なぜ「言葉」を使うことで自己肯定感は高まるのか?―『自己肯定感』が高まる魔法の言葉~日本人が大切にしてきた「言霊の本質」を探る~―(後編)
こんばんは。高杉です。
日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。
その一環として、
小学校教諭として学校現場では、
「和の心」を軸に、喜びあふれる豊かな学級集団を作り上げるために、
自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を目指して
日々奮闘しています。
前回から、
という主題でお話をしていきます。
今回は、
どのような言葉がけをすることで自己肯定感を高めることができるのか。
その仕組みについてお話していきます。
1)子供の「才能」を伸ばす魔法の言葉とは?
これまでのお話で、
自己肯定感を高めるために「言葉の力」がどれだけ効果があるのかが
お判りいただけたことと思います。
これら3つのアプローチにより、子どもの自己肯定感を高めます。
まず最初は、魔法の言葉で子供の才能を伸ばします。
そのために使う言葉が「すごいね」「さすがだね」「いいね」です。
これらの言葉。
皆さんももう使っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
実は、
魔法の言葉は、
シンプルでよく耳にする「どうということのない言葉」なのです。
皆さんは、この3つの言葉の特徴は何だと思いますか。
どれも子供を「ほめる」ときに使うと考えた方もおられるかもしれません。
しかし、
大切なことは、子どもをほめるのではなく、
です。
コツは、明るく、さりげなくです。
勉強をしているとき以外は、
「すごいね!」「さすがだね!」という言葉で、
子どもの行動からよさを見つけ、徹底的に認めます。
そして、
勉強をしているときには、積極的に「いいね!」を使いましょう。
勉強をしているときに「すごいね!」「さすがだね!」を使わない理由は、言われたときはうれしいかもしれませんが、
「次も頑張らないと…」とプレッシャーに感じるお子さんもいるかもしれないからです。
勉強は、がんばったらいけません。
むやみに頑張りすぎると、いずれも点数が落ちてしまいます。
「いいね」という言葉は、
ほめるというよりも「認める」という意味合いが強いものです。
「いいね」とあなたを認めているよ。
という言葉を継続して耳にしている子供は、
自分の存在を肯定され、尊重されていることを実感します。
勉強というものは、
「知りたい!」「わかりたい!」という好奇心がなければ
先へは進みません。
好奇心を満たす学びや活動は、
子どもにとっては楽しく、面白く、興味深いものです。
頑張る必要などどこにもありません。
好きなこと、やりたいことは、努力しようと思わなくても、
自分からどんどんやってしまうものです。
だからこそ、勉強をしているときには、
「あなたはえらいね。」とは伝えずに、ジャッジではなく、
「先生は、うれしいな。」と自分の気持ちを素直に伝えることが効果的です。
コミュニケーション学の世界では、「アイ・メッセージ」と言います。
「私」を主語にして、自分の感情、「うれしいな」などと純粋な気持ちを子供に伝えるようにしましょう。
たくさん認められて、心が満たされた子供は、
目の前にいる「いやなもの」がいやではなくなります。
他人との関係、日々の出来事、
ひいては、勉強においても「寛容」になれるので、
必然的に、成績も上がっていくというプラスの連鎖が起きます。
さらに、
「なるほど」「知らなかった」という言葉を使って、
子どもの教えたい!という気持ちをくすぐります。
「なるほど」も「知らなかった」も相づちの一種です。
相づちは、
「私はあなたの話を聞いていますよ。」「受け取っているよ。」
という合図のようなものですね。
最新のゲームソフト、作家選手やお笑い芸人、流行りのもの、
昆虫や動物図鑑の豆知識、学校で習ったばかりの地域の歴史、
テレビで見たおいしいごはん、映画の原作になったマンガ、
どんなことでもかまいません。
「なるほどね!」「それは知らなかったなあ」
「よく知っているね!」「おもしろい!」と心ある相づちを打って、
子どもの話に耳を傾けてみましょう。
子どもは、
本当は「自分の好きなことを伝えたい!」という思いを持っていますから、どんどん話してくれます。
さらに、
たたみかけるように、「これは何かな?」
「それってどういうこと?もう少し詳しく教えて!」と、
なんでもいいのでガンガン質問を投げかけることで、
大人が知っていないことを自分は知っているという優越感を実感し、
自己肯定感にダイレクトに結びつくのです。
2)子供の「心」を満たす魔法の言葉とは?
