日本人のアイデンティティの根幹である「日本語」とは?(中編)ー先生のための『和の国・日本国』講座㉟ー
こんばんは。りたろです。
自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を軸に発信しています。
今回も引き続き、
「先生のための『和の国・日本国』講座」という主題のもと
「日本語」に焦点を当て、
「日本語」の特徴とは何か?
「日本語」に込められた精神性とは何か?
日本はどのように言語を取り入れたか?
などから、
『和の国・日本』とは何か?を考えていきたいと思います。
【今日の内容】
日本人のアイデンティティの根幹である「日本語」とは?(中編)~先生のための『和の国・日本国』講座㉟〜
1)『漢字』を自分たちの言語生活に取り込んだ日本人
2)『漢字』を「音」としてだけの記号として活用したのが『万葉仮名』!
3)「日本語」は『中国の漢字文化の亜流』ではない
前回の記事では、
わたしたちは、「日本語」を使うことを通して、
『日本的なものの考え方』
『日本的な感覚』というものを共有してきたこと。
「日本語」は
どこの国の語族にも属さない独立した言語であり、
「ひらがな」「カタカナ」「漢字」など
『表意文字』と『表音文字』の両方を用いる
複雑であるが大変便利な言語であり、
高度な言語生活を私たちは
生まれながらに営んでいる
という話をしてきました。
今回は、
言語がなかった日本にどのように言語が入っていったのか?
「日本語」はどのように発達していったのか?
についてお話していきたいと思います。
1)『漢字』を自分たちの言語生活に取り込んだ日本人
もともと日本には
文字はありませんでした。
そこに「漢字」が入ってきました。
これは、中国大陸にあった「漢」という国の言語
つまり、もともと「外国語」だったのです。
その外国語を取り込んで
ここまで使いこなしてしまったのです。
その歴史をこれからお話していきたいと思います。
「漢字文化」はだいたい飛鳥時代ころに
中国大陸から伝わってきたと言われています。
ただ中国から伝わってきた「漢字」をそのまま
使っていたわけではありませんでした。
例えば、
『山』という漢字。
当時の日本には、文字はありませんでしたが、
話し言葉はありました。
中国人が日本人に尋ねます。
中「あっちの方に見えるあれは何というのだ?」
日「あっちに見えるあれは『やま』と言います。」
中「ああそうなのか。私たちはあれを『シャン』と言うんだ。」
日「そうなんですね。どのように書くのですか?」
中「『山』こう書くんだよ。」
みたいな感じで、
もともと日本で話されていた言葉と
中国で使われていた文字と音を組み合わせていきました。
これが、『音と訓』の始まりです。
そのようにして
『山』という文字には、
「さん」という『音読み』と
「やま」という『訓読み』がつけられることになりました。
それだけではありません。
例えば、
『明』という漢字。
この漢字は、様々な読み方があります。
『音読み』では、「メイ」「ミン」「ミョウ」などです。
実は、これらはもともといろんな中国王朝が
使っていた読み方なのです。
しかし、王朝が変われば、読み方は変わってしまいます。
現在の中国では、「ミン」としか読みません。
それが、現在の日本では読み方が残っているのです。
そんな古い異なる時代の『音』まで残して
現在も効果的に使いこなしている日本ってすごくないですか?!
このようにして
もともと外国語であった「漢字」を
自分たちの言語生活にうまく取り込み、
さらに「漢字」をうまく活用していくことになります。
2)『漢字』を「音」としてだけの記号として活用したのが『万葉仮名』!
時代は流れ、奈良時代。
それまでの日本では、
『音と訓』を生み出しましたが
『漢字』は、中国から伝わってきた
『表意文字』としての機能のみ活用されてきました。
現在、活用されている『50音』ですが、
奈良時代当時は、
濁音の数も今以上に多く、
母音も「あ」「い」「う」「え」「お」のほかに
もう2つか3つほどあったと言われています。
現在は一つのものに統一されていますが、
もっともっと細かく分類されていたんですね。
このように
もともと『漢字』にあった「意味」をとって
『表音文字』として使い始めたのが、
この時代の日本人からなんです。
(中国は、4000年も漢字を使っているのに
未だに『表意文字』としての機能のみで
『表音文字』を生み出していません。)
漢字は漢字として活用はするけれど、
それとは別に『音』だけを表現したいときは、
『意味』をとって『音』だけを表す記号として
漢字を活用したもの。
それが、
『万葉仮名』
です。
奈良時代を代表する書物と言えば、
日本最古の和歌集である
『万葉集』
があります。
『万葉集』は『万葉仮名』で書かれている和歌が多いんです。
もちろん和歌は、日本語で書くわけです。
漢文で書いたら漢詩になってしまいますよね。
当時、「ひらがな」も「かたかな」もありませんので、
漢字を使って、
「安」は「あ」と読む。「以」は「い」と読む。
と使うようになります。
そのように『漢字』を活用していくうちに
本格的に文字を書き表さなくてはいけなくなったのが、
日本最古の歴史書である
『古事記』
を書き上げた太安万侶だったんです。
『日本書紀』は、外国向けのものだったので漢文で書いていましたが、
『古事記』は、日本語の語順で地名や人名も記さなければならない。
通常の漢文で書いてしまうと、音が伝わらない。
そこで、太安万侶は、
独特の表記方法を創り上げていきます。
例えば、『古事記』の中で登場する和歌。
日本武尊の
「夜麻登波久爾能麻本呂婆」
(倭は国のまほろば)
というように漢字の「音」だけを使って
地名などを表していきました。
なんかこの感じ。
何かと似ていませんか?
