コミュニケーションの型と無言のメッセージ〜型は守りにも武器にも変わる〜
こんばんは。Vinoです。
はじめましての方へ。
今日、職場の会話を見ていてコミュニケーションって一体、何なのだろう?と思いました。
仕事では、よく社交辞令が使われます。
心から本当に思っているかどうかは別として、関係性を円滑にするための一つの型といえます。
ある一定のコミュニケーションの型を使うことで、Aと言ったらBが返って来ることが予想され、ある種の安全な場が出来上がっていきます。
例えば、公の場では、「ご迷惑をおかけします」と言えば、「気にしないでください」と返す人が、多いのではないでしょうか。
たとえ本音は迷惑だよ、と思っていても、本心を言ってしまったら、型が崩れて安全な場が崩壊してしまうような気がして型通りに振る舞います。
もしかしたら、型にはまっていることすら気づいていないかもしれません。
メールなどではない直接の会話では、なかなかこの型から逃れることが出来ない気がします。
もちろん、反射的に社交辞令を言うことで、身を守ることはできます。
ですが、逆手に取り意図的に相手の社交辞令を引き出すことで、自分の要求を通している人も中にはいるのではないでしょうか。
「すいません、やりますよ〜えっ良いんですか?すいませ〜ん」
例えば、こんな感じで表面的な言葉は、申し訳なさそうにしています。
でも、相手がやってくれるのを分かっていて、自分が悪者にならないように言葉で相手をコントロールしているように見えます。
直接コミュニケーションを取る時は、言語外のメッセージを沢山受け取ります。
そうすると、なんとなく断りにくくなったり、なんとなく言いづらかったりすることがあります。
そういうことが積み重なっていくと、だんだん、その人と話すのが嫌になってしまいます。
断りづらいと分かっていて、無言の圧力をかけてくるように感じてしまうからです。お願いではなく、命令のような空気を醸し出すのです。
どんなに丁寧に気遣うような言い方をしていても、拒否権を相手に与えようとしていない感じというか。
本当は、断る権利はあっても、自分が断ればその相手との関係性を崩れると感じたら、自分が壊した原因になりたくないと思えば断れなくなってしまいます。
それに、そういう相手は大抵面倒くさいタイプなので、断った後に、引き受ける以上の面倒なことが待っていそうな香りもするのです。
そういう会話を目にすると、はたから見ていてもズルイなぁと感じます。
もし、上司がこういうタイプだと逃げ場がなくなります。厄介です。
押され気味の人を見ていると、勇気出しなよ、言っちゃいなよ、と思いますが、やっぱり暴発させたらさせたで、後味も悪いものです。
もっとお互いが気持ち良くすごせるコミュニケーションを増やすには、どうしたら良いのでしょうね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。