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勉強・仕事・人生の目的——感動を求めて
子どもたちはしばしば大人から勉強しなさいと言われます。しかし、「なぜ勉強するのか?」という問いへの答えは人により様々であり、答えを持っていない人も多いでしょう。
私の考えはこうです。「勉強するのは将来の信用を得るため。」信用というのは、この人は自分に貢献してくれる、という他者の期待と言えるでしょう。ここで言う他者とは人間を指すことが多いですが、網羅的に理解するならば人間に限らず、動物や植物、さらに言えば機械や環境など無生物との関係においても自己と他者が成り立つでしょう。こう言い換えてもよいかもしれません。「勉強するのは未来に誰かの役に立つため」
そして、私たちはよく「なぜ仕事をするのか?」という問いに悩みます。私はこう考えます「お金と信用を稼ぐため。」お金や信用は生活や願望を可能にするのに必要です。お金と信用の違うところは、お金は使ったら減りますが、信用は使っても減らず、正しく使えば実績や経験値によりむしろ増えていくところだと言えるでしょう。ただし信用は使わなければ減っていきます。この特徴は技能や体力、資産に似ていると言えます。
また、「何を仕事にすればいいのか?」ということもよく議論されますが、これを議論する前に「自分はどうやって信用を得ることが得意か?」を考える必要があるでしょう。言い換えれば「他者の役に立つために自分ができることの中で、自分がムリなくやる気を出せることは何か?」ということかもしれません。
「他者の役に立つ」かつ「ムリなくやる気を出せる」ことを仕事にすることで、効率よくお金と信用を稼ぐことができるでしょう。そして、この答えは個人の能力や経歴、背景、特性により大きく異なりますから、何がベストという答えは絶対にありませんし、必ず自分で考える必要があります。
そして、多くの人はお金や信用を稼ぐことそのものを人生の目的に置いていますが、私は「お金や信用そのものは目的ではなく手段」であり、本当の目的は「自分が他者(世界)と関係することを頭でなく心で感じること」だと考えます。これを簡単に言うと「感動すること」です。
お金や信用があればあるほど「感動する」ための選択肢が多くなることは事実です。しかし、たとえ他人が羨むほどのお金や信用を持たなくても、何かに感動することはできる。これもまた真実と言えるのではないでしょうか。
私たちは「何かに感動する」ことを「何かに心を動かされる」と表現します。これは受け身の表現に見えますが、実際には自分自身で心を動かされる場所に行かないと感動することもないので、自分で自分を動かしていることにもなるでしょう。つまり他人任せでは感動は得られないので、自分で動いて取りに行く必要があるということです。
私たちは社会から他者の役に立つことを求められていますし、そうすることでお金と信用を稼いで生きています。しかし、たとえ他者の役に立てる自信がないとしても、感動を取りにいく(又はそうしようと努める)ことはできるかもしれません。
さらに、自分が得た感動を他者に伝える(又はそうしようと努める)こともできるかもしれませんし、感動が他者に伝わればそれは言うまでもなく他者の人生の目的の役に立つことになります。自分の現在地を客観視して感動の方角へ進んでいくことが大切だと思っています。