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『西洋人との結婚に関する産業的状況』(1930年代ベトナムのルポルタージュ)を掲載するに当たって

 ベトナム文学研究者である川口健一氏は、本記事のタイトル『Kỹ nghệ lấy Tây』を『西洋人と結婚する技術』と訳した。たしかに、この記事の中では、多くの女性が西洋人男性を手玉に取る、そんな場面がいくつか見られるが、その話題が記事の全体を占めているわけではないため、『西洋人と結婚する技術』と訳するのは、少々内容との齟齬が出てくるように思われる。そのため、大家に歯向かうようで恐縮ではあるのだが、このnoteの載せる際には、タイトルを『西洋人との結婚に関する産業的状況』とすることにした。


 さて、アメラジアンという語を御存じだろうか。アメラジアンとはアメリカ軍兵士の父親とアジア系の母親との間に生まれた混血児のことを指す語である。特別、このような語が生まれたのは、その混血児の数が無視できないほどに多く、彼ら彼女らの置かれた境遇が人道的に脅かされていることが世界的に意識されるようになったからである。太平洋戦争の後、日本や各地のアジアの国では、自主的または強制的にその身を売らなければならないかった女性たちがいたことは想像に難くない。その土地に生きる女性たちの中には、今日を生きていくために、お金を羽振りが良い占領軍の男に身を寄せる者が少なくなかっただろう。また日本の話であれば、乃南アサ『水曜日の凱歌』に詳しいが、国方針で、占領軍のための慰安所に働かされた場合もある。そうやって身を売れば、子どもが生まれる。往々にして、生まれた子らは非摘出子になるため、国籍がなく、教育も受けられず、またその外見から差別を受け、父親が国に戻れば、この子らを抱える家庭は貧困に悩まされた。


 だが実際、アメリカ人とアジア人の間だけではなくて、アメラジアンという語が誕生する前から、この類の問題は世界各地で起こってきたことである。歴史が好きな人であれば、色々な戦争について詳しく語れる方も多くいるだろう。戦略がどうであったか、外交がどうであったか、ダイナミックな人間の歴史には誰だって心動かされる。しかし、少し想像力を働かせれば、戦争が起こり、占領下におかれた地域では、女性は暴力、葛藤、差別に悩まされながらも、懸命に生きていかなければならなかったことが、史実として書かれていなくても想像できるはずだ。史実として残っていないものには価値はないのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。少なくとも、第二次世界大戦の後に生まれた作品の多くは、そういった従来書かれることのなかった市井の人々の生活を主題としてきた。それらに目を向けなければならないと意識されるほどに、世界は様々な経験を徐々に積み、人の痛みに対する想像力を養ってきたのではないか。


 本記事の主題は、まさにそこにある。ただ一般的に、そういった内容を書こうとすると、可哀そうな人たちを同情的に書けば、それで事足りると思っている文筆家の多いこと。当然のことであるが、裕福な境遇に生まれようとも、貧しい境遇に生まれようとも、平和の中に生まれようと、戦争下に生まれようと、一様に人間は皆、愚かである。彼ら彼女らの行動には、欺瞞があり、虚偽があり、高慢があり、怠慢がある。あなたの同情は勘違いかもしれないし、あなたの侮蔑は自らに向いているだけかもしれないのだから、相手を理解したなどと思ってものを書かない方が賢明かもしれない。であれば、ヴー・チョン・フンの各ルポルタージュは、そうやって割り切って書いているように思われるのだ。

 なお、はじめにPhùng Tất Đắc の序文が掲載されているのであるが、著作権保護期間を終えていないため、ここでは割愛する。(彼は1907年に生まれ、2008年まで生きた!)

Kỹ nghệ lấy Tây
Xuất bản năm 1934 của Vũ Trọng Phụng

上記の写真は、昔のバクニン省ティカウである。


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