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家々の台所から自慢の味が大集合!謎めいた【新春「鮭飯寿し」大試食会】に潜入

生まれ育った地域を出てまったく別の土地で暮らし始めると、それまで出合うことのなかった食文化に衝撃を受けることがあります。

神奈川県から北海道の道東へ移住した私を最初に震え上がらせた食べ物、それは「鮭の山漬け」。
塩鮭の一種といえますが、よくある甘塩の鮭とはほど遠く、お歳暮の定番・新巻鮭とも似て非なるもの。
その作り方は非常に手間がかかります。内臓を取り除いた鮭のお腹の中や表面に惜しみなくたっぷりと塩を擦り込み、その鮭をそれこそ山のように何匹も重ね、上下を入れ替えてまんべんなく水分を抜きながら1週間〜10日ほどかけて熟成させます。
最後に寒風にさらして干す、という工程を経てようやく完成するのです。

その身の漬かり具合は尋常ではなく、初めて食べた時は脳天を突き抜けるようなしょっぱさに「もはや鮭味の塩……!」とショックを受けました。
それもそのはず、塩辛いものが大好きな夫の勧めでそのまま焼いて食べたからです。
一般的には薄い塩水で塩を抜き、浸透圧で好みの塩加減になってからいただきます。
けれど「そのままが好き」というストロングな食べ方の人が一定数いるのも確か。
慣れとはすごいもので、今では私も「せっかくの旨味が抜けちゃうじゃん」と比較的塩辛い塩梅でお茶漬けにしたりおにぎりにしたり、ちびちびとつまみながらお酒を飲んだりして楽しんでいます。

鮭を山のように積み上げ、重石をして塩蔵する昔からの伝統的な製法である「山漬け」別海町観光協会提供​​)

今回は、その山漬けを主原料に作られた「鮭の飯寿(いず)し」が主役のお話です!


北海道の郷土料理「飯寿(いず)し」とは?

「飯寿し」、これも私が北海道に来てから初めて知った食べ物のひとつ。
全国各地に存在する、魚介類とご飯と塩で作る「なれ寿し」の一種で、こちらは山漬けとは打って変わってひと口目から「好き!!」と気に入りました。
爽やかな酸味と野菜の歯応え、口の中にじゅわっと広がる鮭の旨みに、「はやく日本酒を……!」と瞬時に楽しみ方を悟ったものです。

飯寿しは道内各地で作られており、原料は鮭のほかにニシン、サンマ、ハタハタ、ホッケ、さらには道東で「メンメ」と呼ばれる高級魚のキチジなどさまざまなものがあります。
その土地で豊富にとれる海産物を保存食として長く楽しむ知恵ですから、「鮭の聖地」源流のまち・標津町ではおのずと鮭を使った飯寿しが主流になりました。
昔から各家庭で作られてきた郷土の味ですが、全道的に今では手作りする人が少なくなっているようです。

鮭を使った飯寿し

愛すべき郷土料理を後世に残そうと、標津町で開催されているちょっと変わったイベントがあります。それが「新春『鮭飯寿し』大試食会」。
みんなで持ち寄った手作りの飯寿しを食べ合い、出来栄えの人気投票をするというなんとも独創的なイベントです。

家庭の味ゆえに飯寿しを仕込んでいる現場を見る機会はなかなかありませんが、幸運なことに今回、大試食会に毎年出品しているというお宅で飯寿し作りを見せていただけることになりました!

ご近所付き合いのマストアイテム!? 飯寿し作りに挑戦!

お伺いしたのは、標津町で漁業を営んでいる布袋さんのお宅。
昭和16年生まれの嘉津子さんと娘のかよさんが快く迎えてくださいました。
嘉津子さんは青森県のご出身。
何年くらい前から飯寿しを作っているのかを尋ねると、「お嫁に来てからずっとですよ。教わったというより、母と一緒に作りながら覚えたの。そうねぇ、毎年、4樽は漬けるかしら」。
嘉津子さんが使っている樽では、なんと鮭30匹分!
そんなに漬けて消費できるんだろうか?という心配は無用。
飯寿しはたくさん作って親戚やご近所さんに配るのも慣わしのようなものなのです。「今年は水が上がるのが早かったのよ」、「ちょっと酸味が強いかもしれないけど」などとその年の出来についてコメントしながら「マイ飯寿し」をお裾分けするのが年末や新年のご挨拶にもなっているのだそう。
そんな素敵な習慣とともに、飯寿し作りが受け継がれているんですね!

