世の中には地獄がある。それは「どうもできないこと」である。
こんにちは、ベロニカです。
地獄とは何か?天国とは何か?前世や来世についてだれだって考えたことがあるでしょう。
みなさんも、それぞれのイメージができているか、いかに考えていてもはっきりしたイメージが見つかっていないかというのもありますね。
「死ですべてが終わる」という恐怖を感じる人もきっと少なくないはずです。そうでなければ、このわずかな寿命をどう伸ばしていくかと、常に考えて新技術を使わないかもしれませんね。
どうみても、みんなは、自然学的で根本的に、長生きしたいようです。
「未知の死」に対して「今を生きよう」という気持ちがありますもの。
しかし、
もしも、
今生きているあなたは、すでに地獄にいるということだと分かったら、
どうしますか??
その出来事を変えますか?
新しいアプローチを取りますか?
逃げますか?
学んで成長しますか?
日々、様々な選択肢があるなか、ある人種は、
「進む」より「悲しむ」や「苦しむ」ことを選んでしまうのは、確かです。
選択肢があるのに、なんで地獄みたいな不幸な人生を選んでしまうのでしょうかね?
…
大昔、大昔、まだ幼い頃、ベロニカはキリスト教の家庭で育ちました。
おばあちゃんは、Theクリスチャンでした。朝起きて1時間くはいお祈りして、ミサに行って、12時と15時にまたお祈りして、おミサに行って、寝る前にまた1時間くらいお祈りする人でした。
一緒にいるとき、これ全てやらされている、子供の私にとって地獄でした。
さらに、小中学校は、キリスト教学校に通わせられます。毎朝、学校が終わったとき、お祈りです。ご飯の時もそうです。必修科目はもちろん、キリスト教です。そして、教えているのはシスターです。
これくらいだったら、まだまだいいけど、そのうち「やっぱり大人は言っていることと、やっていることは、一致してないなぁ〜」という疑惑が生まれました。
周りの人を優しくしない。
嘘をつく。
プライドを捨てないで、勝手に怒る。
などなど。
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ちなみに、他の学校で問題を起こしていた子は、リハビリに人を行かすかのように、みんなうちの学校に転校することになりました。もちろん、その子達の行動に他に理由があったので、神様の力を貸してもらっていても、その子たちはどうもならなかったのです。w
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キリスト教まみれの人生だったのですが、中学校の時に、図書館で自習をしていました。
あわゆる宗教・神話・哲学について毎月10冊以上を読んでいました。
これで、宗教と大人(世間)に関して、さらに謎が深まるだけでした。
神様がいるというなら、どんな姿をしているのか、どこにいるのか、という質問じゃなく、
どうして造った人間の苦しみを見逃せるか、餓死や病気をなんで消せないのか、などと思い、宗教を辞めました。
何かしらのエネルギーはあるけど、人間みたいなものではない。神様は絶対的ではない。自分の人生は神様の力を借りようとするんじゃなくて、自分でどうにかするんだ。人間は原子(つまりエネルギー)で出来ているから、死んでも完全になくなるわけがないので、形を変えるだけだ。宗教は、恐喝をしつづける、人を奴隷にするものだ。
という思考を、中学生の私が得ました。
そして、両親などとの長い戦いのあと、やっと宗教から解放されました。
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ちょうどその時に、うちの妹は、聞いてきた。
「宗教についてこんなにたくさんの本を読んでいるのに、なんで神なんて信じないの?」
「だからだよ?」
と答えた自分がいる。
それ以上それ以下何もない。宗教がなくても人を優しく接せるから問題がない。
…
それでは、本題に入ります。
この世の中に地獄があります。
…
みなさんは、Lucifer(ルシファー)という米ドラマをご存知ですか?
知っている人がわずかだと思いますが、すっごく面白くてオススメです。Netflixでも観れますのでぜひ〜
このドラマは、聖書に基づいてる、現代話になっています。
聖書では、すべては白黒世界みたいな風に描かれているけど、世の中はそんなにはっきりしたものではないですね。
どの話にも、伝わってないところもあれば、目に届いてないところだってあります。
人生はカラフルなものですもの。
そしてこのドラマでは、地獄も描かれています。
どんな感じかというと、亡くなった人の魂は、地獄に行くことになったとします。
そして、自分にとって最も罪悪感を感じる経験を繰り返して体験します。どんなに頑張っていてもその黒歴史を変えることができません。
と地獄に行かされた魂みんなが思っているみたいです。
なので、自分にとってもっとも罪悪感を感じている出来事を何億回も繰り返して生きてしまう、という超罰的な感じです。
だれだってそんなのを嫌に思っているのは当たり前ですよね。
しかし、あるエピソードでは、ルシファーはこう語る。
「人間には地獄をいつでも出ることが可能です。(閉じこまれている部屋の)ドアに鍵が掛かってないから、自分がやったことを自分に許せば、その繰り返しのサークルを破り、いつでも自由で外の世界に出られます。が、人間は自分の罪悪感に縛られすぎてるというより、自分を縛ってしまっているんだから、出ることはないし、そもそも出ようとは思ってないので、自分に罰を与え続けているだけだ。」
この言葉は、私をすっごく刺さったのです。
個人的に思っていたことを初めて他人から聞いたからです。
...
この世の中に不幸な人がたくさんいます。
それは大変な状況を経験しているところかもしれませんが、その出来事や人間などに大して、何を思うかは、自分自信は決めます。
現実や事実を受け入れるより、「可哀想な自分」をいつまでたっても演じ続ける人が結構いますよね。
欲しがっていることやものがなくても、楽しく生きることができるはずなのに、自分自身を受け入れないで嫉妬や欲望という気持ちで自分を縛り、人を見下したり悪く言ったり全てを他人のせいにしたりしますね。
誰だって幸せになれる権利があるのに、「幸せ」を選ぶ人が少ない気がします。
毎日の奇跡や喜びより、不運やネガティブなことしか考えてない民です。
「幸せになりたい」とみんなが思っているのに、自分をありのまま受け入れることができないので「幸せになった」人にはなれませんね。
やっぱり、自分を変えるより、不幸の気持ちを浴び続けた方が居心地が良くて楽なんですよね。
…
本当に大変ですね。
この「どうもできない」気持ちが。
これは、正に地獄の9層である最下層です。
どう頑張っていてもできることがあればできないことだってありますが、どうもできないこととどうしても戦う必要はありません。
簡単なようで、難しいことですが、不可能ではありません。
ダメは時に、他人に頼ればいい、または逃げればいい、辞めればいい、学んで成長すればいい、などの選択肢はたくさんあります。
しかし、ある夢だけに関して夢中になってしまうと、いざとなったとき、その夢が崩れてしまえば、他に何も残らなくなります。
それこそが「自分を縛っていた」「自分を閉じ込めていた」証拠になります。
自由に楽しく生きる権利は誰にでもあります。
あなたには、地獄から脱出して、幸せになる勇気がありますか?
あなたにも、今すぐにでも地獄から逃げることができます。自分を受け入れる勇気さえあればね。
「どうもできない」ことじゃなくて「どうにかしてやってみる」。そして結果はどうであれ、そんな自分を受け入れる。
そんなに難しいことではないけど、簡単なことでもない。だけど、不可能ではない。
さて、地獄から一歩踏み出しましょうか?
だって、ドアに鍵がかかってないよ?
応援されるとベロニカは空を飛びそうになるほど喜びます。