[週刊 未亡人生活] 第6号! かなしみの終わりはいつ? 池江璃花子選手で注目された<神様の試練理論>について考える。
ごきげんよう、ある未亡人です。
このところ、陽射しが部屋の奥へとじわじわのびてきているのを感じます。
そして、夜。
買い物に出かけると、虫の鳴きかたが秋っぽくなってきたような。
だんだん鳴きかたもうまくなるのかしら。
春の足音は聞こえるけれど、秋はこっそりしのび足。
そんな印象を秋のやつには抱いていております。
今週もよろしくお願いします☆
今年のお盆も、過ぎていきましたね。
初めてのお盆を迎えられたかたもいらっしゃるのではないでしょうか。
命日、お誕生日、お盆、お彼岸、法事。
節目ごとに、さまざまなおもいが押し寄せます。
ご遺族の自助グループでは、
お盆の時期になると、亡くなったかたにまつわるお話がたくさん語られます。
そこには、不思議なエピソードなどもたくさん登場します。
タモさんを頼るまでもなく、奇妙な出来事って、ふつうにけっこうありますね。
わたしにもありました。
いつか、書きますね。
さて。
このコーナーでは、
喪失後の生活のちょっとしたコツをご紹介しています。
今週から3回にわたって、
<悲嘆の行く末>について、とりあげてみますね。
内容を要約すると、
かなしみはいつまでつづくのか。
池江璃花子選手で注目された<神様の試練理論>について考えてみる。
です。
たぶんですね、
わたし自身が未亡人だからだとおもうのですが、
自助グループに参加している未亡人のみなさんから、
毎回、熱く尋ねられます。
いつまでかなしいの?
いつになったら忘れられるの?
いつになったらふつうに生活が送れるの?
いずれも、「いつ」。時の問題ですね。
「どれくらい時間が経てばラクになれるのか」
先輩未亡人であるわたしから、
予告編みたいに教えてもらいたいとおっしゃるのです。
お気持ち、とってもわかります。
でも、
亡くされた時期、原因、家族構成やパーソナリティ、背景もそれぞれです。
なかにはですね、
亡くされてまだ一年経っていないかたや、
早いかたではひと月まえに・・というかたも。
みなさん、「苦しみからラクになりたい」とおっしゃいます。
そして、きかれるたびに、応えられない自分に対してもやっとしています。
正解を求められてるのではない、ということはわかっています。
むしろ、とんちを効かせたほうが場が明るくなるのかな。
粋な笑いでもって、場をなごませたほうがいいのかな・・・。
お気持ちを受け止めるだけで胸がぱんぱん。
スタッフとして、人間として、未熟さを恥じる時間です。
(とてもまじめな未亡人です・・・)
いま、つらい渦中にいる。
いまをどうにかしたい。
いまいるところのこの先が知りたい。
いま、いま、いま。
わたしも毎日そうおもって生きてきました。
じつは、十年以上経過したいまでも、そんなおもいがあります。
そこで、今週から数回にわたって、考えてみたいとおもうのです。
どこまでいって、いったいどうなったら、
悲嘆を乗り越えたと言えるのだろうか。
時間薬、って言葉がありますよね。時薬(ときぐすり)ともいう。
時間が経てばラクになるよ、と。
いまつらいかたに向かって、
わたしにはとても言えない言葉です。
時間には忘却が含まれるからです。
もうひとつ、口に出せない言葉があります。
それは、全国民的に有名になった例のあのフレーズです。
神様はね、
そのひとが乗り越えられない試練は与えないんですって。
じつは、わたしが夫を亡くして以来、
いろんなかたにかけてもらった、ぶっちぎりの最多フレーズです。
あまりにも言っていただくので、わたし、とうとう名づけちゃいましたよ。
<<< 神様の試練理論 >>>
競泳の池江璃花子選手が、
病名を告げられた直後のインタビューでこの言葉を口にしていましたよね。
白血病と判明してからわずか数日で、彼女の口からこの発言が出たとき、
「選手生活で、すでにたくさんの試練にあってこられたのだな」とおもいました。
2つか3つの試練を経験したくらいでは、出てこないだろうな、と。
で。
たまたまこの発言が出た週に自助グループがあり、話題に上がりました。
「とても自分には、あんなふうには言えない・・・」
ほとんどのかたがそう発言し、笑いながらもしょんぼりされていました。
わたしも共感しました。
