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本当に必要なのは「やめたいことリスト」だと思った理由
わたしは今年初めて「やりたいことリスト」を作りました。
ひとつひとつ実行しているところですが、少し立ち止まって考えていることがあります。
それはやりたいことを実行するために、まずはやめるべきことがあるという現実についてです。
今回の記事では「やりたいこと」の限界と「やめたいこと」がもつ可能性について考えました。
「やりたいこと」の限界
やりたいことリストを作り、行動するなかで気づいたことがあります。
ひとつは、自分の欲が有限であることです。
長期的な目標や野望(のようなもの)はありますが、一年単位で見るとやりたいことを100個挙げられるような欲や好奇心は無いことに気づきました。
もうひとつは、やりたいことをする時間と体力がないことです。
今の生活に加えて新たにやりたいことを実行するにはスケジューリングが難しく、停滞してしまいました。
このことから「やりたいこと」をベースに行動を組み立てることに限界を感じました。
そして「やりたいことリスト」を眺めていると、やりたいと言うより「やめることをやりたい」状態になっている項目があると気が付きました。
つまり、やりたいことのなかに何かをやめることが含まれていたのです。
ここから「やめること」について考え始めました。
「やりたいこと」と「やめたいこと」の違い
一例として、わたしが「やりたいことリスト」に書いていた「やめたいこと」を挙げます。
・着ない服を捨てる
・SNSを見過ぎない
・帰り道のコンビニショッピングをやめる
・意味のない夜更かしをやめる
これらの「やめたいこと」は自分でも知らず知らずのうちに習慣化してしまっていることが多いです。
無意識に習慣化した行動なので、時間を取られている自覚も薄いうえに満足感もないのが問題点です。
今の自分をより良くしようとしたとき、時間を占めている既存のものについてではなく、どうしても新たに何かを増やそうと考えてしまいます。
新しく挑戦することはポジティブで新鮮なイメージをもつ一方で、何かをやめるというのはネガティブなイメージを持つからです。
しかしやめることは、何をやりたいかと同じくらい重要だと思うのです。
なぜなら、やりたいことが自分の興味の対象と行動を増やしていくことだとすれば、やめることは時間を作り出すことができる行為だからです。
まずは自分の行動を把握し、整理することです。
キャパシティの自覚と拡張
なぜこれほど「やめること」について考えるようになったかと言えば、ここ数年自分のキャパシティを感じさせられる出来事が多かったからです。
ここでいうキャパシティとは自分が世の中の存在に対して抱える関係性の総量を指します。関係性から生まれる行動量の総量のようなイメージです。
一番分かりやすいのは人間関係です。
自分の生活の中で交流に使える時間って限られています。そのなかで誰といつ会うか、どんなことをするか、選ばなくてはいけません。
自分の家や部屋の状態ももキャバシティの管理に大きく関係があると思うようになりました。
これまで「家が整頓されていると気持ちがいい、運気が上がる」といった言説の意味が分かりませんでした。
しかし、
所有物すらまともに管理できてない
自分の環境を作っているものに無頓着
という観点から考えると理解できます。
多くの物を所有するということは、多くの関係性を持つことだと考えるようになったからです。
様々な関係性を増やし続けて入れ替えないことは、キャパシティを狭める一方だからです。それが新たなチャンスの入り口を確実に狭めます。
大学生活で自由な時間とお金が増えた結果、得たものを消費するだけの自分になっていたと気づけたのはわたしにとって大きな実りです。関わる人も物を増え続けた結果、自爆状態になっていたので。
個人の時間は有限で、体力も有限です。関わる対象を増やし続けることはできません。
キャパシティを拡張させるには、まずはやめることです。
自分の生活、ひいては人生を好転させるために必要なのは、行動の把握と整理です。
目標を達成し理想に近づくためには悪習を取り除き、身軽な自分でいる必要があると改めて実感できました。
読んでくれた方で、目指す姿がある方は一緒に頑張りましょう✊🏻
ゆかり