自衛隊も一つのキャリア?CGS一選抜が語るこれからの働き方
プロフィール
市川 佑樹さん
現職:IT企業の政策渉外部門シニアマネージャー
自衛隊在職時最終役職:陸上自衛隊2等陸佐
経歴
ーー本日はお忙しい中、退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、市川さんの経歴を教えていただけますか。
市川さん:大学卒業後に、陸上自衛隊幹部候補生学校(06U)へ入校しました。幹部候補生学校卒業後は、化学科へ配属され、初任地は大宮駐屯地です。
中央特殊武器防護隊で約4年勤務し、東日本大震災で災害派遣任務を行った後、善通寺駐屯地へ異動。そこで指揮幕僚課程(CGS)に合格し、陸上自衛隊幹部学校に入校しました。
CGS終了後は、大宮の化学学校で勤務し、その後、東部方面総監部、防衛部防衛課にて災害対応を担当した後、内閣官房副長官補(事態対処・危機管理担当)付(事態室)へ出向し、北朝鮮のミサイル対応をはじめ各種事態に対応しました。
自衛隊に戻り、陸幕防衛部防衛課で勤務している中、退職を決意し、IT企業へ転職。
現在は政策渉外部門のシニアマネージャーとして勤務しています。
福島第一原子力発電所への災害派遣
ーー自衛隊での勤務の思い出やエピソードを教えてください。
市川さん:いろいろありますが、一番の思い出というか、大変な経験だったのは東日本大震災での災害派遣の勤務ですかね。化学科としての派遣業務でしたが、福島第一原子力発電所における除染作業を含む住民避難支援や医療支援にあたりました。
派遣命令が下された際、福島第一原発の状況は事前にニュースで多くの情報が流れていましたし、当時はメルトダウンが次々と発生している状況で、最悪な事態が起きる可能性があり、非常に緊張感があったことを覚えています。
私は、原発に程近いオフサイトセンター(原発が被災した際の情報収集や関係機関が調整等を行う現地の対応拠点)にて、情報収集や最悪時の対応方針決定や自治体との調整を行なっていました。
場所が場所だけに、事態収束の対応可否によっては、最悪の事態が起こることも覚悟する任務です。
立場上、部下を引っ張らなくてはなりませんし、住民の生命を第一に考え行動をしなくてはいけません。
そのため、被ばくした人を受け入れられるような体制を構築するべく、除染(放射性物質の除去)の予行を行って手順を入念に確認し、最悪の事態に備えました。非常に緊迫感のある現場でしたが、目の前の作業に一心不乱に集中して取り組んでいたと思います。
ーー精神的にも体力的にも負担が掛かる現場だったんですね。
市川さん:そうですね。住民の方はもちろんですが、部下も危険に晒されていたあの状況はとても過酷でした。幸いにして最悪の事態にはならず、そうした設備の稼働をせずに済みよかったですが。
ただ、この経験は私の中で自衛隊の存在意義や重要性を自分の中で再認識した体験でした。最悪な事態や状況に備え、いざとなれば先頭でそれに対応することについて覚悟をしました。
ーー当時はまさに死を意識した瞬間であったと思います。その後、陸上自衛隊幹部の難関課程であるCGSに一選抜(同期の中で最も早い)されました。そうした経験から自衛官として上を目指すことを意識されたのでしょうか。
市川さん:確かにCGSは、非常に狭き門だったと認識しています。
ただ、もちろん人並みには勉強しましたけどね。
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