記憶に残らない読書は意味がない?同じ本を2度読んで気づいたこと
先日、Kindleのおすすめで「人は聞き方が9割」という本を見つけた。
ちょうど傾聴について学んでいたのもあり、迷わずライブラリに追加したのだが、なんと、既読マークがついているではないか。
「あれれ?? これって…」
よく見ると、昨年読んでいた。
しかも内容は全く思い出せない。
読んだこと自体、記憶の彼方に消えていたのだ。
「せっかく傾聴について深く学んでいる今なら、前回とは違う発見があるかも」
そう思い直し、今度はじっくりと、読み進めてみることにした。
が、文章はとても読みやすく、あっという間に読み終えてしまった。
内容はどれも納得できるものばかりで、すんなりと頭に入ってくる。
しかし、前回と同じく、強く印象に残っている部分がない。
「やっぱり…だから記憶に残っていなかったのかな」
そう思った時、ある疑問が頭をよぎった。
「読書って、記憶に残らなきゃ意味がないんじゃない?」
最近、読書を習慣化し始めた矢先の出来事だっただけに、余計にモヤモヤする。
そこで、頼れる存在であるChatGPTに相談してみることにした。
ChatGPTの言葉は、読書の効果を「記憶」という狭い枠組みでしか捉えられていなかった私に、新たな視点を提供してくれた。
さらにChatGPTは、記憶に残りやすくするための具体的な方法も教えてくれた。
中でも興味深かったのは、「アクティブリーディング」という手法だ。
例えば、「著者はどうしてこんな風に考えたんだろう?」「自分の経験とどう結びつくかな?」と、本に対して積極的に問いを立てながら読む。
他にも、印象的な箇所にマーカーを引き、その理由を書き留めていくのも有効らしい。
「なるほど、面白そう!」
今まで受け身で読書をしていた私に、新たな読書体験の可能性が広がった瞬間だった。
モヤモヤをそのままにしないために生成AIに聞いてみるとか、以前の私には思いつかなかったと思う。
ペットロスという深い悲しみを経験し、今、グリーフが和らいでいく過程で「立ち止まって考える」ことの大切さを実感しているからこそ、できるようになったのかもしれない。
悲しみに向き合い、少しずつ前を向いていく中で、物事を深く考える習慣が自然と身についていったように思う。
読書も同じなのかもしれない。
記憶に残らないことを恐れるのではなく、その瞬間の「気づき」や「考える過程」を大切にする。 きっと、そこから新しい学びの扉が開かれるはずだ。
今回の経験を通して、「記憶に残らない読書は意味がない」という白黒思考から、一歩踏み出せたことが嬉しい。
ほんの小さな変化かもしれない。 それでも、立ち止まって思考を巡らせる喜びを感じられるようになったことが、今の私のささやかな幸せだ。
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