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[未亡人の十年]_007 魂はもうここにない。<彼>に会ったとき、そうおもった話。


ごきげんよう、ある未亡人です。
今回はさっそく話をはじめたいとおもいます。


葬儀所でうまれた、かなしい花いちもんめ

🦋

待ち合わせ場所に指定された葬儀所は、JRの駅から歩いて10分ほどの場所にあった。

ひとつきりの改札を出ると、あとはどこをどう曲がるということもなく、ただひたすらそこに向かってつづいているという感じの一本道だった。

たどり着き、葬儀所の外観をひとめ見るなり驚いた。

プレハブにも似た、古びた建物がいくつか寄り集まっている。
夜目にも、それは田舎町のちいさな集会所のようだった。
ほんとうにここで、夫の葬儀をするのだろうか。

 受付で名前を告げると、応接室に案内された。
スタッフのかたにお悔やみをいわれ、その丁重さに、自分が遺族であることを思い知らされる。

通されたのは、応接室といっても、
ちょっとした立食パーティができそうな広さの部屋だった。

その部屋の隅で、夫の両親と義妹は椅子に座って待っていてくれた。
会社の関係者が誰もいなかったのが意外だった。
大塚の監察医務院で行われた行政解剖のあと、夫の上司であるX女史をはじめ、会社関係のみなさんとは別れたらしかった。

「おい。あいつの銀行の印鑑はどこにあるんだ。まったく見つかんねえんだよ!」
義父はいきなり、すねたような口調で畳み掛けてきた。
わたしとは目を合わせず、腕組みをしている。
「それと、本なあ。あれはそうとうあるなあ。全部売ってカネにしないとな!」
虚空に目をやったまま、義父はひとり喋り続けた。

それはまるで、自分以外誰も存在していないかのようだった。
隣にいるC子が、義父の第一声にぎょっとして身を固くしたのがわかった。

しかしながら、毒づきつづける義父に誰も応答しないのは、夫の家族にとって日常的なことだった。こんな日でもブレてないな、と感心した。

こんなときでも、ふだんの義父となんら変わらない。
こころを乱されないように深く息を吸った。

「たいへんご無沙汰しています」
わたしはゆっくり深々と頭を下げ、それからC子を紹介した。
電車のなかではあんなに頼もしく請け負ってくれていたC子だったが、義父の言動に気圧されてしまったのか、「はじめまして」と言ったきり絶句していた。

夫の家族のことを、一部の友人たちは<ロイヤルファミリー>と呼んでいた。
結婚することが決まっても、彼らはわたしの両親と会おうとせず、双方の実家の中間距離にある温泉旅館を取るという提案も拒否し、最後には田舎にいるわたしの両親のほうから東京に出向き、ようやく両家の対面がかなったのだった。

入籍をするつもりじゃなかった。
お腹の底から後悔が湧きあがってきた。

「とりあえず座りなさいよ」
義母に命じられるかたちで、C子とわたしは、とりあえず彼らと向かい合わせにしつらえられた椅子に座った。

しかし、なにしろだだっ広い部屋なので、双方の間には<花いちもんめ>で敵対する列どうしがもっとも離れたときのような<絶対距離感>が生まれていた。

いまでも、このときのようすを思い浮かべると不思議な気持ちになる。
そこに5人も大人が揃っているのに、気の利く敏腕編集者さえいたというのに、
椅子を寄せて、身体的な距離を近づけて話をしようというアイディアが双方に生まれなかったことが不思議でたまらない。

「会うのは、いつ以来かしらね」
義母が叫ぶように言った。
大声を出さないと、こちらまで届かないのだ。

わたしたちの間には、乾燥した空気だけが張り詰めている。

わたしは、義母の投げかけた問いには答えなかった。
いまは蒸し返したくない<ことの次第>があったからだ。

「あの……。彼とは二日前にも晩ご飯を食べたばかりでした」
考えたすえ、最初にわたしはそう言った。

「えっ……うそ……そんな……あなたたちが会ってたなんて……わたし、ぜんぜん知らなかったわよ。だからあなたに連絡なんてしなくていいと思って……」
義母は突然、なぜかひどく動揺しはじめた。

