ドイツリートとフォルテピアノ
今年も梅雨の季節が早くも終盤に近づいてきました。このところいろいろ環境変化があって、この投稿もかなり久しぶりとなってしまいましたこと、お許しください。思えば、昨年5月の緊急事態宣言のさなか、note投稿を始めたころに比べると、現在は私自身、演奏活動にかなりの時間を割くことができるようになりました。これからは自分の演奏の現場やそこで体験したこと、日々学んでいること、コンサートの感想なども含めて、書き綴っていければと思っています。
この「とりのうた通信」で以前、「ドイツリートのピアニストたち」と題して記事を書きました。今回は、そのときに取り上げられなかったピアノの歴史的楽器、いわゆる「フォルテピアノ」とリート演奏の関係について、考えてみたいと思います。これまでも述べてきたとおり、ドイツリートは「ピアノ音楽」と言っても過言ではないほど、ピアノが重要な役割を担っています。そして18世紀末から19世紀、ドイツリートというジャンルが発展していった時代は同時に、ピアノという楽器が誕生して楽器構造的に大きな変革を遂げていった時代に重なります。まさにこの時期、次々と生産されるピアノという新しい楽器に作曲家たちが日常的に親しんでいたからこそ、ドイツリートの数々の名曲も生まれ出てきた…とも言えましょう。
チェンバロに代わり鍵盤楽器界に新規参入してきた当時のフォルテピアノは、様々な製造者により試行錯誤で作られていたこともあって、現在のピアノに比べ、1台1台に個性ある音色・特徴をもっています。近年は、日本の聴衆の間でもこうしたフォルテピアノへの関心は高く、製造年・製造地の異なる数台のピアノを一晩で聴けるコンサートなども開かれる機会が増えてきました。そうした場で聴くと、18世紀末と19世紀半ばとの50年ほどの差でも、ピアノの音色や音量は、全く別の楽器…と言ってよいほどに異なることが、比較的容易に聴きとれると思います。ドイツリートで具体的に言えば、ハイドンやモーツァルトの歌曲(1780~90年代)と、シューマンやリストの歌曲(1840~50年代)の生まれた時期の間に、ピアノの楽器そのものが変革を遂げていた…ということ。この時代区分に含まれるハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、リスト…は、いずれもドイツリートの作曲家でありますから、彼らの歌曲を考えるにあたって、この楽器の問題を軽視することはできないでしょう。もちろん、ここから現代のピアノに至るまでの変革の道のりも大きいのです。ピアノの歴史とドイツリートの歴史はリンクしている…。こうしたフォルテピアノの歴史や楽器についての基本的な解説は、コンサートでの実演つき紹介のほか、日本語でも読みやすい書籍が次々出てきています(CD音源つきもあり)ので、興味ある方はぜひご参照を。
リート演奏でフォルテピアノを使うことの意味は、おそらくピアノ独奏曲の場合に劣らず(いや、むしろそれ以上)、あるのではないか…と、私個人的には思っています。特に19世紀前半までのレパートリーについては、楽器の差異が大きいだけに意義が大きい。未熟ながら、歌い手として私自身の経験の範囲で言えば、リートの伴奏楽器として使用した場合、モダンピアノとフォルテピアノとでは、同じピアノとはいえ、全く違う楽器と共演している…そんな感触があります。芯の太いモダンピアノの音の安定感に対し、フォルテピアノは楽器ごとにクセが強く、音の発し方に緊張感があります。音の打点(起点)がはっきりしている上に、音の減衰も早い。…ということは、歌い手の発する音(言語)との合わせに、より緊張を伴います。歌い手もピアニストも、よりリズミカルな要素を意識した音楽づくりが必然になってきます。
一方、音量という点では、フォルテピアノは程度の差こそあれ、一般的にモダンピアノに比べてかなり抑えられているので、歌い手は過度に声を張り上げることなく自在に歌うことができ、特に弱音の追求が可能になります。繊細な声を持つ方なら、ピアノの音色との「絹糸」が絡んだような絶妙な溶け合い方にたまらない思いをされるのではないでしょうか。聴衆にとっては歌詞の言葉も聞き取りやすくなるかもしれません。またピッチ(音高)にしても、モダンピアノではa=440Hzあたりが基準で、声楽家はそれに合わせて声づくりをするわけですが、時代様式を考証すればそれも絶対的なものではありません。フォルテピアノを使ったリートの録音では、ピッチもさまざま(19世紀前半までのレパートリーでは、より低いことが多い)ですが、これは歌い手にとって朗報と感じる方も少なからずいるのでは?
