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双極症 ~いつから発症?①~

 みなさん、こんにちは。VILLIAです。
 まう9月末だというのに暑い日が続いてますね。体調に気をつけて心も体も穏やかに過ごしましょうね。

 今回のテーマは私の双極症は一体いつから始まったのかというのを考えていきたいと思います。よろしかったら最後までご覧ください。


通勤中の突然の発作

 私の初めての精神科受診は平成26年10月のことでした。

 夏休みの終わりから行われる新学期に向けての職員会議で突然吐き気に襲われ、途中退室しました。
 当初は夏バテだと思っていましたが、9月下旬に朝の通勤の時間に体の血液が一気に下がるような感覚、動悸、恐怖心に襲われ、最寄りの駅まで残りの1駅だったにも関わらず途中下車しました。何とか職場には歩いてついたものの、昼前に1人でいた保健室で同じような発作が起こりました。

 その時偶然、助けてくれたのがいつも仲良くさせていただいていた用務員さんでした。実の父よりも年上くらいの年齢の方でしたが、様々なハーブティを楽しむような、とても気さくておしゃれな人でした。

 そんな用務員さんは震え上がっている私に
「どうしたの?大丈夫?」
と近寄ってきてくれ、落ち着くまでそばにいてくれました。そして無理せずに帰ること、病院に行くよう話してくれました。それ以降もこの用務員さんには様々なことでお世話になったので、感謝してもしきれません。

 帰りの電車も緊張しながら、なんとか乗りました。満員電車でなかったので多少乗りやすかったのかもしれません。

初めての精神科受診

 帰宅後、私はまず自宅近くの内科を受診しました。理由は精神科に当日受診できなかったから。とにかく医療にかかって安心したい気持ちが強かったです。
 心電図をとっても異常なしといわれ、医師からはパキシルを処方されました。

 私は素人ながらパキシルという薬がそれほど弱い薬ではないということだけは知っていました。そんな薬を精神科医でない内科の医師から処方されて飲むことはとても不安になりました。
 そして帰宅後、私は市内の精神科の病院を片っ端から電話しました。出きるだけ早く、なるべくクチコミがいい場所で探しました。なかなか見つかりませんでしたが、少し場所は遠いものの次の日に診察してくれる病院を見つけました。

 翌日の診察日。30分以上の時間をかけて話を聞いてくれた医師の診断は『パニック障害』でした。
 フルボキサミンをはじめとしたSSRIが処方されたため、パキシルは1度も飲まずに済みました。

パニック症と付き合う

 その後、私の通勤時間は予期不安との戦いでした。駅に着くどころか家を出る前から動悸、吐き気がし、管理職に病気の話をした上で毎日勤務開始ギリギリか、1時間遅刻して行きました。

 そして私がパニック症で行くのが困難になった場所は他にも映画館、美容院などがありましたが、一番困ったのは卒業式や入学式などの儀式的行事でした。

 私が勤務した学校は養護教諭は1人しかおらず、かつ生徒に万が一のことが起こることを考えて養護教諭の座席は最前列に置かれがちです。2時間近く密閉された場所で席を離れられないのは恐怖のか溜まりでした。
 毎回式の前に頓服の薬を飲んで、ポケットには追加の頓服をしのばせておきました。幸いなことに式の最中に発作を起こすことはありませんでしたが、毎回あの動悸と吐き気と緊張に襲われ、とても苦しかったです。

 また、私には当時5歳にもならない子供が2人いました。先程もお伝えしましたが、私は閉鎖空間も行くことが辛くなっていたので、観覧車、映画館など行けなくなっていました。夫が付いていってくれないと、万が一、私が発作がおきたときに子供達を取り残してしまうことになってしまいます。
 双極症になった今でも行ける自信はありませんが、幼い頃から子供たちには我慢させてばかりだなと申し訳ない気持ちでいっぱいです。

なぜパニック症になったのか?

 ではそもそも、なぜパニック症に私はなったのでしょうか?

 パニック症の原因は、幼少期の分離不安、強いストレス、繊細・神経質・こだわりや不安が強いなどの性格、遺伝的要因などが考えられています。

 私は虐待(暴力)一家で育ちました。そういった意味では幼少期の心の状態に何かしらの影響があったとは思います。

 また、当時は大きな心身のストレスも抱えていました。実はこの年、夫は仕事を辞め、資格を得るために専門学校に入学していました。小さな子供をワンオペで抱えながら、仕事を辞めるわけにはいかないというプレッシャーが私の肩にはずしりと乗っていました。

 かといって彼の選択を咎めるつもりはありません。
 彼はそのおかげで国家資格を得ることができ、今はイキイキと仕事をしています。
 皮肉なことかもしれませんが、今、私が双極症と診断されてからは当時と立場が逆になっています。
 私が労働できるのかはまだ不透明ですが、いつかはほんの少しでも家計の足しになればと思っています。

この時の心身のサインを聴けていたら?

 私の精神科受診は10年前の秋のことでした。ここから鬱病、双極症と移り変わっていくわけですが、この初めのパニック症で既に私の心身は何かしらのサインを出していたんだと思います。
 この時の自分のサインを見逃さなければ…と思わないと言ったら嘘になります。
 障がい者の1人となり、明日、来月、来年の自分に不安にもなります。それでもこうやって生きているのは、こんな私でもいてほしいと思ってくれる人がいるからです。
 時々襲われる悪い気持ちにも、なんとか必死に耐えているのもその人たちがいるからです。
 挫けそうになるときもありますが、なんとか耐えて翌日を迎えています。そういった積み重ねで一歩一歩進んでいきたいですね。



ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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