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二十数年ぶりに飾った押絵羽子板

新年、三日。
今日で三ヶ日が終わります。
我が家は今日でお正月は終わりです。

一昨年母が亡くなり、昨年は喪中だったので、何もしませんでしたが、喪があけて今年は、玄関ドアにしめ飾り、玄関と神棚に輪〆と鏡餅を供えました。
一人なので、年越しの料理、おせちも用意しませんでしたが、それなりに買ってきた惣菜を食べて、除夜の鐘を聞いて新年を迎えました。

元旦には、神棚と仏壇に手を合わせ、今年の安全と健康をお願いして、一日どう過ごそうかなと思いながら、はっと思い出しました。
羽子板を飾るの忘れた!

一昨年、母がまだ再入院する前、介護ベッドで寝ていた時、側にある書棚を片付けていたら、クッキーの缶がふたつ見つかって、蓋を開けてみると、なんとミニ羽子板が入っていたのです。全部で五体。

すべて母の手作りです。
札幌から引っ越してくるとき、数体あった大きな羽子板を知り合いにあげてしまったとき、ミニ羽子板もどこかにもらわれていったとずっと思い込んでいました。母もそう思い込んでいたのか、20数年もの間、一度も持って来たという話は聞いたことがありませんでした。
それが、五体も見つかったのです。

すでに相当弱っていた母ですが、「あったよー」と見せた時は、驚きとともに、満面の笑みを見せてくれて、とっても嬉しそうにしていました。
「来年のお正月は飾ろうね」と話していたのですが、結局、母はお正月を待たずに逝ってしまいました。

そうだ、これからでも飾ろう。そう思い立ち、二日でしたが五体全部を飾ざることに。ミニですが、五体もあるとそれなりの迫力があります。
潮汲み、禿、手習い、七枚笠、藤娘と名前がついていて、実は、顔も母が書いたもの。

手芸店の教室に何年も通い、最後は顔まで自分で描けるところまでいった母。こちらに引っ越してくるまで、自宅で生徒さんに教えていました。
顔は型紙を切り、それに綿を乗せて白地の生地で包むところまでは同じ。そこから、胡粉と言われる粉を溶いたものを刷毛で塗り、乾いたところに面相筆で、眉毛、目、唇を描いていきます。
面相筆の穂先は本当に細く、眉毛の一本一本を描いていくのを見てるだけで、気が遠くなります。
ちょっとでも手元が狂えば終わり、使い物になりません。
何枚も描いた中で、たった一枚を選んでいくのは、書道に似ています。
書道の場合は、数百枚のうちの一枚ですけど…

なぜか両親は、自分が手がけた物を私にもさせたがる人たちでした。
母はオルガン、編み物、日記に短歌、料理etc
父は書道
自分でしたいと言って始めたのは、お菓子作りくらいなもの。あとはみんな父や母が、半ば強制的にさせたものです。
そんな中、唯一、母に何度も勧められながら、強行に拒んで最後まで手がけなかったのが、押絵です。

母が、押絵を習い始めた頃からずっとその様子を見ていて、これは私には絶対無理、向いていないと気付くのに、そう時間はかかりませんでした。
パーツパーツの型紙をとり、それを貼って厚紙を切り、そこに綿を乗せ、金欄の布で包む。全部できたらそれを組み合わせていくのですが、なかなかきちんと組み合わせられません。型紙の切り方だったり、綿の分量だったり、載せ方だったり、布のサイズ、くるみ方まで、全部がうまくいかないと、きちんと組み合ってくれない。几帳面な母だからできる作業であって、私のような持続力のない、几帳面さにかけている人間には、到底できないと、やる前からギブアップしたのでした。

好きでやりたい、習いたいと言ってきていた生徒さんのなかにも、ちょっといい加減というか、アバウトに作業を進めていく人が何人かいて、いつも仕上げの段階で、母に助けられていたのを目にしたものです。
どんなに好きでも、向いているもの、向いていないものはあって、それを見極めないと、自分が苦労するなと、つくづく思いました。
あの時の、押絵はしないという判断は、今も正解だったなと思います。

そう言えば、貰われていった大きな羽子板たちは、どうしているかな。
今年もお正月に飾ってくれたかな。
そんなことを思いながら、ミニ羽子板たちを眺めています。





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