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『ライティングの哲学』――「書くこと」について考えるときに僕が語ること

国語の問題、勉強しなくても感覚で解けるわっていう人、クラスに一人はいませんでしたか?あるいは、みなさんもそのタイプだったかもしれません。

でも、そういう人って、8割の文章はうまく解けても、たまに「合わない」文章が出てきたときめちゃくちゃコケるんですよね。なぜ分かるか?僕もそのタイプだったからです。

どうしてそんなことになるのかというと、要するに解くことが「技術」化されていないからです。感覚でだいたい解ける。でも感覚が合わない問題はダメ。では、もし自分が人生で大切な試験を受けるときに出題されたのが「合わない」文章だったら……?

ふだん感覚でやっていること、なんとなくできてしまうことを「技術」にする。それが、安定して、持続して結果を出し続けるコツなのでしょう。『ライティングの哲学』は、ひとことで言えば「書くこと」を技術化するための本だと言えます。

この記事では『ライティングの哲学』の内容を紹介しつつ、「技術」の大切さについても触れていきたいと思います。

○『ライティングの哲学』ってどんな本?

詳しい内容の紹介に入るまえに、まず本書の概要について説明しましょう。目次は以下のとおりです。

はじめに 山内朋樹

座談会その1
挫折と苦しみの執筆論
Section.1 「書くこと」はなぜ難しいのか?
Section.2 制約と諦めのススメ
Section.3 「考えること」と「書くこと」

執筆実践
依頼:「座談会を経てからの書き方の変化」を8000文字前後で執筆してください。
断念の文章術 読書猿
散文を書く 千葉雅也
書くことはその中間にある 山内朋樹
できない執筆、まとめる原稿ーー汚いメモに囲まれて 瀬下翔太

座談会その2
快方と解放への執筆論
Section.1 どこまで「断念」できたか?
Section.2 「執筆」の我執から逃れ自由に「書く」

あとがき 千葉雅也

執筆者の方々は、ある程度人文系の学問に興味をお持ちの人なら名前を聞いたことがあるメンツかと思います。哲学者・小説家の千葉雅也さん、美学者・庭師の山内朋樹さん、編集者・批評家の瀬下翔太さん。読書猿さんは……ひとことで紹介するのは難しいのですが、僕の中では「知の職人」みたいなイメージがあります。

目次をご覧いただければ分かるように、本書は2つの座談会と、それに挟まれた「実践篇」で構成されています。ポイントは2つあります。

ひとつ、2つの座談会のあいだには約3年ほどの時間のひらきがあります。その中で、それぞれの執筆方法が変化しています。そうした変化を追うことができるのが、本書の面白さです。

ふたつ、「執筆実践」では、お題の文章自体の内容と、その内容がいかに書かれているか、ということを各々執筆されています。つまり内容を書くことと、内容を書く方法を書くことがセットになっているわけですね。

世間一般のハウツー本が抽象的なことを述べて「頑張れ!」と放り出すのにくらべると、howの部分がどのように実践されているか、その具体例を4人分読ませてくれるという点が、本書の大変ありがたいところです。

では具体的に、どういった内容が議論されているのか見ていきましょう。

○『ライティングの哲学』にはなにが書いてあるの?

この本の特徴は、「書く」ということをいかに外部化するかというゆるやかなテーマのもとで、それぞれの執筆者が活用しているツールの話が数多く出てきていることです。

たとえばアウトライナーの話(※)。WorkFlowyを中心に、TreeやInspirationといったアウトライナーをどのように活用してきたか、ということが細かく語られています。あと、stoneやScrivenerといったテキストエディダ系の話題も多い印象です。

※一応補足しておけば、アウトライナーとは(狭義には)文章を書く前の構想をメモするためのツールです。一般的には、ここでこんな話をしようとか、こんな順番で書こうとか、文章の骨組みを作るのに使います。ただ、この座談会含めツールに対する感度が高いひとのあいだでは、タスク管理アプリとしても利用されているようですね。そのあたりの具体的な用いられ方は、本書の中で画像つきで紹介されています。

初めて聞くツールの名前が次々登場するというだけでも個人的にはおもしろいですが、重要なのはツールを用いた執筆のフローが示されている点です。最終原稿をWordで書くのだとしても、いきなりWordに文章を打ち込み始めるのではなく、さまざまなツールを経由してきます。

たとえば、まず情報を収集して、Evernoteに入れておく。そこから使えそうなものを抜き出して、WorkFlowyで整理する。そしてstoneでドラフトを書いたあと、最後にWordで最終稿を作る、といったような執筆フローです。

僕の好きな名言に「難問は分割せよ」というのがあるのですが、まさに「書く」という作業に対してツールによる分割がなされているわけですね。執筆のフローをどんな風に組み立てるのか、という実践例を知ることができるのが、本書のいいところの一つです。

では、なぜそのようなフロー、分割が要請されるのでしょうか。本書で語られているのは、ざっくり書けば下記のような失敗談です。

・Wordで体裁を整えようとしてイライラする。
・とりあえず書いてみるが、文章が気に入らなくて書いたり消したりを繰り返してしまう。
・真っ白なところに何かを書き始めるという行為のハードルが高い。

