満足感が欠けてしまっている休日。
絵を描きたい、断捨離したい、お部屋のお掃除したい、本を読み耽りたい、友達におすすめしてもらった映画を観たい。わたしがやりたいことは、いろいろと頭に浮かんでいるはずなのに、手をつけていなかったり、取り組みきれなかったりすることが多々あるからか、実際にやってることもあるはずなのに、哀しいかな、満足感に欠けている感じがする。
この週末も、本を2、3冊読んだ。最近ハマっている糸井重里さんのエッセイを2冊と、村田沙也加さんの『消滅世界』を読了した。友達におすすめしてもらった映画も1本観たし、絵も完成してはないけど描きかけた。お風呂掃除もしたし、排水溝のお掃除もやった。布団も洗った。それから、ずっと食べたかったロールキャベツを久しぶりに作った。こうして列挙してみると、いろいろやったような気もするけど、でもなぜか満足感に欠けている気がする。
小学生、中学生のときみたいに、グッと集中することが苦手になったと思う。高校生からスマホを手にして、少し時間が経ってはチラチラ見てしまうようになってしまった。勉強していても、何をするにしても、数分経ったら気になってチェックしてしまう。一度手に取ると、そこから数分はSNSとか開いて無駄な時間を過ごしてしまっている。その積み重ねで時間がもったいなくなっている。途中で無意味な時間が挟まるだけで、充実度、満足度が下がっているのは間違いない。わかっているのにやってしまうじぶんが嫌になる。没頭しきれず、やりたいことに向き合っている、その密度が小さい。
また、そもそもの話になってしまうけど、やりたいと思っていることに取り組むとなっても、素直にやりたいことをやるというより、その姿勢が歪曲してしまっている気がする。その経験や取り組む過程を楽しむというよりも、やった事実とか、経験したじぶんが欲しいのではないか。映画鑑賞や読書はその1つ。本を読んでいるとき、味わって読むというより、その本を読み切ることとか、読んだ自分自身を得ることを目標にしてしまって、荒っぽい読み方になったり、内容を追うだけで感じたり考えたりしてしなかったりする気がする。そのもったいなさにぽっかりとした心地がする。たとえ読み切っても。
休日だし、頑張る必要はないと思う。平日はオン、休日はオフ。お休みの日まで集中しなきゃ!と気持ちが張り詰めるのも違うと思う。ゆるゆるお昼寝したっていいし、ゆるゆる過ごしたっていいと思う。でも、それだけで満足できない。欲張りなのかもだけど、休みの日もわたしが満足できるように過ごしたい。みんなに平等に時間が与えられているはずなのに、他の人に比べて何もできていないのではないか、無駄に過ごしているのではないか、そう感じるのが苦しいんだと思う。
他の人が旅行とか、資格の勉強とか、スポーツとか、なんか色々やっている感じがするのに、「週末何したの?」と聞かれたときに、わたしが答えるものがスカスカしている気がして、正直言いたくない。自信を持って話せない。張り合うのも違うかもだけど、他の人より時間を有効活用できていない気がして、なんか悔しいんだと思う。他の人と比べて、わたしは内向的で、家の中で休みの日が完結することもしばしば。そこにコンプレックスを感じているのかもしれない。外向的だったり活動的な人とじぶんを比べたときに、なんか負けたような気がしてしまっているような。
とはいえ、外向的になればいいのか、アクティブになればいいのか、と言われると、理想像とは違っている。じぶんでじぶんを認められる人でありたいし、今のわたしのやりたいことをそのまま大切にしたい。自分と向き合って考えが深い人になりたいし、絵も上手になりたい。やっぱり、目の前のじぶんがやりたいことに没頭して、考えることをやめないで、そうして、新しいじぶんを作っていくことでしか克服できないのかもしれない。
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