自分が育てたぶどうでワインを造りたいVENTIQUATTRO 西舘裕徳(2018年)
街中にできた小さなワイナリーが大きな転機に
須坂市への移住以前は25年間、東京で印刷業界にいました。学生時代に熱中していたバンド活動に挫折し、印刷関係の会社経営をしていた父から紹介された会社に勤め始めたのがキッカケです。
その後は父の会社に移り勤務していたのですが、業界自体がアナログからデジタルへ変革期となり設備投資が必要になったり、紙媒体の需要が減って印刷業界の未来は明るくはなく、定年まで続けていけるのかという不安を抱いていました。
そんなことを考えていたころに、たまたま東京の御徒町にある雑居ビルにワイナリーができたのを見つけたんです。
まさかこんな街中にワイナリーが?と思って話を聞いてみたら、飲食店を経営している方が自分の店でワインを提供するために、栽培と醸造を1年間勉強して立ち上げたということでした。
もともと20代のころからワインには興味があったんです。ペアリングと呼ばれる料理とワインの相性があるんですが、その奥深さに魅了されたんですよね。
自分でワインを造るなんて夢のような話だと思っていましたが、もしかしたら自分もワイン造りに挑戦できるかもしれないし、これは面白いぞ!と。
そこで、ネット検索でヒットした新潟県のワイナリー経営塾に行って話を聞いた所、ワインは醸造が2割、ぶどうが8割で決まる事を知りました。
結局ワイナリー経営塾では希望条件が合わず、長野県が開催している「ワイン生産アカデミー」を受講したりしましたが、アカデミーの講義では「厳しいことだらけで甘くない世界だ」と言われ…。
講義のあとに長野駅近くのレストランで食事をしていたら、たまたま自分が造りたいと思うイタリア品種のワインが置いてあったんです。
いろいろな想いを感じながら店長らしき方に話を聞いてみたら、須坂市でその品種を栽培している方がいることを教えてもらい、人づての紹介でその方と会うことができました。
自分の考えや事情などを話したら、生食用のぶどうも栽培して生活に余裕が出てきたらワイナリーも視野に入れてみてはと前向きなアドバイスをいただけ、東京に戻った私は即座に辞表を書いていました。
なんと研修はその方を師としてスタートできることになったんです。
いいワインを造るために、自分の手でぶどうをつくるところから挑戦したかったので、凄く運命的な出会いでしたね。
自分のワイナリーを持つことが目標
研修が始まるまでの期間を利用して、2週間近くイタリアに行きました。
スマホの翻訳アプリだけを頼りに、カンパーニヤ州周辺各地の園地やワイナリーなどを見学させてもらうことができましたが、しばらくこんな経験はできないと思いますし、とても有意義な毎日でしたね。
また、高山村にある角藤農園の農場長(佐藤宗一 氏)と知り合える縁があり、ワインぶどう園で収穫の手伝いをさせてもらったりしました。
収穫以外にも、研修開始前の段階で剪定や接ぎ木など本格的な作業をさせてもらえたり、多くの方々と交流することで次々と新しい人脈ができたことは凄く幸運でしたし、これからの大きな財産となることは間違いありません。
研修が始まってからも、師の配慮で小さな園地の管理をさせてもらったり、近くのワイナリーで仕込みの経験をさせてもらうことができたりと、多くの方々に協力してもらいながら充実した日々を送ることができています。
将来の目標は、もちろん自分のワイナリーを持つことです。
須坂市はワイン特区ではなく、酒税法で規定された通りの生産量が必要なのでかなり大変な道のりになると思いますが、自分のワイナリーで、自分が育てたぶどうを、自分の手で仕込んでワインを造る。
その夢を叶えるために、これからも頑張りたいですね。
西舘 裕徳(にしだて ひろのり)
1972年生まれ。埼玉県出身。2019年春、妻と息子の3人で東京から須坂市に移住。
街中にできた1件の小さなワイナリーを見かけたことが人生の大きな転機となり、造り手の世界に進むことになった。ワイナリーを設立し、自分が育てたぶどうでワインを造る夢に向かって挑戦している。
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