からだの話
ふとした時に、どうしようもなく自身の身体が受け入れられなくなるときがある。身長や四肢の大きさ、肌のきれいさなどなど、じっくり見れば見るほど腹の底で何かがぐるりと蠢く。直視したくないがために風呂にも嫌気が刺すこともある。ジェンダーバイアスやルッキズムが根底にあるのだろう。
しかし、胸に大きく残る手術痕に対しては、安心感を覚えるのはなぜだろうか。
先天性の心疾患があり、齢一年にして手術をした。もちろん記憶はないが、いくつもの奇跡の積み重なりでどうやら私は生きているらしい。生まれた時に偶然心臓外科の先生が病院にいたり、容態が危なくなった際は数日間胸を開けっぱなしにしてやり過ごしたという。
普通なら、からだの作りよりもまず先に醜さを感じるはずの手術痕。ふしぎと不快感は感じない。
ジェンダーという社会的概念に囚われることなく、アイデンティティとして自分を規定することができるからだろうか。
普段人に見られることがないから気にしていないだけだろうか。
無理をしてでも私を生かそうとしてくれる心臓の、苦労の証明になり得るために否定したくないのだろうか。
はっきりした理由は分からない。けれど、確かに言えることとしては、私はこの傷が何となく好きだ。
この扉の向こう側に、ボロボロになりながらも、休まず、必死に、鼓動を刻み続ける君がいる。
誰より近い、文字通り私の命そのものだ。
君に恥じない生き方をしないといけないね。
共に果てるその日まで、がんばろうな。
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