです。


「勉強しなさい。」

少し大げさかもしれませんが、
「勉強しなさい」と1回言うたびに、偏差値はひとつ下がります。
それほどマイナスのパワーを持った言葉なのです。
そもそも、本当に一生懸命学習に打ち込む子は、
勉強を勉強だと思っていません。

「楽しいから」「面白いから」やっているのです。
学力は、自発的に、前向きにやるからこそ上がるものです。


「なんでできないの。」

この言葉の裏には、「いい子でいてね。」「私の理想の姿でいてね。」
という大人の希望と都合が隠されています。
こんな言葉を言われ続けた子供は、
「自分はちゃんとできないダメな子なんだ。」
「自分は何かが足りていないんだ。」
と、劣等感や欠損間を無意識に感じ続けることになります。



2)『自己肯定感』が高い子の特徴とは?



このような言葉を使う子供に出会ったことはありませんか。

「どうせ」「やっぱりできない」「無理」
これらは、自己を限定する言葉です。

「うざい」「きらい」「むかつく」
これらは相手を否定する言葉です。

「私なんか」「私はダメだ」
これらは、自虐の言葉です。

自己肯定感の低い子供の特徴として
このような「ネガティブな言葉」が日常生活に出てくるという
共通点があります。

僕は、子どもたちと話しているときに、
このような言葉が出ていないか注視しています。

これらの言葉の裏には、
「失敗したくない。」「傷つきたくない。」という子供たちの嘆きや悲鳴、SOSの意味があるのではないかと考えるからです。
挑戦しても、なかなか結果に結びつかない。一生懸命に頑張っても何かうまくいかない。
そんな悲しいダメな自分を見るのは嫌だという「自己防衛の言葉たち」です。

子どもたちは日々、新しいものや人に出会い、そこで得た知識や感情体験を自分の中に積み重ねていきます。

自分に自信鳴子ほど失敗を恐れず挑戦を重ねるので、
成功体験も多くなり、
たとえ失敗してもそれを「一つの経験」として学び、
失敗を自分の血肉としていくことができます。

反対に自分に自信のない子供は、
失敗を恐れるため、
新しい体験の機会を前にしても行動することをためらいます。
そのため、必然的に成功体験が少なくなり、
「逃げ癖」がついてしまうのです。
自己肯定感の低い子供は、自分の可能性を自分で封印してしまうのです。

また、
人間関係で生じた摩擦やトラブルに対しても
「自分は否定されている」と過剰に反応するため、
心が簡単に折れてしまう傾向があります。
そんなもろさも自己肯定感の低い子供たちの特徴です。




自己肯定感の高い子の特徴として、次のようなものがあります。

・「できる」「おもしろそう」「やってみたい」などのポジティブな言葉をよく使う。
・自分の考えを持ち、相手に伝えることができる。
・むやみに傷つかない。
・日地にも自分にも寛容(やさしい)。
・無用ないさかいをしない。


自分自身を信頼している子供は、
他人のことも、自分を取り巻く環境も信じているので、
協調性が高く、また、物事を肯定的かつ楽観的にとらえることができます。

「挑戦しようとする癖」がついているため、
どんなことでもやりたがり、前向きに取り組む姿勢もできています。
トライアンドエラーを繰り返し、チャンスを広げていくのです。


要するに、
自己肯定感の高い子供は、
チャレンジ精神に富んでいるため、自分を生かす機会に出会う確率が高く、「人生は楽しい」という前向きな気持ちになりやすいため、
おのずと幸福度も高まるのです。

一言で言えば、「人生を楽しむ術」を持っているのです。



3)『自己肯定感』と学力との関係とは?





また、自己肯定感と学力も密接に関係しています。


学力は、自発的に、前向きに勉強するから上がるものです。

強制されてやっても、効果は知れています。
強制されれば、前向きな気持ちはそがれてしまいます。

学ぶことに対して、面白くない、つらい、やりたくないなど、
心がマイナスの状態で無理やりやらせたところで、
決して身に付くようにはなりません。

たとえ成績が上がったとしても、
それは一過性のもので、
継続的に積み重なる高い学力を身に就くことはできません。

子どもは本来、例外なくみんな「学び好き」です。
知らないことを知りたいという欲望は、
食欲や睡眠欲などの欲求にも匹敵すると僕は考えています。
学ぶことを求めるエネルギーは、どんな子供も必ず持っています。




そうだとすれば、
そのエネルギーが出やすいように、
子どもの心の状態を明るく、軽くしてあげるだけでいいのです。

学力を上げるために大切なことは、たったひとつ。


「子供の心の状態を上向きにすること」


これに尽きます。

そして、
子どもの学力、そして自己肯定感を高めるためには、
心がプラスで満たされていることが不可欠です。

なぜなら、
人は心が満たされると、やりたくなかったことも「やってもいいかも」と、いい意味で「心変わり」という寛容さが出てくるからです。

そして、
一番効果的な方法が、
生活の中で子供が耳にする言葉の習慣を変えることなのです。

「繰り返し耳にした言葉は、その通りに実現される。

言葉は、繰り返されることによって、
強力な暗示となり、人間の振る舞い方や考え方、
果てには、容姿や雰囲気にまで影響を与えます。

日常生活での言葉がけで自己肯定感を高め、変わることができるのです。


では、
どのような言葉がけをすることで
自己肯定感を高めることができるのでしょうか。


次回、お話していきます。



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『学び』って

もともと
「なんか気になる」
「なんか面白そう」 という
知的好奇心を満たしたり、
知る楽しさを満たしたりするもので

テストでいい点を取るためでも
試験に受かるためのものでもない。

そんな何かに「没頭できる」体験を
学校でできるようにしたいと考えています。


僕は、こう思います。

学校教育の役割は、
みんな同じように能力を高め、平均点を上げることではない。

それぞれに個としての能力を高め、
自分の持ち味を自覚し、
社会の中で自分をうまく活かせる場所を見つける力を養うことだと。


極端だけど本質的なこと。

『学び』とは、知識を得ることではない。

『学び』とは、「学ぶことの意味」を知るということ。


本当に教員がやるべきことは、
「学ぶことの意味」を子供が実感できるようにすること。

これさえおさえておけば、
「勉強しろ」と言わなくても
勝手に子供自ら学び始める。


『一隅を照らす これ即ち国宝なり』

私たちが小さな灯火として
周囲の一隅を照らす。

その灯火がたくさん集まって、
国家全体を明るく照らし、
将来への希望の灯りを点すことができるようになる。

大人が輝けば、子供も輝く。

今日も子供を信じて。

今日も自分を信じて。


最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。



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