「いえ……。会ってました……」
わたしは首を振り、そのあとにつづく言葉を飲み込んだ。

ふたたび沈黙が訪れた。
C子がなにかここで間に立って、気の利いた言葉をさしはさんでくれるだろうと期待したのだったが、それはなかった。

実際、そこに誰がいたとしても入れなかったのではないかと思う。

が。とにもかくにも、義母が口を開いてくれたことで、ほんの少し、双方の間に張り詰めていた空気がゆるんだ。

二日前に会っていたという夫婦のエピソードをたったひとつ伝えただけなのだが、硬かった義妹の表情もやや和らいだ気がした。

そこでわたしはふと我に返った。
すすめられるまま、椅子に腰を落ち着けていることに疑問が湧いたのだ。

遺体はいま……。
「彼はいま……どこにいるのでしょうか」
わたしがたずねると、義母が上階にある遺体安置所に連れて行ってくれることになった。


やっと<夫>に会えた……


「あの子ね……最初はひどい顔だったのよ。……お風呂場の排水溝に鼻を突っ込んで亡くなっていたから、顔の真ん中に向かって血が溜まってしまって……」

応接室を出て、エレベーターに乗った途端、義母の口が突然滑らかになった。
涙はなく、屈託のない笑みすら浮かべていて、まるでこれから大好きな恋人にでも会いにいくかのようだった。

エレベーター内でざっとうかがった話によると、夫は浴室で心臓発作を起こしたという。行政解剖の結果はひと月後にしか出ないが、お湯などが出されていなかったことからすると、冬場の冷えきった浴室に入った途端に倒れたのではないか、と。

いわゆるヒートショックだったが、義母は即死かどうかはまだわからないと言った。

しかし。これは二ヶ月後に明らかになるのだが、解剖が終わった時点で、すでに監察医から「即死」であることは告げられていたという。義母なりの抵抗で、わたしを苦しめたくて、死因をぼやかしたまま押しつけたのだろう。


このときのわたしは、排水溝か……とおもった。

マンションを購入したときから、夫はお風呂場の排水溝をいつも気にしていた。掃除も毎日欠かさなかった。家の中の場所を示す用語の中で、夫がもっとも口にした言葉が<排水溝>だったのだ。

夫と排水溝の縁について考えながら、返す言葉が見つからなかった。


🦋

義母に案内された<遺体安置所>は、その言葉から受ける印象よりずっと、開放的で狭い場所だった。

ドアなどの仕切りはなく、どこかの物流倉庫の内部のようであり、室温がやたら低い。その狭いスペースの一隅に、細長いテーブルがしつらえてあり、そこにシルク張りの白い棺が乗っていた。足元のほうに置かれたちいさな台のうえでは長時間消えない渦巻き状の線香がたかれている。

「顔を……見てやってね」
 義母が棺の顔のあたりにある両開きの扉の、白いタッセルを静かにひいた。
「解剖から帰ってきたら、顔にたまっていた血もきれいになっていたから」

ちいさなガラス窓の下に<夫>の顔があった。
そこにいたのは夫だったが……夫ではなかった。

その顔が現れた瞬間、わたしは声をあげて泣き崩れた。
二度と開くことのない瞼。
夫の顔は一昨日会った時とおなじなのに。
遺体を目にするまで、その死を、ほんとうには信じていなかったのだろうか。

C子も、隣にいる義母も、わたしにつられるようにして、声をあげ、激しく泣きはじめた。

「鼻毛が……」
びよん、と2本ほど飛び出していることに気づいた。

妻として、生前から夫の鼻毛の飛び出しについてはよく注意していたものだったけれど、まさかこんなときまで。

テレビドラマなどで見る棺に入っている遺体の鼻の穴にはもれなく白いコットンが詰められているが、この時点ではまだ挿入されていなかった。

「あの……! 鼻毛、切ってもいいですか?」
わたしが申し出ると、<遺体>には触ってはいけないことになってるから、と義母が言う。ガラスの上の小窓は自由に開け閉めしてもいいけれど、<遺体>には触ってはいけないというルールがあるのだと。

