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所長コラム⑳「無意識の世界に『偏見』は存在するのか?」

 ACジャパンの以下のCM、テレビでよく目にしていました。自らの心のうちに自分でも気づかず有している物の見方があり、その見方によって苦しんでいる人たちがいるならば、その見方を偏見と気づき、その偏見をなくして行きたい。CMの趣旨に全く異論はありません。

 ただ、以下の文面に違和感を覚えました。果たして無意識の世界に「偏見」というものが存在するのでしょうか?「意識せずに(not conscious)」と「無意識のうちに(unconscious)」では、だいぶ意味が異なると思います。私が違和感を覚えたのは、あくまで「無意識(unconscious)」という概念です。

「私たちは、無意識のうちに性差や男女の役割について固定的な思い込みや偏見を持ってしまいがちです」

https://www.ad-c.or.jp/campaign/self_all/self_all_02.html

 カリフォルニア工科大学の認知心理学を専門とする下條信輔教授は以下のように述べています。

無意識の状態に関する真偽を決める特権は、誰が持つのか、(中略)、無自覚的動機を判断する権利は、皮肉なことに、たとえば友人や心理学者など、他者が持っている。

下條信輔「<意識>とは何だろうか」講談社現代新書(2006)

 無意識の世界なんて見たことも味わったこともないのに(味わった時点で意識世界なので)、「無意識の世界に偏見が存在する」と言うのは、それ自体が偏見ではないでしょうか?

 偏見とは、ある物の見方が特定の社会的価値観からズレているということだと思います。つまり「偏見がある」ということは、「偏見と見なす他者がいる」ということでもあると思います。

 ACジャパンの上記文面を正確に表現し直すなら、「私たちは自覚なしに、偏見と見なされる物の見方を有してしまいがち」なのだと思います。

 無意識の世界に偏見があるということが一般化されると、個人が自らの無意識に対して否定的な意識を持つ可能性があります。あるかどうかも確かでない無意識の世界に、偏見を見つけ出そうとする視点を向けさせられることは、偏見を強化する結果になることも懸念されます。

 私は無意識の世界は個人の自由の世界であり、毀損されるべきでない不可侵な領域だと考えています。偏見をなくす広報という目的のためにも、自己矛盾が生じ得る「無意識」という概念の使用を止めて、例えば「無自覚に」とか「前意識のうち」といった言葉を使用して頂きたいと願っています。

■著者プロフィール

松本 桂樹(まつもと けいき)
ビジョン・クラフティング研究所 所長
神奈川大学 客員教授

臨床心理士、公認心理師、精神保健福祉士、キャリアコンサルタント、1級キャリアコンサルティング技能士、健康経営EXアドバイザー、日本キャリア・カウンセリング学会認定スーパーバイザー。