すでに恋に落ちかけていたのだろうか
男は初めての手術に少し怯えていた。
開腹ではなく腹腔鏡だからと説明はあったが、男にとっては同じこと。
手術経験はあるが、太腿のナゾのできものを切除した一度きり。
お腹に穴を開けるのはまた話が違う。
手術前日の担当看護師は男性だった。
いい人だったが、心が弱ったとき看護師の優しさに恋をすると聞いていたから、担当が同性であることを男は少し残念に思った。
手術の朝、麻酔科医が来て全身麻酔の説明をした。
眠っている間に終わるから安心してというが、その眠りが覚めなければ終わるのは人生なのだ。
以前、心臓にカテーテルを入れたときは局所麻酔だったので、手首に穴を開ける感覚は今も鮮明に記憶しているが、それでも全身麻酔よりはずっとマシに思えた。
ふと病室の入口に、若くかわいらしい女性看護師の顔が覗いた。
なぜかためらって中に入ってこない。
「○○さん、担当でしょ? 早く点滴の準備!」
麻酔科医にそう促され、はいと答えたのは入口に立つ看護師だ!
今からが心弱って恋に落ちる本番、予想外の展開に男は色めいた。
「点滴つけれる? 代わりにやろうか?」
他の看護師が心配そうに見にきた。
どうやらまったくの新米看護師のようだ。
「いえ、できます!」
手術室前で待つ間、男は新米看護師と話した。
「白いカバン、そんなふうにたすき掛けにしてたら、田舎の中学生みたい」
「アハハ。ですね。靴を回収して病室に持ち帰るためのカバンなんです」
看護師というには無邪気で、まるで高校生と話しているかのようだ。
「○○さん、帽子つけて! 何してんの!」
迎えに出てきたオペ看護師が、新米看護師を叱りつけた。
話に夢中になって帽子をつけるのを忘れていたようだ。
頼りない…とは思わず、かわいいなと思った男は、すでに恋に落ちかけていたのだろうか。
術後、目を覚ました男の意識はマーブル状に混濁している。
時間とともに少しずつ晴れてきた視界に、新米看護師が立っていた。
「××さん、分かりますか?」
分かる分かる…でも「んあうぅ」としか音を結べない。
「私の手をギュッと握れますか?」
え? いいの? ギュッと?
でも口から出る音は「へぇ」としか…あきんどか。
男は看護師の手を握ろうとしたが、指に力が入らない。
せっかく握ってといわれているのに…
と思った次の瞬間、看護師が男の手をギュッと握った。
「すぐ感覚戻りますからね。がんばってくださいね」
弱った心が、キュン。
いや、ズキューン。
***
「僕」を「男」と書いてみたけどバレバレだろな。
少しは小説のように読めただろうか。
(2022/10/6記)
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