わかりやすさの罠
わかりやすく書く、喋ると言うのは、自分のことを知らない人へ向けの説明の仕方としてはとてもいい。
しかし、ときにはわかりにくいことを話さなければ深い話にはならない。
わかりやすい話はわかりやすい。だから考えなくても聞けてしまう。考えなくても聞けてしまう話は印象に残りにくい。
たとえば、応援してくれている人は何を言ってもコメントをくれる。頑張ってるね、ここをもっとこうしてみたら、あれがよかった、と。
一瞬、誤解を招くような言い方をする。
だからダメなんだ。
どういうことなのか。応援してくれている人は何をしても応援してくれる。ぼくがどんな人間なのかわかっているから「いつも頑張っているね」と言える。応援してくれているならと、その人たちを喜ばせるような語りを意識する。だがそれを意識してしまった時点で(表現者として)終わる。
だから自分のことを知られていない場へ行く。
すると、それまでやってきた語りがまるで通用しない。ぼくのことを知らないから聞く義理なんてないからだ。誰もぼくの話なんて聞かない。
そこで「聞いてもらえる語り」をする。でもだいたいは聞いてもらえない。信用がないからだ。
こいつの話を聞いても大丈夫そうだと思われるにはまず人の話を聞くこと。そこからだんだんと自分の話を小出しにしていき「話しても大丈夫そう」と思ってもらう。
ここで大事なのは、もったいぶらないこと。それと無害感を出すこと。
同業の方から営業や有料記事の書き方についてよく聞かれる。この有料記事にもたくさん書いているが、有料ゾーンだろうがなんだろうが聞かれたことは全て喋る。
「有野さんがやってきたことなのに、全部喋っちゃったらもったいなくないですか?せっかく有料にしてるのに」
これだ、これ。普通はそう考える。でもだからこそ喋る。
上手い下手、面白い面白くないの前に、人はわからないものは買わない。内容を知って初めて「買おう」と購買意欲が出る。ありがたいことに喋った後でも改めて記事を買ってくれる人がいる。復習のためという理由で。
だから勿体ぶらずにとことん話す。じゃあただ垂れ流せばいいかと言われたらそれも違う。
noteを始めたとき、「営業」や「フリーランスで声のお仕事をしていくには?」をテーマに書いていくことに決めた。その理由は本屋さんに行った時に、節約とダイエットについての本は一生無くならないよなと感じたからだ。
ぼくがフリーランスになった時のように、いつの時代もフリーランスになる人、独立をする人はいる。そしてその瞬間にあることに困る。
“仕事の取り方”
ぼくの記事はブレイクはしないだろう。だが、節約本やダイエット本と同じく息の長いコンテンツになる。そう確信した。
後付けの理由だろうと言われたこともあったがそれでいい。そう言われるということは、うまくいっているように見えるということだから。
まずはわかりやすく説明をする。その後にわかりにくいことをあえて話す。で、またそれをわかりやすく説明する。
一言でパッとわかってしまったことは頭に残りにくい。聞いてる側が考えなくても済むから。記憶に残したいならより、最初は分かりにくくする。で、考えてもらう。それから答えを出し「なるほど!」と思ってもらう。ま、結構諸刃の剣なんですけどね。
ナレーター
有野優樹(ありのひろき)