今年は父と約束した通りに
ブログに文章を書くようになったのは、もうずいぶん前のことです。
最初は、主に勉強していた、心理関係のことを書いていました。(心理カウンセリング)それから、色々学ぶうちに、エネルギーや波動といった論理よりは、体感、実践的な内容へと変化。感じたままを伝えることもしていました。その合間合間に、日常的なことも書いてはいましたが、コロナ禍になって、仕事ができなくなると同時に、心理やエネルギーといった分野ではないことを書きたいと思うようになりました。でも、ブログは仕事、心理的な内容を書く場所との自分なりの線引きをしていたので、どうしようかなと思っていたところにnoteの存在を知り、ここなら自由に書けると思い書き始めたのが、一昨年です。
実は、その頃、父と初めてじっくり話す機会があり、そのとき父に言われたのが、母のことを書いて欲しいということでした。
母の容体が悪化して、病院に再入院。もう長くはないと、主治医に言われて、父も私も覚悟していたタイミングでの、父からの申し出。
たまたま、私自身も母のことを書こうと思っていたところに、父が言ってくれたので、これは書きなさいと言うことだなと…
そもそも、私が母のことを書こうと思ったのは、ジェーン・スーさん原作、吉田羊さんが主演したドラマ「生きるとか死ぬとか父親とか」を観たことがきっかけでした。
ジェーン・スーさんとお父さん、お母さんとの関係を綴ったエッセイで、すーさんも私と同じひとりっ子。親との関係も似ていいることから、観初めてすぐ、共感。
私も母とのことを書きたい。そう思ったのでした。
なのに実際は。音楽のことやボイトレ、エンタメの話ばかりで、肝心の母のことを、ほとんど書いてない。父と約束したのに、書いてない。
なので、今年は、母のことも書いていこうと思います。
で、今回は、ちょうどお正月なので、母のおせち料理について書こうと思います。
おせちと書きましたが、実際は、おせちではありません。
私が生まれ育った北海道では、ほとんどの家庭が、年越しをします。
大晦日、ご馳走をいっぱい作って、家族で食卓を囲む。あるいは、友人知人、親戚が集まって、一緒に年越しをする。というのが、通例です。
我が家の年越しの定番メニューは、けんちん旨煮に紅白なます、黒豆に栗きんとん、数の子にイカリングフライ、そしてお刺身。
その中で、一番手をかけるのが、けんちん旨煮です。
材料は人参、里芋、ごぼう、こんにゃく、なると、鶏もも肉、干し椎茸を戻したもの、の七種類と決まっていて、変わっているのが大きさもすべて1cm角程度に切ることです。
普通、旨煮といえば一口大よりは大きめに切って作りますが、我が家の旨煮は、なぜか小さく切る。
小さい頃、母に「どうしてうちの旨煮は小さく切るの?なぜけんちん旨煮というの?」と聞いたことがありました。
それに対して母は「この作り方は、おばあちゃんから教えてもらったもので、どうやら東北地方の料理みたいだよ」と教えてくれました。
詳しいことはよくわかりませんが、母方の祖父母は青森県の出身。きっとそのあたりの料理なのでしょう。
1cm角に切った具材を炒め、出汁と醤油、砂糖と酒で煮ます。
毎年30日に作って、味が染みたものを大晦日に食べるのが恒例となっていました。
と、ここまでは普通。
ちょっと違うのが、その量です。
三人家族が食べるには、大きすぎる50㎝程度の鍋に、8分目ほどの量を毎年作ります。
大晦日も新年も、母方は青森、父は末っ子なので誰も来ません。
たった三人なのにそんなに作ってどうするの、と聞かれそうですが、お正月の数日間で、ペロッと食べてしまいます。
里芋のとろみのせいか、お汁も少しとろみがついて、温めるより冷たいままの方が断然美味しいのが、我が家の旨煮。
煮物というより、汁物感覚だから食べやすいのかもしれません。
一度、お正月に母の親戚が遊びに来たことがありました。
その時、けんちん旨煮も出そうということになり、鍋を持ってきた時の親戚のおばさんの、信じられない…というような顔が忘れられません。
北海道からこちらに来てからは、お正月といっても、家族全員あまり食べなくなったことから、一般的な大きさの旨煮を少し作るようになってしまいましたが、今でも時折りあの味を懐かしく思うことがあります。
でも、もし今、あのときと同じ材料で作ったとしても、同じ味にはならないでしょう。
我が家のけんちん旨煮は、北海道で作ってこその味なのだと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?