「遺体……」
わたしは声に出して、また泣いた。

彼は<遺体>として安置されていた。これがドッキリだったらいいのに、などと、見る直前までは思っていたのだけれど、そう思うにはあまりにも、明らかに夫の身体からは<生気>というものが抜けてしまっていた。

夫の魂はどこかに抜けていってしまった。
ガラス越しでも、それが一瞬でわかった。
解釈を超えた、説得力のあるヴィジュアルだった。

そこでわたしは我に返った。

たったひとりで<彼>の身体はこの部屋に寝かされている。
これは、魂がそこにいるとかいないとかいう問題ではない。
葬儀場のスタッフさん含め、誰ひとり<彼>に付き添っていないことに驚いた。

「ひとりなんでしょうか。今晩、<彼>はほんとうにひとりぼっちなんでしょうか……」

たずねながら涙があふれてくる。
静かに、怒りのようなものも涌きあがってきた。
わたしが到着するまでの間、夫の家族はなぜこの部屋で<彼>に付き添っていなかったのだろうか。

ついさっきまでの自分は、夫の遺体を魂の抜け殻のように感じていたくせに、矛盾するいろいろの感情が整理できないままに涌きあがってくる。

「そうよ」
義母は悄然とした表情で言った。
「ゆうべは玉川警察署の遺体安置所にいて、今晩はまたここにひとりぼっちで……」
「あの、わたしが付き添います! というか、お近くのお宅のマンションに連れて帰って、ふかふかのお布団に、静かに眠らせてあげられないものでしょうか。そういうのって、誰に許可をとればいいのでしょうか」
「誰にって……、うちは狭いからダメだし。葬儀所のかたにきいてあげてもいいけど、遺体は動かせないと思うわよ」
そう言いながらも義母は内線で葬儀所の係のかたを呼びだしてくれた。

「遺体のいたみをすくなくするため室温を17度ほどに保っているので、生きているかた……いやあの……ご家族のかたがこちらに泊まるのは無理かとおもいます」
葬儀所のスタッフさんが説明する。

生きているかた
ということばが胸に突き刺さった。

「でも、どうしてもとおっしゃるなら、いてくださっていいですよ、身体をこわされても責任はもてませんが……」

わたしはそれを聞いて引き下がった。
……というより、判断を下すということがすぐにはできなかったのだ。

死の連絡をもらった直後から、決めなければいけないことが矢継ぎ早にわたしの前に提示されていく。

すこしばかりぼんやりしようものなら、ものごとがどんどん先のほうへとダダ流れていってしまう。

取り残されたくない。
でも、ゆっくりと、ほんのすこしだけ、あとからもどって判断することは、ゆるされないものなのだろうか。

時間は先へと流れ、立ち止まっている自分を追い越して、とりあえずというスタンスでいろんなことが決まっていってしまう。

うまくできなくて、ただもがいているだけのダメな自分がどんどん積みあがってゆくようだった。


夫の上司がご両親を恫喝していた


こころをのこしつつ、わたしたちは遺体安置の部屋を出た。

「通夜は明後日になったの」
廊下に出ると、義母がささやくように言った。
葬儀の話だった。<夫>には聴かせたくない話なのかもしれない。

「葬儀所がとても混んでいて部屋が空いてないから、1日あけることになったの。告別式は通夜の翌日。それで明日、こちらで葬儀の打合せをするんだけど……」

小さな声で義母は言った。
強硬だった義母の態度が、<遺体>と対面したあと、わたしへの当たりを軟化させたように感じられた。

それですこしだけ気持ちがほぐれて、わたしはようやく人心地を取り戻した。

「突然だったから、ほんとうは<密葬>にしてもらって、<後日お別れの会>ってカタチにしていただきたかったんだけど……」
義母はなめらかに話しはじめた。
「そしたらXさんにものすごい勢いで怒鳴られちゃって。『あなたたちがそんなに動揺していてどうするの! しっかりしなさいよー!』って。それはもう、ほんとにすごい剣幕だったのよ」