飯寿し作りの準備は、鮭がとれ始める8月ごろからもう始まります。
とれた鮭に軽く塩をふって冷凍しておき、寒くなる11月ごろにまとめて山漬けを作ります。
飯寿しは「昔は40日間くらい漬けたけど、いまは1か月くらいで食べごろになる」そう。
お正月前後に漬け上がるのを見込んで、11月下旬〜12月初旬に本格的な作業に取り掛かります。
この日、布袋さんのお宅ではすでにほとんどの鮭を漬け終えていましたが、レクチャーのために6本の鮭を残しておいてくれていました。
地下水で3〜4日かけて塩抜きしたというその鮭は、山漬けによって水分が抜けてひと回り小さくなっているにもかかわらず、なかなかお目にかかれない大きさ。
「本当はオスのほうが身が締まって味がいいんですけど今年はメスなんです」というものの、銀ピカの皮で身は赤く、私には十分すぎるくらい立派な鮭に見えます……!

用意されていた材料は以下の通り。

・塩抜きした鮭の山漬け
・大根
・ニンジン
・生姜
・湯通ししたイクラ
・炊いたごはんに麹を混ぜたもの
・酒
・酢
・砂糖
・鷹の爪

生の魚を使う場合は塩も必要になりますが、標津町では山漬けを使うのが一般的
あらかじめ飯寿しにちょうどいい塩加減にしてあるため、塩は入れません。
家庭によってキャベツやキュウリ、グリーンピース、柚子の皮などを入れることもあるそう。
布袋家では味に深みを出すためイクラを入れます。贅沢!

いよいよ先ほどの大きな鮭をさばいていきます。
ご厚意で包丁を持たせていただきましたが、私が鮭をさばくのは年に2〜3回程度。
そのたびに「はて、腹からがいいか、背からがいいか?背に包丁を入れるのは尾側からにするか、頭側からにするか?片面終えたらひっくり返すか返さないか?」と自分のやり方が定まりません。

何かあれば心強い先生に助けていただこうと、えいや!と包丁を入れました。
頭とカマを落とし、三枚卸に取り掛かります。

いつものように身がデコボコになり、たっぷりと中落ちを残して片面が終了。
その間、嘉津子さんは流れるように手際よく鮭をさばいていきます。
当然、断面は雲泥の差。

大事な飯寿しの主役なのにスミマセン……!と申し訳なく思っていると、「中骨はたっぷり身が付いていたほうが焼いて食べるのにいいですから〜」と、かよさんの優しいお言葉。
焼いた中骨の身をほぐし、鮭フレークにして冷凍しておくとおにぎりなどに使いやすいのだとか。確かに!

気を取り直し、中骨をすいてなんとか三枚卸が完成しました。
頭はどうするかというと、鼻の上から額にかけての軟骨、いわゆる「氷頭(ひず)」の部分を削ぎ落とします。
その氷頭をひと口大に刻み、これも飯寿しの材料に。
氷頭を入れるのも味をよくする秘訣なのだそうです。

そして三枚に卸した鮭のフィレを縦半分に切り、幅1.5cmほどの小さな切り身にしていきます。大根は拍子切り、ニンジンと生姜は千切りに。
「鮭の厚みや大きさは作る人で違うんです。大根も薄く切ったり厚くして食感を残したり、イチョウ切りにしたり」と嘉津子さん。

こうしてお話をしながら一緒に台所に立っていると、「飯寿し作りはまさにこんなふうに継承されてきたんだなぁ」なんて、家族のほほえましい風景がじんわりと心に浮かんできます。