などなど。実は僕、文章の見た目に対する美意識が欠如しているのであまり共感できないところもあったのですが、最終稿に向かうまでに気楽に文章を書いていける「クッション」が必要なのだという理解をしました。つまり、ツールの導入には多分に精神的な支援という側面があるんじゃないか、ということです。

これはたしかによく分かります。原稿でなくても、なにかめんどうなタスクが発生したときって、「まず手をつける」ことが難しいんですよね。時間がかかる仕事だから早くやらなきゃいけんないんだけど、時間がかかりそうな仕事だからこそ手をつけるのが億劫になる。そんな気分です。

そういう時に、「とりあえずこれだけやったらいいよ」とか、「ここからやると楽だよ」みたいなことがはっきりしていると精神的に助かります。ツールの導入も、それと似たようなところがあるのではないでしょうか。

もちろん、もっとシンプルに、いい文章を書くためにツールを使うのが便利だという側面もあります。アウトラインなしで論理的な文章を書こうとするとけっこう苦しいですし、情報の整理はアナログよりデジタルの方が強いからツールを使ったほうが楽です。単純に、「書くためのツールにはどんなものがあるのか」という情報を入手するという意味でも、本書は参考になるでしょう。

ちなみに、僕も論文を書いていく上で使えそうなツールについてnoteで記事を書いているので、よかったらそちらの方も覗いていただけると嬉しいです。

○なぜライティングの「哲学」なのか?

ところでこの本は、『ライティングの哲学』と題されています。「誰でも書ける執筆術!」みたいなタイトルではないんですね。

「哲学」の名前についているのは、単に哲学者の千葉雅也さんがメンバーとして入っているからというだけではないでしょう(たぶん)。本書は、ライティングに関する具体的な実践論であるとともに、「書く」とはどういうことなのかをめぐる抽象論でもあるのです(※)。

※ライティング、すなわち「書くこと」はフランス語で「エクリチュール」というのですが、この単語は多くの思想家や文学者によって検討されてきた重要なキーワードです(このあたりは本書でも触れられています)。特に僕のような文学系の研究者は、基本的に書かれた文字にアクセスして研究を進めることが多いので、エクリチュールとはそもそもなんなのか、その原理論に関する知識が欠かせません。

たとえば、本書には次のようなやりとりがあります。

読書猿 制約がないとどれだけ苦しいかの証左ですね。
山内 ぼくのなかでは「制約の創造」こそがとにかくテーマで。
千葉 それですね。ぼくも美術出身だからひじょうに共感します。

書きたいこと、書けそうなこと、書くことを求められていることは、無限に存在します。みなさんは目の前の風景を文章で書き写せと言われたとき、その「すべて」を書くことが可能でしょうか?大雑把になら書けるでしょうが、木の葉一枚一枚に当たる光線の微妙な差異、砂粒の大きさの違い……などを考えると、とても書ききれそうにはありません。

そもそも言葉自体が、無限の現実を有限の語彙に押し込めたものです。日本語には色を表現する言葉が多いと言われていますが、グラデーション的に見ていけばやはり色は無限にあります。言葉はそれを、有限のボキャブラリーのなかで表現しています(その有限性が、人間の知覚や認識を助けているとも言えます)。

原稿も同じこと。どこかで区切らなければ、句読点の置き方ひとつにもこだわって、ひたすら完成を先延ばしにしてしまうでしょう。だから本書では、「締切こそが最高の制約だ」という議論になっています。

また、ちょっと水準は異なりますが、ツールの使用にも同じような発想が働いているようです。インデントや細かいレイアウトの調整ができないようなエディタを使うことで(つまり制約を設けることで)、中身を書くことに集中する、というように。

こうした部分で、「書くこと」に関する議論は抽象化されています。何かを書くことを考えるとは逆説的に、書かないことを考えるのとつながっているのだ、というように。千葉雅也さんがその気になれば、これを「有限化」という千葉さんの思想的キーワードでより詳しく展開することも可能でしょう。

こんな風に定式化してみたら、もっと「哲学」っぽくなるかもしれません。「エクリチュールとは書かないことである」。言葉遊びじみてきましたが。

加えて、こうした議論は他分野にも広く敷衍することが可能です。たとえば、日々の仕事。資料や報告書だって、良くしようと思えば無限に良くできてしまいます。では、どこでそれをやめるのか。いかに外部のシステムを導きいれて、「まだいける」と思っている自分の過信を切断するのか。『ライティングの哲学』はビジネス書、仕事術の本としても読むことができます。

さらに、文学に関する議論につなげることも可能です。僕は定型詩を研究しているのですが、定型とはまさに「有限化」の技術であるわけですよね。まだまだ続けられそうだけれども枠に押し込んでしまって、枠に押し込んだがゆえに「詩」として成立する。そんな感じです。

