『コロナにある真理』第70言
おもしろい記事をみつけた。
『コロナ=567』
567を、現代の死者とみれば
元に戻ることを願い、対策するはず。
見えない敵、作り上げた因との戦いは
人間が疲れきって悔い改めるまで続く。
一方、
567を、次代の使者とみれば
元に戻らないと悟り、覚悟するはず。
見えない徴、認めがたい因による導きは
人間が悟りきって次を迎えるまで続く。
いつそれを迎えるかは、人それぞれ。
*
『369=弥勒(みろく)』
弥勒菩薩には表の顔と、裏の顔がある。
567(みろく)は柔和な善の姿
666(みろく)は憤怒の悪の相
567(善)ばかりか、666(悪)さえ、弥勒かもしれないと、悟る機会が与えられる。最も憎むべき666を受け容れない限り、自分が666となり、弥勒の時代に入れない。
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567も666も、どちらも弥勒というのがおもしろかった。
「なーんだ、じゃ、いっか♪」
なんて気にさえなる。
やっぱりどっちが善だ悪だなんて、茶番で、自作自演で、ギャグでしかないってのは本当なのかもな~。
結局、受け容れなきゃいけない。受け容れる器つくりを今生という魂の訓練所で、修行しているだけだったのね。
どうにかなるんだろうな。
必要なことしか起きてやいやしない。
起こることは常に最善。
そう思うと「頭の中がお花畑」も悪くない。
今日もここまで読んでくださってありがとうございます!