「えっ……。ご両親に向かってXさんが怒鳴ったんですか?!」
わたしはXさんの所業にこころの底から驚いた。

急な訃報に際してご両親が動揺するのは当たり前のことだと思う。
なにも恫喝しなくても……。
ご両親までもが自分の部下だというのだろうか。

そして思った。
義母もまた自分では決められず、先へと流されていくような思いを抱いているのではないだろうか。

しかし、意外にもこのときの義母は恫喝したXさんに感謝しているようだった。

わたしはXさんが夫にしていたパワハラの件をご両親に告げなかった。かなしみのうえに混乱の気持ちが生じてしまっては、葬儀の間じゅうさらにおつらいだろうと思われたからだ。

葬儀は<社葬>ではないけれど、Xさんが取り仕切るとのことだった。

「担当していた作家さんたちにもきちんとお別れをさせてあげたいから、絶対に葬儀だけはやってほしいってXさんが言ってくれて。わたしたちが頼りないものだから、Xさんが怒ってくれてよかったわ。ありがたいと思わなきゃね」
そう言いながら一瞬、義母の表情が輝いた。なかば葬儀を要請されたことで、息子に対して誇らしい思いを抱いたのだろう。

「そうですか……」
そんな義母をまえにしてしまうと、故人の遺志で、葬儀をやらないほうがいいなどととても言い出すことができなかった。

夫は生前、「自分が亡くなったら葬儀はしないでほしい」と言っていた。
「戒名も墓も仏壇もいらない。海に散骨してほしい」とも。
夫のおもいはその都度確かめてきたつもりだったが、実際にはこうして、他人の意向ですすんでいってしまうものなのだろうか。

<葬儀>とはいったい誰のためのものなのだろうか。
このとき湧いた疑問はいまでも解消していない。


葬儀は、夫の両親が住むマンションから近いという理由で、東京の隣県にあるこの葬儀所で行なうことに決めたらしい。

しかし、夫の勤務していた会社は東京の神保町にあり、仕事の関係者もほとんどのかたが都内在住である。常識的に考えれば、移動に2時間かかる隣県より、自宅マンションのある東京区内のどこかで執り行うのが妥当だろう。

が、すでに話はわたし抜きですすんでしまっているのだ。葬儀の場所や日程など、すでに決められてしまっていることについてはそのまま黙って従うほかなかった。

このときのわたしにできたのは、ご両親の体調を気遣うことだけだった。なにしろわたしたちの入籍が決まったときにも両家の顔合わせができないほど、おふたりともに身体が弱いのだ。

二日にわたる葬儀の長い時間にご両親の身体が耐えられるかどうか。
とくに義父は数年前、食道がんの手術をした際に胃の大部分を切除して、予後もよくなかった。「喪主は自分がやりたい」と義父は言っているのだが、現実問題として体力がもたず式の途中で倒れる畏れがあった。


