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介護保険切り捨て

介護保険、要介護1・2の給付がなくなるの本気です...よね。

うちの大正生まれの母方の祖父が要介護2のままでして。春までは元気だったのに、もう1人では歩けません。転倒につぐ転倒で混乱をきたしててもう錯乱状態。先月も要介護2のサービス限度枠越えてます。

振り返れば痛々しい老々介護を見かねて、説得3年、島根の田舎から引き上げてきて7年。老人ホームに一緒に入居した祖母が先に逝きました。親戚も皆、あの世に。そのたびに私が代理で葬儀お参りに。

「どうして家族と過ごせないのか」「思うように体が動かない」祖父の感情の整理がつかなくなるのも無理はありません。が、元来、一人っ子で、37℃の発熱でこの世の終わりのように騒ぐタイプなので...わかってもらえますか?大変なんです。

祖父は90代を越えてやっと老後について意識し始めたくらい、本当になんの心の準備もなく。祖父の延命治療拒否の意思表示は私が書面にまとめて関係機関に委ねてます。否が応でも私がしっかりしないと、良くも悪くもぼんやりした母だけではどうにもなりません。

さぁ、問題は要介護の認定のハードルです。認知症や高齢者うつ等の判定をしてもらうにも、その筋の病院に連れて行かねばならず。その筋の病院に対して一番嫌悪感を抱いてる独特の祖父の差別思想、そういうときだけ正気に戻って『よくもワシをこんなとこに連れてきたな!』と激昂するのは目に見えてます。昔気質の人なので、脳神経、精神科なんて『キ◯ガイ』が行くところと本気で思ってます。その診断がなければ要介護3以上の認定は受けられない以上は後の大惨事は目をつむるしかなく。

こういう緊急時に呼び戻されて、自分の仕事を辞めざるを得ない状況になるなら、東京で夢を見るのは諦めようと大学の進路選択時に見据えていました。他にも地元に残った理由はあるんですけどね。結果4人の孫のうち、他3人は関東エリア。連絡すらとれないイトコも。

故き祖母は最期、軽い認知症と癌の全身転移。一言も痛いとも言わずに、ペンをもつのもしんどかったはずなのに、「おとうさん、ありがとう 」と祖父に宛てて書いた手紙を老人ホームのスタッフに託していました。「私が死んだら、渡して頂戴」と。口では「100まで生きるからね!」と言っておきながらも、自分の死期が近いことを、静かに悟っていた祖母。我が祖母ながら、立派でした。

「婆ぁちゃん、こういうとき、どうしたらいい?」たまに、天国の祖母にむかって今でも孫の私は話しかけてます。祖母と遊んだ おはじき が私の御守り。部屋の片隅にあります。

死に様は、生き様です。
祖父の尊厳を保ちつつ、不安を取り除いてあげるにはどうしたらいいのだろう...。
夏休みに島根の田舎の庭の木にハンモックを作ってくれたり、スイカ割りをやらせてくれたり、幼い頃の夢を叶えてくれた祖父のことを思うと、ツラすぎて見舞いに行く足がすくむのです。

そして、福祉を切り捨て、切り捨て、血も涙もない政府への怒りがこみあげてくるのです。

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