特定の信仰をもっていなくても、
自分のかなしみを受け止めてくれる、
どこかで見ていてくれるような大いなる存在を求めたくなります。
わたしがいろんなかたから<神様の試練理論>を言われたとき、
そのたびに気持ちが沈んでいました。
正直、「よくひとに言えるよなあ」とおもいました。
池江さんの場合は自分自身に言ったわけですが、
自分になんて、もっと言えません。
わたしがこの理論について、自分ごととして考えるようになったのは、
ひきこもりを5年間経験した、
いまからおもえば最終出口のあたりの頃でした。
ふと、おもったのです。
与えられたかどうかは、まあともかく置いとくとして、
試練だと捉えることが「生きていく」ってことなんだろうな・・・
試練を受け容れて生きるしかないんだな。
にんげんだもの。
みつをとセットでアタマに浮かんだとき、涙が出ました。
それから、取り憑かれたように、悲嘆に関する本をたくさん読みあさりました。
わたしがもっとも知りたかったのは、多くのかたからきかれていたこと、
つまり、
<悲嘆の最終地点>についてです。
「どこかにその秘密が書かれてるんじゃないだろうか」
それを求めて、学術書、実録エッセイ、宗教書、哲学書、小説・・・
さまざまなジャンルの書物を求めました。
それらを読んだ結果、
総合しますと、
かなりざっくりな書きかたになりますが、
どうやら<悲嘆の最終地点>は以下の3点でした。
(1)「ほんとうに、もうそのひとはいないのだ」ということを受け容れる。(2)そのひとがいない世界で生きていくことを再構築する。
(3)体験を活かす。
(1)が最初にあり、それがなければ、のこりの2つもありません。
「ほんとうにいない」というのがどういうことなのか。
わたしにとって、これが最大の壁でした。
次回から、この3つについて、
わたしの体験を交えつつ、考えていきたいとおもいます。
引きつづき、よろしくお願いします。
📍7話目でやっと<夫>に会うことができました。
葡萄が好き!
いろんな種類の葡萄を少しずつ、食べたい。
この時期は、毎朝食べてもいいくらい。
いつものように、
夕方涼しくなってから近所のスーパーマーケットに出かけました。
不急ではあるけれど、愛する葡萄を買うために🍇
しかし、なんということでしょう。
その店には3種類入りの葡萄のアソートパックが売られているのですが、
高いうえに、この日はなんだか元気のない粒ぞろい。
しょんぼりしつつ、スイーツコーナーをのぞいてみました。
すると、
ぱっくりと腹を見せたオレンジ入りのマリトッツォを見つけたのです。
「おまえはフルーツサンドか?!」
こころのなかですうっと手を伸ばしかけた瞬間、
突然横からあらわれたマダムがすべてをさらっていってしまいました。
4つもですよ。
4マリトッツォを1マダムがお買い上げですよ。
4人家族なんですね・・・。
こころのなかで伸ばした手は誰にも見られてはいないけれど、
それでもなんとなく赤面し、和菓子のコーナーをぶらついていると、
またしても柑橘系の色味にこころをもっていかれました。(4号に引きつづき)
<瀬戸内レモンくず餅>との出会いでした。
透明なくずのなかに濃厚なレモン風味の餡がおさまってました。
しかし、瀬戸内産といわれても、ようわからんかったです。
サイズは、熟女がOKマークをつくったときの指のわっかくらい。
二個だけ食べて、つぎはこちらへ。
はい。貯蔵していました。
すもも界の大谷翔平、<皇寿>さんです。(山梨産だが)
なかなかの大玉です。硬球ぐらいあった。
酸味が少ないが、甘すぎず。
生産者はおひとりだけだそうです。何個つくっているんだろうか。
たいへんみずみずしく、おいしくいただきましたが、
なにぶんこの未亡人、おひとりさまですので、
ひとつまるまる食したところ、さっそくおなかをこわしました。
次からは半分にしておきます・・・
わたしにとって、果物は、
家族といっしょに食べるもの、でした。
だからかな。
切り分けて、お皿に盛って食べた後、片付けながらさびしくなる。
残すのイヤだから、まるまる食べちゃった。
次は葡萄にしよう。
ひと粒ずつ、つまめるのが、葡萄のいいところ。
さびしくならないおひとりさまフルーツに認定です。
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