イヤな女かと思ってたのに……

葬儀打ち合わせは明朝ということだった。

「わたしも出ます」
当然のように申し出た。

「もう、いいわよ。遠いし。べつに来なくても」
義母がはねつけるように言った。

「いえ、来ます。来ますので! 明日ここに、何時に来ればいいですか」
自分でも思いがけず強い口調になった。

意外にもそれはすんなりと通り、誰からも否定されなかった。

もしかすると、わたしに限らず、すぐに決めてしまえるほどの強さをここにいる誰もがもっていないのかもしれない。

とりあえず、明朝集合する時間の確認をして、わたしたちはそれぞれの場所に帰ることになった。

🦋

別れ際。
わたしは自然とわきあがってきた感情から、義母の身体を抱きしめたくなった。

そんな気持ちになったことは、いままで誰に対してもないことだった。これが本来の<ハグ>というものなのだろうか。

遺体を見てしまったあとで、生きているものどうし、お互いの身体の存在を確認したいような……、とにかく義母の身体をぎゅっと抱きしめたかったのだ。

「……イヤな女かと思ってたのに」
 抱きしめたとたん、義母はわたしの耳元でそうつぶやいて、わっと泣き出した。手で顔を覆い、この日いちばん泣いている。

「イヤな女ですよ……。わたしはお会いした時から変わらず……」
わたしは一瞬ひるんだけれど、気を取り直してそう言い、義母の背中をぽんぽんと叩くようにさすってから身体を離した。

気持ちが、すーっと冷めていった。
わたしの慈しみなど、この程度のペラペラの、極薄なのだとわかって落ち込んだ。

駅までの帰り道、わたしはあたまのなかで今日の出来事を反芻しながらC子といっしょにとぼとぼと歩いた。静かに傷ついていた。さきほど義母からもらった<イヤな女>という言葉が、こころの深いところに突き刺さっている。

「あの……さっき、お義母さんから<イヤな女>って言われてなかった? もしかして聞き間違いかなあ……」
C子が申し訳なさそうに切り出した。
「……いやいや。確実に言われてたよ」
わたしは笑うしかなかった。
「ブレてないというか……。わたしのこと、出会う前からずうっと<イヤな女>だと思ってるみたい」

義母はわたしのことを<息子を奪った女>だと周囲に言い放ち、激しく敵視していた。嫁姑のよくある話くらいに受け流してきたが、人前で、いまさら、こんなときまで、敵意を表されてしまったことが残念だった。

駅へと歩き出しながら、わたしは家族の問題をはじめてC子に打ち明けた。

義母は、息子を異常なほど溺愛していた。
「息子の選ぶ女性がどんなに素晴らしいひとなのかと夢をもっていたのに、あなたを見てがっかりした」
初めて会った日、わたしは義母からそう告げられた。

「中高一貫校を出て、由緒ある私立の女子大卒の、おとなしい女性がよかったのに。あなたは公立育ちのうえに実家も資産家じゃないんだから、もっとウチの息子と結婚したことをありがたがりなさいよ」
会うたびにそう言われていた。

「正直、いまどきそんなこと言うんだ……って思ってしまって、いくらひどいことを言われても聞き流してた。でも、まさか死んだことを隠されるくらい嫌われていたなんてね……」

ほんとうにかなしかった。

「ごめんね、全然知らなくて……」
C子は言った。
「今日はほんとうにびっくりしちゃった。いままでふたりの夫婦関係を見ていて素敵だと思ってたから。でも、いろいろあるんだね……」
 「うん、いろいろあったよ。家族のことをひとに言っても仕方ないから、黙ってたけど」
わたしは言った。
「それと、お義父さん。開口一番、印鑑だとか本を売れだとか……なんだかすごいことおっしゃってたね……」
「ああ……うん。書籍編集者のCちゃんにヤなこと聞かせちゃったね。ほんと、申し訳ない」
わたしは頭を下げた。

義父独特のシニカルな物言いは、夫によると、元編集者だったという自負心から来ているという。家族内の会話においてもつねに批評的で斜に構えた喋りかたなのだそうだ。こちらもまったくブレていない。開口一番の発言はじつに義父らしいものだったと思う。

「わたしね、嫌われてるの、あのひとたちに。夫がいたときはそれでもなんとかおさまっていたけど、あんなにやさしかった義妹も……ひとがひとりが抜けただけで態度ってあんなに変わるんだね……。ほんと、勉強になるわ……。明日からの葬儀とか、そのあとも、どうしよう……」
弱音がずるずると出てきてしまう。

