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『召使たち』⑦(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

 Ⅶ 都会の明かり

 次の日の夜、私は再び飯屋に足を運んだ。
 この時もいつも通り,先ほどから述べてきた歩道で私は一晩寝そべっていた。そこの同業者がガヤガヤと叫ぶことには私は娼婦擁護の先駆者であるとか。この日、手配師の老婆は私の下宿先に払う二スーを忘れてしまっていた。しかし幸い彼らの施しを受けて「後方」で寝られることになった。そのため老婆には寝る場は何とかなったと告げておいた。
 私はこれ以上口答えなどすることもなく、全く何も聞こえないかのように振る舞い続け、一心不乱に素早く台所を抜けると、広々とした庭にやってきた。これらはここを「後方」と呼んでいたのだ。幸いなことにそこは私一人というわけではなかった。既に十数人ほどの人が見受けられた。明瞭な月明かりの下に、彼らは積まれた四角いチーク材の上に広げられたボロボロの筵の断片に座るか横になるかしていた。どうやらこの飯屋は庭においてさらにチーク材の工場なんかを生業にしていたのである。
 その場の景観には一切の美しいところがなかった。周りは安定せず左右に揺れる高い壁らに囲まれ、黒々とした家の屋根の天辺は汚れがたまっている。私たちが横になっている右手には鶏舎があり、またその目の前にはほぼ慢性的な水のたまった下水溝が引かれていた。左手にはあちこちの人間が腹には入りきらなかったものを排出する場になっている。月の照らす明かりのみが全く私の慰めであった。
 十人を超える人たちの群れが成す無秩序の中、夜空に監視されながら私と共に寝ていた三人の若者を見た。彼らの顔はまだあどけなかったが、まったく悲しみを見せる様子がない。他の人間たちについて言えば、多分に漏れず野蛮人で、この世に生を受けてから定められてきたあらゆる苦痛を味わってきたことが十分に服装から見て取れる。
 ひとりの頭の禿げた青年は顔が青く脂ぎっていたが、身体は健康的によく肥えていた。彼は大概倉庫か火炉室にいることが多かった。彼は座ったまま何か黒々としたものを包んだ紙切れの上に舌を突き出していた。初め見た時は理解できなかったが、後々それが阿片の燃えかすであることがすぐに推測された。もうひとりの青年は首に三四枚張り薬を高く伸ばした首に貼り付けていた。彼は座ったまま空に描かれた星座を見上げていた。さらに三人目はまだ少年で、ガサガサとひたすらに体を引っかき、横になったかと思うとまた起き上がって咳き込むのを繰り返しては、周りに痰を吐き散らす始末。また小綺麗な衣服をまとった老婦人もいたが、彼女の顔立ちは悲惨なもので、もはや顔と呼ぶのも非合理的ではないかのように思えた。彼女は腰を据えて竹扇をその手に握り、自分を数回扇ぐと、他の人たちにも扇いでやっていた。まるで十数人といる人が皆彼女の子どものように見える。一方六人兄弟だろうか、長男らしき子も皆一様に褐色の衣服を着ていて仲良く熟睡していた。
 私は積み重ねられた筵の上に飛び上がった時も、誰一人として私に関心を持つ者はいなかった。私が財布の中に一スーも入っていない人間の一人であることは自明なので、彼らが無関心に横たわったままでいるのは当然であろう。最も彼らの胃袋も財布と同じく空っぽである。そうであるからこそ、彼らもまた人々からそこに身を置いていることを容認してもらっていた。飯屋の主人たちは何ら徳のある人たちであるとは言い難い。けれども、このボロボロの衣服や腰巻を纏った人たちで街に出ては物乞いをして何スーかでも手に入れた者たちは必ず飯屋に戻ってその金を使っていたし、もし彼らが何か盗みを働いたとしても、飯屋の主人たちはその行為を咎めることなく物を売ってやっていた。それが暗黙の了解になっていた。飯屋の主人たちが自らの住まいを救貧院と同じような所にしてしまっていても、それは意外なことではなかったのだ。
 この十三人、彼らの態度、見た目、衣服からして元々都会の生まれではないことが明白である。そんな彼らが都会に来たのは、彼らの住まう農村では毎日二食まかなうための十分な仕事が得られなかったからだ。都会は田舎者に声をかけてたらしこんだ。彼ら都会に行けば、必ずや華やかな仕事が得られると疑わなかった・・・。彼らは日を浴び、雨を浴び、その道中で何度小銭を求めたろうか、何度お椀一杯の飯を求めたろうか。そうしてようやくたどり着いたハノイなのである。