かよさんもきっと……と思ったら、「私は飯寿し食べないのよ、生魚が苦手で!」とまさかの展開。
「だから子どものころから魚料理を食べた記憶がほとんどなくて、うちが漁師だってことも知らなかったくらい」。あはは〜!と笑い話をするかよさん。
でも、だからこそ魚嫌いの気持ちがわかるということで、10年ほど前に漁業者の妻を中心とした「しべつAmie(アミー)」というグループを作り、鮭を美味しく手軽に食べるための料理を考案しているのだとか。
飯寿しを作るようになったのも、その活動を始めてから。嘉津子さんとはまた違ったアプローチで、標津の鮭という地域の宝物を大切にしているのですね。

しべつAmieのみなさん

「うちのやり方」で仕込み、最後は醗酵にゆだねる

材料を切り終えたところで、ようやく下準備の終了です。
「飯寿し作りは切るのが一番大変」と嘉津子さんが言うように、大量の鮭や野菜を刻んでいくのは大変な作業。
ひとりより複数人で取り掛かったほうが効率的ということも、親から子に受け継がれやすかった理由のひとつかもしれません。
そして最後の大仕事、樽詰めに入ります。
あらかじめ麹と砂糖を混ぜておいたご飯に酒を振り、酢を入れて酢飯を作ります。
そこに鷹の爪とイクラも投入します。

ちなみに使った酢は「ひめ酢」という銘柄。
飯寿し作りには長らく、鼻を近づけるとむせるほどの強烈な酸味を持つ「ムスメ印 元祖 酢の素」(通称・ムスメ酢)という銘柄が親しまれていたことは私も知っていました。
「飯寿しはこれじゃなきゃ」という人は多かったようで、仕込みシーズンになると漬け樽や麹とともにスーパーの店頭に並んでいたのです。

ところが数年前に製造メーカーが廃業。
「あの酢」を探してみなさん奔走したそうですが、現在はもうどこにも見当たらないとのこと。そんな困った状況に光を与えた救世主が、この「ひめ酢」でした。
ラベルに「ムスメ」を彷彿させる「ひめ」が描かれたこの酢も、強烈な酸っぱさを備えています。
材料ひとつでオイルショックさながらの混乱を招く飯寿し。
「うちはこの味」という思いの強さの表れではないでしょうか

布袋家では酸味を強めに加えるのが好みとのことで、何度も味見しながらちょうどいい酢加減の酢飯を作っていきます。
「酸味、甘味の具合も好みが分かれる」そうですが、嘉津子さんは「何年作っていても毎年違う味になるんですよ」と言います。

味噌作りなどと同じように、醗酵に仕上がりをゆだねる飯寿し作りは、その年の気温・湿度の変化や鮭自体がもつ水分や旨みの違いなどによって、同じ味わいにはならないのが奥深いところです。
そうなると、ものをいうのはやはり経験ということになるのでしょう。

まずは樽底に大根、ニンジン、生姜を敷き詰め、酢飯を入れて平らにならします。
そこへ鮭の切り身を皮が下になるようにきれいに並べていき、再び酢飯をまぶします。
そして最初に戻り、大根、ニンジン、生姜……という具合にミルフィーユ式に樽詰めを進めます。
最後は野菜で終え、忘れずに氷頭も並べて樽詰めが完了。

普段は木製樽を使用しますが、今回は撮影用にプラスチック容器を使用しています

その後、水分が表面に上がってくるまでは室温に置きます。
布袋家では嘉津子さんの寝室に置き、一緒に寝るのだそう。
飯寿しもきっと、安心感に包まれて眠ることができるでしょう。

水分が上がったら5℃前後をキープできる場所に移動させ、浸かりの進行具合で重しを増やしながら、しっかりと鮭の身を締めていきます。

「せっかくなので今回の樽も出品してみませんか?」というかよさんのご提案により、恐れ多くもエントリーすることに。
さて、どんな仕上がりになるのか?年明けのイベントが楽しみです!

4年ぶりの開催!新春「鮭飯寿し」大試食会に潜入

年が明けて2024年1月13日、土曜日。
いよいよ第25回 新春「鮭飯寿し」大試食会の日がやってきました!
あの飯寿しはどんな仕上がりになったのか? 期待と不安が入り混じる気持ちで会場となる標津町生涯学習センター「あすぱる」へと足を踏み入れました。

約600人収容できるという広々とした多目的ホールの中は、まるで式典のような華やかさと厳粛さ。
舞台にはイベント名が大きく掲げられ、純白のテーブルクロスをかけたテーブル席が並びます。

中央の長テーブルには、各家庭から出品された飯寿しがずらり。
会場に甘酸っぱい香りを漂わせていました。後ろのほうには観客席が設けられ、華々しいイベントをギャラリーが見守ります。

みんなで飯寿しを持ち寄って……という寄り合い的な雰囲気を想像していたのですが、まさかこれほどの大イベントだとはびっくり!

