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ビジュって言うな、今すぐ死ね
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ビジュっていうことばがマジで気持ち悪くて絶滅してほしいと思いつづけてもう4年くらい経つんだけどいっこうに絶滅しそうにないし今さらビジュってことばに逆張りして気持ち悪がってるのも古いし遅れてるみたいな雰囲気すら出てきてるから早くビジュって自然に言えるようになりたいんだけど普通に他人の見た目の良し悪しをビジュってことばでコーティングして気軽に言えてしまうのが気持ち悪すぎるしていうかビジュという
感情の最新のヴァージョン
自室のカーテンの隙間から、やさしい悪魔が息をひそめてせつない夜の空気が見える。
小さいころに塾の国語の授業で、小説のなかの情景描写は、主人公の感情を反映している、と何度も教わって、僕はずっとそれが嫌いだった。雨が急に降りだしたら主人公は悲しみの中にいる、厚い雲が出てきたら未来への不安が暗示されている。そんなのは僕らの側の勝手な嘘だと思った、今も思う。勝手に僕らの感情の演出に使われて、空や光や
もたらされる地獄の複数
※死についての直接的な表現が多く出てきます。苦手な方は注意してください。
※以上の文章は、ある企業さんのメディアからの依頼で「いつもYouTubeで配信されている東大の生活」を書いてほしいと言われ、書いて送ったものの、内容上の問題により掲載がされなかったものです。
※どうしても、僕には文章で「素敵なキャンパスライフ」を書くことができませんでした。僕にとって文章は、ほんとうに正直でいられる数少な
僕の最新のヴァージョン
〈僕〉という一人称を使うことに、いつもすこしだけ後ろめたさがある。
ふだん、家族や友人と話しているときは〈俺〉という一人称を使っているので、〈僕〉という一人称を選ぶのは、おおかた書き言葉のときだ。5年ほど前、20歳前後のころから、日常的に文章や詩を書いてきたが、そのなかで使った一人称はほとんど〈僕〉で一貫している。
なぜ文章や詩のなかで〈僕〉を使うかといえば、なんとなく格好良くてさまになる
の最新のヴァージョン 序
こんにちは、青松輝です。どうも、聞こえるかな、ちょっと時間をもらっていいですか。はい。最後まで聞いてください。
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これからあなたが読むのは『の最新のヴァージョン』というタイトルをもつ一連のエッセイだ。晶文社という出版社からの依頼で、書籍化を前提として、note上でエッセイの連載をすることになった。書籍は2024年に発売される予定になっている。
『の最新のヴァージョン』というタイトルは