ピアノの音量が抑えめだとは言っても、楽器の力量は侮れません。フォルテピアノは音域ごとに異なる特色を持ち、使う音域の変化から驚くべき音響効果をあげることがあります。シューベルトはリートにおいてピアノパートを比較的、低音域に置くことが多い作曲家ですが、結果的に当時のピアノの低音域の特色を実にうまく活かしています。もちろんモダンピアノが劇的な効果を上げるのはご承知のとおりですが、フォルテピアノですと、どちらかといえば音のふくよかさというより鋭さが剥き出しになり、楽器の感情的な「叫び」や「嵐」がかなり鮮明に聴こえてくる印象を受けます。また、19世紀初頭のウィーン式フォルテピアノに特徴的な「モデレーター」装置などにより、音色を驚くほど柔らかく変化させることも可能であり、妖しく幻想的な世界が生まれます。いずれにせよ、それを操るフォルテピアノ奏者の技量・経験が必須であり、楽器をいかに駆使してリートの詩的世界を表出するか、非常にチャレンジングな領域であります。
要は、モダンピアノでふだん歌っている(現在のほとんどの)歌い手にとっては、フォルテピアノを使ってみると、「なんだか…これまでとは違って色々気難しいところもあるし、合わせるの難しいのだけど、聴いたこともない世界を色々繰り広げてくれるし、声に寄り添ってくれる…」実に面白くて優しい存在…という感じ?でしょうか。そこからこれまでにはなかった新たなアイデア、解釈の可能性を探ることも可能ですし、モダンピアノに戻って演奏するときのヒントも得られるかもしれません。フォルテピアノは、モダンピアノほど屈強ではなく、人間の身体のように不安定な要素もあるので、楽器としての「声」に似ていると思います。だから演奏者同志がより聴き合い、支え合い、一体にならないと良い音楽が生まれない。そんなアンサンブルの基本(これはとどのつまり…モダン楽器でも同じことなのですが…)を教えてくれるような気がします。
2018年にショパン国際ピリオド楽器コンクール第1回が開かれ、日本人の川口成彦さん(1989- )が第2位を受賞。NHKの特別番組もあって、これをきっかけに日本でフォルテピアノへの注目度が急激に増したように思いますが、ヨーロッパでも日本でもかなり以前から地道に演奏活動をされる方々がいらして、現在につながっています。日本人では小林道夫さん(1933- )、渡邊順生さん(1950- )、武久源造さん(1957- )、故 小島芳子さん(1961-2004)、小倉喜久子さん(1967- )、そして今その教えを受け継いだ優秀な方々が次々と活躍されています。さて、ここではさらにドイツリートの演奏者として注目すべきフォルテピアニストの方、数名を紹介しましょう。(あくまでも個人的見解で選んでいて網羅的ではないので、すみません。)
まず、以前の記事「ドイツリートのピアニストたち」でも紹介したピアニスト、故イェルク・デームス(1928-2019)。彼は楽器コレクターとしても知られ、早くも1960年代から歌曲の伴奏楽器としてフォルテピアノを使用した録音を残しています。かのバリトン、フィッシャー=ディースカウとも、タンジェントピアノ(独語で”Tangentenflügel”)を使って、バッハの次男C.P.E.バッハの歌曲の歴史的録音を残しています。
デームスはエリー・アメリングとの数ある録音の中でも、しばしばフォルテピアノを使用しています(1960~80年代)。
リート歌手として現代ドイツを代表するテノール歌手であるクリストフ・プレガルディエン(1956- )は、モダンピアノと並行して早くからフォルテピアノとの共演を積極的に行っています。筆者には(1990年代だったと思いますが、)若きプレガルディエンが来日して東京大森の小さなホール、山王オーディアムでフォルテピアノの渡邊順生さんと、シューベルトの《美しき水車小屋の娘》を溌溂と歌われていたお姿が、今でも胸に残ります。当時、東京では渡邊さんが気鋭のフォルテピアノ奏者として活発に演奏活動されていましたが、まだまだフォルテピアノは物珍しい…といった風潮でしたね。プレガルディエンは同世代の鍵盤楽器奏者アンドレアス・シュタイアー(1955- )との共演で、フォルテピアノによるシューベルト等リート演奏を継続的に行いました。その一方で、ミヒャエル・ゲース(1953- )などのモダンピアノ奏者とも活発なリート演奏活動を行っており、シューベルト《冬の旅》などの重要な作品は、モダンピアノとフォルテピアノのどちらとの録音もあります。