次に、魔法の言葉で子供の心を満たします。
そのために使う言葉が「ありがとう」「うれしいな」「助かった」です。
これら3つの言葉の共通点は、
大人から子供へ感謝の気持ちや喜びという感情を伝えることです。
子どもは、「誰かの役に立っている」「貢献できている」と思えた時に、
自分が必要な人間であることを実感します。
大人から、「ありがとう」「うれしいな」「助かった」と言われることで、人に喜ばれることの幸せを学びます。
そのために、
ぜひ積極的に「ありがとう」と言えるシチュエーションを意図的に作るようにしましょう。
本当に小さなことでもかまいません。
「冷蔵庫からお茶をとってくれない?」
「お父さんにタオルを出してあげて」「荷物を運ぶの手伝ってくれる?」
たくさん小さな頼みごとをしてみてください。
上から目線の命令口調ではなく、
「あなたの力を借りたい」「助けてほしい」とお願いするのです。
感謝の言葉を口にする機会が、ぐっと増えていくはずです。
教室での居場所というと、
時間的・空間的な安全地帯を刺すようなイメージが多いような気がします。
しかし、
子どもにとって、「この場所は自分の居場所だ」と思えるためには、
安全地帯であるだけでは足りないのです。
自分がその場所にいる意味が必要なのです。
クラスには、
誰かに計算の仕方を教えてあげられる。
鉄棒の逆上がりを補助できる。
模範となる行動を示すことができる。
といった、直接的な役割を果たせる子がいます。
そうした子であれば、
自然と教室内に自分なりの居場所を確保することができます。
しかし、
そのような子はほんの一握りです。
ほとんどの子は、そのようにはできません。
それでも、
「あの一角だけは、ぼくの(わたしの)役割」というものが
どの子にも必要なのです。
授業に直接役立たなくてもいい。
他愛のないことでもよいのです。
面白いことを言える子であれば、
授業で子供たちの集中力が切れかかっているときに
「はい、〇〇くん、ここでギャグ一発」
絵をかくのが好きな子であれば、
例えば、歴史学習の際に、「織田信長と豊臣秀吉ってどんな顔の人なんだろう。あまりイメージできないね。〇〇さん、ちょっと描いてくれない?」とお願いをする。
「あなたは、〇〇大臣だ!」
「〇〇君は、〇〇マンだね!」
というふうに言うと、どんな子であっても、なんだか嬉しいものです。
それは、その子にとっての活躍できる場面ともなるからです。
さらに、中・高学年になってくると、
次第にあこがれや使命感のような気持ちを持ちたくなってくるように思いま
す。
いずれにしても、
子どもが、自分自身を認めるためには、
ただ自分だけを見つけていても難しいのです。
集団の中に自分の持ち場がある、
だからこそ、
自分の存在のよさを認めることができる、自己肯定感が高まるのです。
3)子供の良心に「訴える」魔法の言葉とは?
子どもの才能を伸ばす、心を満たす、
これらの中でポジティブな響きを持たないのが、
「良心に訴える」言葉です。
そして、その時に使う言葉が、「らしくないね」です。
これは、子どもの良くない行いをいさめる言葉です。
その時に使う「らしくないね」がどうして、
自己肯定感を上げることになるのでしょうか。
実は、「らしくないね」とは、
本来のあなたを認めているからこそ出てくる言葉です。
子どもは素敵な行動をする反面、よくない事をすることもあります。
だからこそ、
良いことをしたときにのみ使うことができる「ほめる」だけでは足りないのです。
ポイントは、「認める」です。
良くない行いをしている今のあなたは少し変だね。
でも、私は、本当のあなたを分かっているよ。というメッセージです。
「らしくないね」は、否定でも拒絶でもなく、受容の言葉なのです。
身近にいる大切な大人に受容されていることが分かれば、
子どもの自己肯定感は上がることはっても下がることはありません。
大人から繰り返し受ける強い失跡や容赦のない否定の言葉は、
子どもの心に深い傷を残して、
「自分は悪い人間なのかもしれない」という不要な罪悪感を植え付ける可能性があります。
それよりも、「らしくないね」とピシッと1回だけ伝えることでインパクトは絶大です。
短いフレーズは、余韻を残します。
子供は、おのずと「自分らしくないってどういうこと?」と考え、
自分の内面を点検し始めます。
これらの言葉がけを続けることで
子供の心の変化が生まれていくと考えています。
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『学び』って
もともと
「なんか気になる」
「なんか面白そう」 という
知的好奇心を満たしたり、
知る楽しさを満たしたりするもので
テストでいい点を取るためでも
試験に受かるためのものでもない。
そんな何かに「没頭できる」体験を
学校でできるようにしたいと考えています。
僕は、こう思います。
学校教育の役割は、
みんな同じように能力を高め、平均点を上げることではない。
それぞれに個としての能力を高め、
自分の持ち味を自覚し、
社会の中で自分をうまく活かせる場所を見つける力を養うことだと。
極端だけど本質的なこと。
『学び』とは、知識を得ることではない。
『学び』とは、「学ぶことの意味」を知るということ。
本当に教員がやるべきことは、
「学ぶことの意味」を子供が実感できるようにすること。
これさえおさえておけば、
「勉強しろ」と言わなくても
勝手に子供自ら学び始める。
私たちが小さな灯火として
周囲の一隅を照らす。
その灯火がたくさん集まって、
国家全体を明るく照らし、
将来への希望の灯りを点すことができるようになる。
大人が輝けば、子供も輝く。
今日も子供を信じて。
今日も自分を信じて。
最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。
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