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人はなぜ本音を言わないのか

 皆さんおはようございます。日の出はまだですが、目がシャキッと冴えてしまったためとりあえず物でも書こうかと筆を走らせています。

 さて、以前他者との関係性をどう築くべきかという話について記事に触れたことがありました。

 今日は関係性の築き方ではなくその目的について少し文章で整理をしてみようかと思います。

 結論を言うと、僕は常日頃から相手の問題解決をしてあげられる関係性でありたいなと考えています。そして普段仕事や友人と関係を切り結んでいく中において一番難しいことは、何が問題なのかを相手に本音で話してもらうことだなと感じています。

 人間というのは基本的に本音を言いません。なので、逆にこちら側の本音もいきなり伝えても信じてもらえません。なぜこのようなすれ違いが怒ってしまうのでしょうか。

 今回はなぜ人は本音を話さないのか、その理由を究明してみました。先に結論をいうと信頼関係がないという理由に帰着しますが、なぜそうなのかを書いてきます。

1. その人自身に信頼がない

 いくら言っていることが正しくても、その人が問題を解決する責任を負わないとあれば本音を話す理由などありませんね。これが一つ目の理由です。

 このその人自身に対する信頼はどうすれば溜まっていくのか。これはいろいろな要素がありますが、一言で丸めるとどれだけ自分のことを1人の人間としてみてくれるのかということだと思っています。

 人は様々な社会的制約の中で生きています。そもそも本音が何かが分からなくなってしまっている人も多いと思います。そんな中で、本当に自分がありたい姿はなんなのかを1 to 1で受け止めてくれる相手のことはやはり信頼ができますよね。

 それを通して、この人に真の問題を提示できるのかを判断します。

 前提として、問題というのはその人の弱みでもあるわけで、誰かに伝わってしまう時点でリスクとなります。なので、誰に話すかはとても重要な観点になってくるのです。

2. その人のスキルに信頼がない

 これが2つ目ですね。いくらその人のことが気に入っていて問題解決を任せたいと思っていても、その人がそれを解決できるスキルがなければ任せるのは難しいです。

 スキルに対する信頼はシンプルに実績で決まります。

 その人が今まで何をやってきたのか、どこの大学を出ているのか、仕事で何をなしてきたのかというような属性や、自分の問題を解決してくれたのかという行動等の観点から自分の問題を解決する責任を負えるのかを判断します。なので、ここに信頼がないと相手に任せるイメージが湧かず「お前に話してもなあ笑」という形で問題解決に至りません。

 なので、特に日々の行動というのは非常に大切ですね。

■ 最後に

 正直2だけでもできていれば表面的な問題を解決することは幾分かできるかもしれません。ただそれは本当にその人にとっての問題を解決したのかについては疑問が残るかもしれません。

 そしてもう一つ、話してくれた本音が自分にとって問題でなかった、またはその逆で相手は認識していないが自分が問題だと感じているというパターンは非常に厄介になります。それを問題かを共に考える、そこに至るにはさらなる信頼関係が求められるのでより高度になります。

 ただ、そんな関係を目指したいですね。自分はこう思っているが、これって問題なんだろうか。何を目的とした際に問題になるのだろうか。そもそも目的はなんだろうか。そんな風に、議論をしながらより良いものを求めていきたいなと考えています。

 もちろん、そんなに踏み込まなくてもいいのに、と思う人もいるかもしれません。どこまでが相手のためでどこまでがエゴなのか。これは自分にもわかりません。

 ただ、そのギリギリのラインを見極めて相手のためになる最大限の努力はしたい。そうありたいというのが今の本音です。

 考え方は変わっていくのだろうか。いや、変わらない気もするな。この最深部に潜っていきたいという探究心はきっとずっと変わらないのだろう。

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