プレガルディエンは、そうしたモダン・ピリオド両立の姿勢についてインタビューで問われ、単に経済的な理由と答えていますが、フォルテピアノは楽器メンテナンス上、経済的な負担が大きくなるので、コンサート活動の中でもケースバイケースで判断せざるをえない状況にありましょう。リート歌手としての彼のスタンスは(彼はギター伴奏によるシューベルト演奏も行っています)、異なる伴奏楽器から常に刺激を受けながら、自分の「歌」、自分の「声」の追求を続けている…ということ。つまり、決して固定化されることのないリートの「可変性」にアプローチし続けている…と思います。同じシューベルトやシューマンのリートを繰り返し歌いつつ…常に異なる楽器、異なる共演者の間を行き来しながら、リートを再生し続けている…ということ。リートの可能性を探っているということ。他楽器と異なり、永遠に「モダン楽器」でしかありえない声楽家としては、基本スタンスはモダンでもピリオドでも変わらない…。
さて、ピリオドと書きましたが、フォルテピアノなどいわゆる古楽器のことを「ピリオド楽器」とも呼びます。この楽器は何年にどこどこで製造された楽器だから、この時期(ピリオド)にこの地の音楽家が弾いていた、だからこの誰々の作品を演奏するにふさわしい…というように、歴史学的な視点に立っての「楽器」の捉え方です。歴史的な楽器は、楽器本来のそうした属性を考慮しながら演奏に使用されるのが妥当でしょうし、その演奏にあたっては、時代様式への習熟も必要です。ただ結果的に、いまピリオド演奏は現代音楽家にとって、それが歴史的に「正しい」解釈の演奏だから…ではなく、モダン楽器では成しえなかった(気づきえなかった)新たな表現の可能性を開く扉として機能している、と言ったほうがよいように思います。ピアノを例にとってみれば、歴史的に楽器として「進化」(…という言い方は適切ではないでしょうが)していく過程で、実は失われてしまった響き…もあるのです。それゆえに古い時代の楽器に触れて、ピアニストたちはファンタジーを覚える。ベートーヴェンの、シューベルトの生きた心根に触れる…。古い楽器が教えてくれることは多いです。そのいにしえの響きに導かれ、チェンバロやフォルテピアノを使い、現代の新しい音楽が生まれることもありえるのです。
横道にそれました?が、このクリストフ・プレガルディエンの息子、現代の若手リート歌手世代の代表ともいえるテノール歌手、ユリアン・プレガルディエン(1984- )は、やはり父の血を受け継いで、モダンピアノからギターまで、様々な伴奏楽器でリート演奏を展開している一人です。ここ1年もオンライン発信含め活動は積極的。最近フォルテピアノでは、特にベルギーの鍵盤奏者エルス・ビーセマンス Els Biesemans(1978- )との共演が目立ちます。彼女が自身のYouTubeチャンネルで演奏を配信していますので、ご興味のある方はぜひチェックしてみて下さい。筆者が特に感心したシューベルト《美しき水車小屋の娘》の全曲演奏をここで挙げておきます。1時間ほどありますが、ぜひ(区切りながらでもよいので)最後まで聴かれることをお薦めします。お気づきになることは多いでしょう。特に終曲は必聴。
そのほかでは、テノールのヴェルナー・ギューラとの共演が多いクリストフ・ベルナー(1971- )は、非常に優れたリート・ピアニストだと思いますが、フォルテピアノを使った演奏もあり、注目しています。マーク・パドモアと共演しているクリスティアン・ベザイデンホウト(1979- )のフォルテピアノ演奏も、これから話題を呼びそうです。
さて、このような演奏の数々に刺激を受けてきた私ですが、自分自身にとっては、フォルテピアノとの実際の付き合いはまだ始まったばかりです。来る2021年7月11日に、初めて1830年代ゾイフェルト&ザイトラー社製スクエア・ピアノ(ウィーン式)を使用するフォルテピアノのコンサートにて、リートを数曲歌わせて頂きます。鍵盤楽器奏者、武久源造さんの所有するオリジナル楽器で、1830年代に作られたということは、シューベルトが亡くなってまもない(シューマンがピアノ曲をさかんに書いていた)時期にウィーンで生まれた楽器ということになります。近くで聴いていると、温かくとてもロマンティックな薫りの音がします。
こちらのコンサートのご報告や、さらにドイツリートの学びについて、またこれから随時発信していきます。特にフォルテピアノを含む、18世紀末~19世紀前半のリート文化を再考するテーマに関連して、今後まだ論じていきたいことはたくさんあります。改めて「とりのうた通信」をどうぞよろしくお願いいたします!