上座には来賓席まであり、根室振興局副局長、標津町長、根釧東部森林管理署署長、陸上自衛隊標津分屯地司令など錚々たるお名前が並んでいます。

その中には、第26代 標太・津々という肩書きも。
彼らは「二十歳のつどい」で選ばれた男女の若者で、町内の各イベントで大事な役を務めています。今回はプレゼンターとして出席。
町を挙げての大イベントの様相に、否応なく期待が高まります。

出品者たちのために用意されたテーブル席に、かよさんの姿を発見!
布袋家からは嘉津子さんが作った飯寿しと、一緒に作らせていただいたかよさんの飯寿し、2品を出品しています。

あの飯寿しの出来具合を尋ねると、「メスだからちょっとやわらかめかなぁ。でも食べられますよ!」と含みのあるお言葉。
一体どういうこと!?
今すぐにでも食べてみたい気持ちですが、大試食会では誰が作ったものかわからないように飯寿しを並べています。
でも大丈夫、「おみやげに持ってきたから食べてみてね」と貴重な飯寿しを分けてくださいました!
あの日の飯寿しは、自宅でゆっくり味わわせていただくことに。

厳正な審査で大賞を選ぶ。しかし優劣は競わないのが標津の流儀。

町が誇るべき伝統食を守り、地域住民の交流をはかるため、観光協会が立ち上げたこのイベント。

コロナの影響で3年間中止を余儀なくされ、今年は4年ぶりの開催。町内や近隣の町から32品(うち2品は第23回・24回名人の作品で審査対象外)が出品されています。

出品ルール
・標津町産の鮭を使った飯寿しを500g出品すること

審査方法
・一次審査で6品を選出(6テーブルに分けて置かれた飯寿しを試食し、投票にて各テーブルから1作品を選出)※審査員は各出品者と、会場から抽選で選ばれた方)
・二次審査 ※審査員は来賓14名及び実行委員6名

上記のような厳正な審査のうえ、最も出来栄えの人気を集めた大賞と、優秀賞、審査員特別賞を選出します。
オープニングセレモニーとして町立標津中学校の吹奏楽部による華やかな演奏のあと、来賓紹介と挨拶、審査説明が行われました。

印象的だったのは、「この大試食会は味の優劣を競うものではございません」というお言葉。
家庭に伝わる伝統の味はそれぞれ素晴らしく、みんなが集って交流することで、標津町の郷土料理を育んでいくことこそが真の目的。
なるほど、だから「大会」ではなく「大試食会」なんだ!と深く感銘を受けました。

一次審査が始まると、審査員のみなさんが各テーブルの5〜6品の飯寿しを慎重に試食していきます。
それにしても、材料や作り方が人によって少しずつ違うとはいえ、鮭の飯寿しであることは同じ。そんなに違いがあるの?私にもわかるのかな?と心配な気持ちも芽生えます。
けれど食べ進める審査員の方々の声を聞いていると、「これは甘味も酸味もあって、子どもの頃から食べてるような味がする」「こっちはスパイシーな感じね」など、しっかりと違いを感じているようです。

一次審査のあとは一般来場者にも試食の時間が設けられています。これは試食が楽しみ……!

こんなに違うの!? 同じ人でも再現不可能、それが飯寿し

一次審査の集計を待つ間、標津漁業協同組合女性部による「鮭すり身汁」の振る舞いや、裏千家淡交会根室支部森岡社中によるお茶席が用意されていました。
初めて食べる鮭のすり身は、鮭とでんぷん、卵白だけで作っているそう。
ふんわりとした食感と鮭の香りが最高!