「大変だね。でも、とりあえず<喪主>だけはやったほうがいいよ。そこはなにがなんでも死守したほうがいいよ」
C子は親身になってアドバイスしてくれた。

<喪主>を死守。
まったくおもいもよらない次元の言葉だった。


しかし、おもえば、ですよ。
『葬儀にも来なくていい』とまで言われていたひどい状態から、なんとか明日の打ち合わせに参加できるところにまでたどり着くことができたのは、快挙といって差し支えないのではないだろうか。

それは、相手がひけば同じだけの距離感で後ろにひきさがってしまう性格の自分史上において、あり得ないほどの積極的な展開だった。よくぞくじけないで頑張ったと褒めたい。

そのとき、C子といっしょに歩いた道すがら、冬の夜の空気がいまでも忘れられない。

息苦しかった。風が静かに立ち止まっているような、12月のアタマにしてはぬるすぎる気温だった。

東京へと向かう夜の上り電車は拍子抜けするほど空いていた。K駅ですこし長めに電車の扉が開いていて、そういえばいつもこの駅につくタイミングで、夫が、敬愛している小津安二郎監督の映画の話をしていたな、と思い出した。

「あのねえ、とんでもない家族の物語がこの近くで進行しようとしているよ」
こころのなかだけで夫につぶやいた。
「おまけにあたし、原節子なんかじゃいられないからね!」

とはいえ、それ以上はなんだかぼんやりとした心持ちのまま、わたしは無言で電車に揺られていた。それはまるでそれ以上深くのことまでは考えないように脳に導かれているようだった。

「連絡をしたい人はいる?」
別れ際になって、C子が口を開いた。
「うん……。どうしようかな……」
どの程度まで連絡をすればよいのか、わたしは迷ってしまった。
あのご両親を見せたくない気持ちも、正直、あった。
「急なことだし……。ましてわたしが知った時点も遅かったし……。もしかしたら、葬儀の場が荒れることもあるかもしれないから、むしろ、多くのかたに伝えない方向のほうがいいのかな……。ほんとにどうしよう……」
「とりあえず、同期のみんなには伝えておくね」
C子は請け合ってくれた。


のこされた留守番電話

それからわたしは、自宅ではなく仕事場に戻り、ひと息つく間もなくほうぼうに連絡を入れた。

「亡くなったのは心筋梗塞が原因だったみたい」
まずは自分自身が落ち着きたくて、最初にA子に報告の電話をした。
「ああ……」
A子は深いため息をついた。

A子のことを覚えているだろうか。
夫の死を告げたときに、開口一番、即死だったかどうかを尋ねた人物である。

聴く者に一撃を与えるA子節を、彼女はこのときもわたしに向かって炸裂させた。

「心筋梗塞ってね、周りがおもってるよりもけっこうちゃんと意識があるんだよね。わたしは脳梗塞も心筋梗塞も両方経験あるからわかる。心筋梗塞って、脳が生きてるから、ものすごくつらいんだよね」

あくまで彼女は、わたしの夫が苦しんで亡くなったことにしたいらしい。

いまこうして書いていると、自分のまわりに辛辣な言葉を突きつけるタイプの登場人物が多いことに愕然とする。

自分がつらいときだったからそのように色濃く受け取ってしまったのか。それとも緊急時だからこそ、ひとは驚くような言葉を吟味せずに言ってしまうのだろうか。

(書いていて、ひとり赤面しているが、話に戻ります・・・)

とりいそぎ、A子に葬儀所でのやりとりを告げると、
「たいへんだったね」
ねぎらいの言葉をかけてくれた。

「うん……。でも、亡くなる二日前にいっしょにご飯を食べていたってことで、まだ許されている気がする。あれはわたしを助ける……虫の知らせだったのかな」
わたしは二日前の晩に会った、夫の様子を思い浮かべていた。

いままさにA子にかけている固定電話の本体に、留守電のマークが点滅している。たまたま消し忘れた夫からの留守電がまだそこに残っていた。


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ある未亡人
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