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ハレ・ケ・ケガレ〜日本古来の考え方に思いを馳せる〜
こんばんは。Vinoです。
はじめましての方へ。
時々、わたしは神社にお参りに行くのですが、お寺にはあまり興味がないのですね。
京都の金閣寺や銀閣寺、石庭で有名な龍安寺など、有名どころは修学旅行で行ったことありますが、個人的には行ったことがありません。
逆に、仏教やお寺には興味あるけど神社は行かない、苦手という話も耳にします。
なんとなくイメージですが、女性は神社の方が好きで、男性は仏教派の方が多いかなという気がします。
神社の御朱印を集めるのにハマるご朱印女子という言葉もあります。
先日、わたしも初めて御朱印帳に御朱印をいただきました。
遠くまで行ったので折角だし御朱印帳作ろうかな?と、記念のスタンプ的な
カジュアルな気持ちで始めました。
でも、御朱印は神社の印なので、その辺のスタンプとはレベルが違うというか、厳かな感じがして、見ていて、おぉーという気持ちになりました。
どうして自分は神社の方が良いのかな?と、考えてみた結果、ハレの概念に共鳴する部分があるからかなぁと思いました。
わたしも詳しくは知らなかったのですが、この記事を書くのに調べてみたところ、日本には、ハレ・ケ・ケガレという価値観が古来からありました。
ハレとは、非日常な状態で、エネルギー補給をしている状態のことを指すそうです。お祭りや儀式は、ハレに当たるそうです。
赤ちゃんの生後100日を目安に行うお食い初めの儀式や七五三、成人式など、わたしたちは生まれてから沢山のハレの日を迎えています。
ケとは、日常の状態で生命エネルギーが満ちたりている普通の状態で、この「ケ」の状態が1番大切と古来から考えられているそうです。
最後にケガレですが、これは好ましくないマイナスの非日常で生命エネルギーが足りない状態を指すそうです。
神道では、神様はケガレを嫌い、穢れているとパワーが出せなくなってしまうため、ケガレのあるところには神様はやって来ないと考えます。
日本の神道の神様は自然界に存在し自然と一体的な存在なので、人間も神の一部なのですね。
神社にある鏡は、自分の中に宿る神を思い出させるために置いてあるという話を聞いたことあります。
ちなみに、ケガレの最たるところは「死」であり、そのケガレを祓うために、3日、7日、35日、49日と7の倍数で法要を行います。
この大元は仏教ではなく、日本古来の信仰から来ているそうです。
あらゆるところに日本人の中には古来からの「ハレ・ケ・ケガレ」の概念が生活に入り込んでいます。
神社は、古来の日本人が気の良い場所に建てているので、行くと清々しい気持ちになったりするのは、ハレの場所として存在しているからでしょう。
お正月の初詣や願い事をしに行くだけでなく、日頃から近くの神社へ気を養いに行けたら、もっと世の中、平和になるのかなぁと思いました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!