水産加工品や乳製品の販売、地元特産品が当たる抽選会まであり、出品していなくても存分に楽しめるイベントです。

飯寿しの美味しそうな匂いに食欲を刺激されていたお腹がなんとか落ち着いたところで、一次審査の結果が出ました。
なんと同点票がいくつかあり、6テーブルから9作品が二次審査へ進出。とくに3番テーブルは6品中3品が同点票という激戦区となりました。

そしてお待ちかねの試食の時間です!
用意された紙皿と割り箸を手に、いざ中央の長テーブルへ。
これほど飯寿しが並んでいる場面を私はいまだかつて見たことがありません。

近くに寄ってまじまじ見比べてみると、なるほど確かに野菜の形や大きさ、入っている食材、全体の色味などにバラエティの豊かさを感じます。

少しずつ取り分け味わってみると……酸味と甘味のバランスに明らかな差があるではありませんか!
最終的には「好み」ということになりそうですが、鮭自体の旨みがやはりキーポイントになっている模様。
噛み締めるほど鮭の旨みがじわっと滲み出るものは、周囲の野菜にもその旨みが深く深〜く、染み渡っているのです。

「今年は暖冬だったから漬かりが早かったわね。同じように作っても毎年、出来が違うの」と話してくれたのは、出品者の金子栄子さん。
このイベントに第1回から出品していて、これまで2度の大賞に輝いたほどの熟練者です。
それでも毎年違うなんて、飯寿しとは本当におもしろいものです。
もう少しこうなってほしかった、そんな心残りが生まれやすいから、また来年もと挑戦したくなるのかもしれません。

人から人へ、そして未来へと続く飯寿しの道

お茶を飲んで落ち着いたところで、来賓と実行委員による二次審査に入ります。

集計の間、再び一般来場者へのうれしいイベント、大抽選会が始まりました。
抽選券の番号をもとに、プレゼンターの標太と津々が抽選を実施。
標津サーモン科学館グッズや鮭とばセット、一本まるごとの新巻鮭など、標津ならではの賞品が次々と手渡されていきます。続いて、出品者への抽選会も行われるという大盤振る舞い。
大試食会は、出品も観覧も無料のイベントです。会場にいるだけで試食や抽選会に参加できるなんてお得すぎます!

イベント開始から2時間ちょっと経った15時過ぎ、運命の瞬間がやってきました。
「それでは第25回 鮭飯寿し大賞の発表です!」という声とともにドラムロールが鳴り、自分の名前が呼ばれるわけじゃないのにドキドキと緊張感が走ります。

審査員特別賞、優秀賞、大賞の順に出品番号とお名前が発表され、受賞者たちが舞台へと上がっていきました。
今年の大賞に輝いたのは川畑佳奈さん。
なんと飯寿し作りはまだ2年目、大試食会には初出品というルーキーです。

しかしそのお名前にピンときました。
標津町の宿、標津温泉ぷるけの宿 ホテル川畑の娘さんです。
お母さんはこのイベントで大賞を取ったことのある名人。
大試食会の使命である伝統の継承、その瞬間を見た気がしました。

当の川畑さんは、「教えてくださった先生がおりまして、今回は3人で作ったので私ひとりの力というわけではありません。また出品できるようなものができるかどうかわかりませんが、これからも毎年作ろうと思っています」と謙遜。
実行委員会からは大きな漬け樽が授与され、温かい拍手とともにイベントが幕を閉じました。

思っていたよりずっと大掛かりなイベントでしたが、鮭の町で脈々と受け継がれてきた飯寿しを近所に分け合い、その年の出来栄えをああだね、こうだねと話しながらおいしくいただく、その普遍的なお裾分け文化の温かさが会場を包んでいるように感じました。

その夜、かよさんからいただいた「あの飯寿し」が食卓の真ん中に堂々と鎮座していました。傍にはもちろん日本酒。
恐る恐る口へ運ぶと、布袋家好みの爽やかな酸味が鼻に抜け、鮭と野菜の旨みが広がっていく……!
美味しさはもとより、「これ私も手伝ったんだよ!」という誇らしい気持ちに日本酒もすすみ、多めにいただいた飯寿しがあっという間にお腹の中へと消えていったのでした。

自ら作り、子育てのように成長を見守ったなら、きっとさらに愛着が湧くはず。
今年は私もマイ飯寿しを作ると誓います!

ライター:春日明子

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