 各人には是非このハノイという場所を想像してもらいたい、町という町がひたすらに隣接し続けるこの場所を。各人には想像できるか、田舎者であれば必ずや委縮させられ、町と町の間で身を投げ捨てられるこの場所を。どの町に行っても戸を閉めた家とアスファルトと歩道が、つまりどの町に行こうともその様相はそっくりで、まるで永遠と道が続いているように見えるのだ。田舎者は進んだ、進んだ、ひたすらに進むしかなかった・・・そして田舎者は疲れを覚える。しかしどうして田舎者に立ち止まれる理があろうか? もし足を休めて何か口にしなければと思うおうとも、田舎者には十分な金がない。そうであれば、田舎者には横になって休むことも許されない。なぜならばここの人たちはさらに休むにも金を払うのだから。
 歩き疲れても、なお進み続けねばならぬ。田舎者は段々ともう進むことさえままならないほど疲れに蝕まれていく。だが不幸にも都会は、人々に「不可」を許さない。であれば人々は進み続けるしかない・・・。ひとつの町を彷徨いつくしたら、次の町へと流れ行く・・・、ひたすらに円を描き彷徨っていることも知らないで。そして三叉路に行きつき群衆を見つける。田舎者は人ごみの中の大多数もまた同じ穴の狢であることを知る。されば田舎者はそこで立ち止まるのだ。機知に満ちたような面の老婆が一人、双方の耳には金のイヤリングが重くぶら下げている。人は彼女がまるで大きな「威厳」を持っているかのように錯覚してしまう。彼女はだらしなく田舎者に手を振り、大きくやかましい声でこう語りかけるのだ。
「おい、そんなぼんやりして、どこに行かれるか? 仕事を欲しているんじゃないのかい? 私の言うとおりにこちらにおいで!」
 田舎者にとってはさぞ嬉しかろう、なんせそれは都会の者が進んで自分に声をかけてくれた初めての経験になるのだから。しかし何と言ったか? 人徳のある語を述べていたし、仕事を探し与えてやるとも言ったが・・・! 実態は一日、二日と寄食するまま待ち呆けるばかりで、飯屋の庭にいるか、劇場の路肩にいるかの毎日があるのみ。彼らがたどる物語とはいつもこのようで、大概その大筋を逸れることはない。ハノイにはいくつの三叉路や交差点があるだろうか? 貧乏人たちに召使としての仕事を与えてやるだけの場所がいくつあるのだろうか? 来る日も来る日もハノイではこのような山西梆子(※中国山西省の主要な演劇)が一体どれほど数えられるというだろうか?
 そこにいた十三人もまた、そうして流れ着いた。彼らはかがり火に飛び入る蛾のようなものでもあるので、ちょうど都会の明かりに目がくらんでしまったということだ。
 飯屋の女主人は彼ら彼女らが庭の隅で住まうことを受け入れる。彼ら彼女らは昼間になれば三叉路や交差点に出向いて座り、商品として陳列される。仕事を待っている間に、手元にある数枚の硬貨は日々の食事で徐々に消えていく。財布が枯渇する日がやって来てもなお、仕事があるわけもなく、また誰かが小銭や粥の一杯をくれるわけでもない。であれば彼ら彼女には命がけの選択を迫られる。各人は勇気を振り絞った人間から順に、女であれば性欲にその身を捧げ、男であれば刑罰と共に生きるようになるのだ。その選択へ向かうまで、現在もまだ彼ら彼女らは将来の波乱を横になりながら待ち構えている。
 もし永遠と彼ら彼女らに仕事が与えられなかったとしても、それは天の誤りでもなければ、世の男たちの誤りでもないし、ましてや私の誤りでもない。誰にもその責任が帰することはないのである。なんせ誰に対しても家に召使をわざわざ雇うよう強制させる理など存在しないじゃないか?
 都会の明かりよ・・・。
 おそらく夜になっても月は姿を見せまい。どうして、ナムディン、ハイズオン、バックニン、ソンタイ、ホアビンに住まう田舎者たちはいつも表に出ると天の方向に身を向けて、煌々とした光彩を持った地区が存在すると思うのか。それはハノイでしかない。どうして誰でも千年の文明や富、大量の財産、そして仕事が容易に得られる場所であると・・・。田舎者は仕事を求めて村を捨ててやってくるというのに! ある日を境に庭の隅で横たわりながら、下水の匂い、鶏の糞の匂い、そして人間の糞の匂いを嗅ぐようになる。絶食をし、天を眺めて縮こまる。そうちょうど今晩のように。あまりに明るい月の光と共に。

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古賀拓海
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