そうです。
「夜露死苦」
暴走族が使う当て字みたいですよね(笑)
これは、
漢字を『表意文字』としてしか使っていない
中国人に見せても意味が全く分かりません。
このように、
漢字に『表意文字』としての機能や、
『音と訓』を付け加えるだけではなく、
『表音文字』として活用し始めたのです。
話は少しそれますが、
面白いのが、
奈良時代当時。
「はひふへほ」というものはありませんでした。
「ぱぴぷぺぽ」だったと言われています。
だから、
「はは」は
「ぱぱ」だったんです。
何だか少しややこしいけど、面白いですよね!!
3)「日本語」は『中国の漢字文化の亜流』ではない
その後、
平安時代には、
『アクセント』を変えることにより、
単語は同じでも読み方を変えると意味が変わるようにしたり、
鎌倉時代には、
「~が」や「~に」などの『格助詞』が用いられることにより、
主語が明確になっていくなど、
日本語は時代によって少しずつ精錬されていきました。
こうして、
『漢字』から『万葉仮名』が生まれ、
のちの「ひらがな」になっていきます。
「カタカナ」も同じです。
最初は、『漢字』を書いていましたが、
書いていくうちにだんだんと省略化されていき、
今の「カタカナ」の形になっていきました。
こうして、
「ひらがな」も「カタカナ」も一つのものに
落とし込まれたのが
明治時代です。
明治時代に文部省が確定するまでは、
何通りかの書き方があったのですが、
明治33年。「小学校令」が出され、
徐々に修練されていき、
現在私たちは
「漢字かな交じり文」を活用しています。
このように、
もともとは中国大陸から入ってきた「漢字」から
生まれた「ひらがな」「カタカナ」ですが、
⑴現在も昔の画数に近いまま使っている点。
(中国では簡略化)
⑵古い時代の音に加えて、大和言葉ものせている点。
⑶漢字から生み出した「ひらがな」「カタカナ」という
日本独特の三位一体で用いている点。
などから、
「漢字」を生み出した中国大陸よりも
「漢字」の持ち味を最大限に引き出し、活用してきたのは
私たちの先人だったのです。
「自由」「人権」「憲法」「共和国」
「経済」「人民」「電話」「解放」「科学」
「化学」「環境」「関係」「幹部」「議員」
「議会」「企業」「基準」「基地」「義務」「協会」
「協定」「強制」「業務」「金融」「銀行」「公民」
「講演」「工業」「国際」「雑誌」「時間」「市場」
「宗教」「主義」「出版」「商業」「証券」「情報」
「政策」「代表」「単位」「単元」「定義」「哲学」
「電車」「投資」「任命」「美術」「物質」「文化」
「輸入」「輸出」「要素」「予算」「理想」「理念」
「領海」「領空」「領土」「冷戦」「労働」
などなど、
中国に逆輸入している『和製漢語』と言われるものも
多く存在しています。
先人たちが磨いて受け継がれてきている
「日本語」を大切に使い、
次世代にも大切に受け継いでいきたいものですね。
次回の記事では、
「日本語」のさらなる特徴
についてお話していきたいと思います。
これまで、
「日本はいい国だ!」というと
軍国主義者と言われたり、
危険思想だと思われたりしていました。
しかし、
2011年3月11日
東日本大震災を契機に外国から注目されてから、潮目が変わりました。
じつは、わたしたちが住んでいる『日本国』はすごい国なんです!!
まだまだ、
歴史の闇に埋もれてしまった「真実」が
たくさんあります。
「日本を知ることは、
『自分のルーツ』を知ること」
わたしたちの生まれた国をもっと学びませんか?
そして、子どもたちに伝えませんか?
自分の生まれた国を誇りに感じることは、
きっと自己肯定感とか自己効力感につながるはず。
一緒に、『和の国・日本』を楽しく学びましょう!
最後まで、お読みいただきありがとうございました。