こうした議論をもっと抽象化すると、要するに「もっと書きたい/やりたい」と思う自己に対して、「ここでやめておきなさい」という他者が現れる、という話として考えることができます。事実、千葉さんは本書の中で、ツールとは「準―他者」であるという言い方をしています(こういう言葉の出し方は本当にうまい)。

「書くこと」と「他者」の問題。ここまでいけば、思想はさまざまな分野に接続されていきます。たとえば文学に関することだけでも、間テクスト性(という専門用語が存在します)の話題とどのように結びつくのか考えてみたくなってきます。

僕はハウツー本が好きなのでよく読みますが、本書がその中でも一定のクオリティを有しているのは、「哲学」としての思考の質が担保されているからだと言えましょう。

○方法を意識化/技術化すること

いまさらですが、冒頭の話題に触れておきます。「技術」について。

執筆者の方は全員、なにかしらの形で「技術」について追いかけている方々かとは思いますが、その中でも方法論について一番長く、まとまった仕事をしていらっしゃるのは読書猿さんかと思います。

何を隠そう僕は読書猿さんの数年来のファンで、『アイデア大全』が出たときに周りの友達に勧めまくった結果、「だれそれ?」と言われてとても悲しい思いをした男なのです。しかし読書猿さんはその後『問題解決大全』『独学大全』と順調に執筆を続けられ、『独学大全』はかなり売れているようなので、今なら知ってらっしゃる方も多いでしょう。ちなみに『独学大全』の書評もnoteに書きました。ファンなので。

上の記事でも書いたのですが、結局読書猿さんの本の何が特徴なのかと言えば、「大全」であることです。方法論がたくさん並べてある。言い換えれば、さまざまな方法論が試せるようになっているし、試すべきだというメッセージが込められている。

多くのハウツー本は「これで私は成功しました」という記述のスタイルになっています。しかし、読んでいる人にその方法が合うとは限りません。当たり前ですね。でも、僕たちは往々にしてその「当たり前」を忘れます。なんとなく、慣性の法則にしたがって、一度採用した方法をとり続けてしまう。もしかしたら、もっと自分に合ったやり方があるかもしれないのに。

大切なのは方法そのものではなくて、方法を意識することなのです。これはうまくいった、これはうまくいかなかった、今回はうまくいった、次回はどうだろう……。仕事においても学問においても、つねに自分が行っていることを自己点検して、改善し続け、必要ならば方法をがらっと変えることが大切です(メタ認知)。

「大全」という読書猿さんの書籍のスタイルは、「これがだめだったらこっちを試しなさい。それでもダメだったらあっちを試しなさい」という無言のメッセージを発し続けてくれているのです。

「なんなく」ではなく、自分がやっていることを意識し、一つの「技術」として持っておくことで、僕たちの仕事や勉強はサステナブル(持続可能)な、安定したものになります。

僕は感覚で文章を書けてしまうタイプなので、『ライティングの哲学』には共感できない部分も多々ありますが、10年後にはその感覚が失われているかもしれません。でも「技術」ならずっと保持しておくことができます。長く活動したければ、「なんとなく」から脱出することが必要なのです。

『ライティングの哲学』の構成にも、そのことは反映されています。各々の執筆者の方は方法論を強く意識し、技術化しています。そして2つの座談会の差異から分かるように、つねにそれらをアップデートしています。

だからこの本は、執筆法の参考にはなりますが、「こう書けばいいですよ」という本ではない。もし3年後に座談会が改めて開かれれば、またそれぞれ違った執筆法を示されるのではないでしょうか。

この本の内容を要約すると、「書く」ということに意識的になることが大事ですよ、ということを言っているのだと思います。そしてそれは、ビジネスやタスク管理、学問についても同じなんですよ、と。

だからPCを前にして考え込んでいる人物を描いたあらゐけいいちさんのかわいらしい表紙は、本書の本質を体現していると言えます。大切なのは考え続けること、意識し続けることである、というわけです。

○おわりに

改めてまとめておけば、本書のタイトルは『ライティングの哲学』、書くための方法を伝授してくれる本ではなく、書くことについて考えることの大切さを教えてくれる本です。そこを取り違えて本書を購入すると、たぶんがっかりします。

でも結局、自分に合ったやり方は、最終的には自分で考える必要があるので、安易なハウツー本よりも考えることに向き合うことを促す本書の方がずっとまっとうでしょう。

あんまり持ち上げすぎて太鼓持ちみたいになるのもよくないかもなので、最後に一つだけ本書の欠点を申し上げるなら、『ライティングの哲学』は新書にしてはやや高いです。1200円ほどします。あと、アウトライナーやEvernoteなどについて一定の知識がないと、ちょっとついていきにくい箇所があるかも知れません。注でフォローはしてくれていますが。

本書に限らず、本が高くなりました。僕のイメージでは新書って数百円で買えるものなんですが、最近では1000円以上するものも多くなってきたような気がします。消費税のせいでしょうか?

本はその国の文化を支える基礎となるものなので、せめて金銭的に余裕がない中高大学生については、書籍購入に際しての補助金なんかが出るようになるといいですね。




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