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自由とは★奴隷の時間・人生の時間は短い?

★自由とは?

Veena Roomのコンセプトが
「本当の自分という自由を見出せる場所」
「今までの自分を超えた自由という目覚め」
となっているだけあり

私自身これまで、あらゆる側面から、
この自由というボールを眺めて見ている。

その一側面には、こんなことが言えるだろう。

自由とは
「何にも囚われていない様」

そして、人は
・何かに囚われた囚人のような人生と
・何にも囚われていない自由な人生と比べて

「囚われていない自由な人生を生きたい」と願う。

ところが、
今の文明の地球人というのは
奴隷気質なので

奴隷から解放されたいといいつつも
発想がもう、囚人。

「じゃ、自由になるためには
自由に使える時間が必要よね。
自由に使えるお金が必要よね。
自由になれる環境や地位や名誉が必要よね」

って、時間・物質・ポジションなどに囚われる。

そして、自由になるためにといって
自由と真反対な
それらに囚われた日々を送る。

・・・その矛盾に気づいていない( ゚Д゚)

というか、ワザとやってますよね。

そう、結局
囚われていたいのだ。

自由になれないのは、
「あれがないから、これがまだ準備できてないから・・」
なぜ、わざわざそんな言い訳を??

「じゃなくて、奴隷でそのままいたいんでしょ?」
「いやいやいや、んなわけないじゃん。自由になりたいに決まってんじゃん」
「じゃ、なればいいじゃん」
「いや、だから・・なる為の、あれがないし、これがあーだし・・・(永遠に続く)」
「・・・・・」

もう、囚われ気質が
やめられないとまらないカッパえびせん。

★でも、そのもっともっと奥深くを見ていけば
やはり「自由に生きたいんだ」っていう
魂からの声が、聞こえてくる。

私が、Veena Roomを開業するときに
やはりそれなりの様々な葛藤はあった。

でも、覚悟を決めれた理由のひとつには
ある一つのヴィジョンを見たことにある。

それは、
四角い箱にパッケージされた沢山の人が
どんどんど、そのパッケージから解放され、
大地へ進んでいく様子。

「あぁ、私はこれが見たいのだ。」
「まだ、この箱の中に閉じ込められてる人が、
きっかけを沢山待ってる気がする」

箱をガンガン、開けていきたくなった。

まさに、人々が自由に解放されていく様子。
それがそのまま、Veena Roomのテーマになっている。

★セネカという、紀元前にいきた哲学者がいる。

あの、暴君ネロの子供のころの教育係を、
ネロの母親に頼まれた政治家であり、哲学者。

セネカの話をしだすと、長くなるので
今日はほぼ割愛することになるけれど

彼の残したメッセージで最も言われていることを
ひとつ言いたい。

それは
「人生の短さ」についてだ。

★私は昔
「生きてるってどういうこと?」という問いに対し
「死に向かっているということ」という発想が
受け入れがたい時期があった。

「え、なんか、暗い・・、そんな考え方の人生つまんない」
そんなイメージ。

でも、私の深層心理は、
「別の抵抗」をしていたのだと
今はわかる。

セネカは、「今すぐ生きろ」という。
人生という時間を無駄にして生きることへ、
哲学を通して提議してくる。

ダラダラ過ごすことも、
本当の自分を生きないで多忙に生きる時間も
時間を浪費しているに過ぎない。という。

確かにそれは
いつかは死ぬということを、
受け入れていない証しだと思う。

もっというと
命を粗末に考えている者の発想だと思う。

自分の命を粗末に考えるような
人間ばかりになってしまった今の文明だから
ご覧の通りの成れの果てが今の地球。

死ぬということを受け入れることは
つまり、
生きている時間・命の大事さや尊さを
理解しているということなんだろうと思う。

命。

これを、
本当の意味で大事に尊べるならば

自分の命の時間も
無駄に過ごさない。

何かに囚われて
本当の自分という自由を生きないなどという
そんな選択はしないはずだ。

★よく、「時が経つのが早い」というが
私は、ある時からその逆で
「時が経つのが遅い」と感じる。

一瞬一瞬が濃くなってから
そう感じるようになった。

自分を解放し始めてからの変化だ。

早く感じてる人達と、遅く感じる私とでは
何が違うのかなぁ?
と見てみたときに

一番には「自由への認識」の違いがあった。

時間というのは相対的なので
進む時間が違う。

だから、実際は
短くも長くもなる。

これはもはや
この三次元の地球でも、感じれること。

★それをもう少しわかりやすく
説明してくれたのが
セネカだ。

「人生の時間は本当は短くない。
ただ、お金を労費するように
無駄に使えばあっという間になくなるが
正しく時間を使えば、人生の時間にはゆとりがある」

「しかし、ほとんど人間というのは
果てしない欲望や、誰かに評価される欲求に囚われ
こびへつらうことで時間を消耗している」

と言っている。

ここでも「囚われる」
というキーワードが出てくるわけだが

つまり
自我のどうでもいい欲求に囚われていると
時間もそれに奪われる。
ということだ。

その生き方は
とても不器用であり

なにより
「自分を生きていない」

セネカは、だからこそ
「今すぐ生きよ」と言っているのだろう。

★そんな、セネカだからこその
エピソードがある。

セネカは、自分の大きな財産と引き換えに
ネロの側近という立場を辞退し
自分にとっての自由な時間を選んだ。

そして、哲学者・作家として
弟子たちと過ごした。

彼の最後は、数奇な終わり方とはいえ
美しかった。

暴君ネロは
自分の母親までも殺してしまい
様々な暴君で人々を傷つけた。

弱く傷ついた
恐れまみれの人間だったのだろう。

セネカは、そのネロに濡れ衣によって
自決を言い渡されてしまう。
「今すぐここで」
遺言書を書く時間すら許されない。

突然やってきた事態に
周りで悲しむ弟子達へ
セネカは
「君たちに、今私が持っている物の中で
最も美しいものを託す」

「それは、私が今、こうして生きている姿だ」と言った。

いつ死が訪れても、何も悔いがないほど
晩年まで自分を生きたセネカ。

弟子達に、その生き様を
最後に見せ、意を託したのでしょう。

★自由に生きることは
我がままでしょうか?

つーか
我がままとは?

何かに囚われ、そのために生きることが
我がままじゃないこと??

で、いつかはそんな自分でも
自由に生きれるんじゃないかって?

いつかって、いつよ。
この命が、永遠とでも思っているのか?

てな話です。

間違いなく、生きることとは
死に向かっている。

私は、
愛犬を亡くして以降
「命」と向き合わされ

死ぬときに
「悔いを残す」これだけは
したくない。と思うようになった。

悔いを残さないということは
どういうことか?
それは、誰の悔いだ?

「本当の自分だろ?」

「死ぬまでに、いつかしたいこと」
いつかいつかじゃ、いつかで終わる。

だから
自分の魂がしたいことを
ちゃんと聞いてあげること。

それは、ある意味
死生観にも繋がっている。

★有限なる
「時間」「命」

その有限なるものを、
有り有りと体験できる地球に来た。
その自分のミッションを忘れずに。

自分軸を超えた宇宙と繋がる黄金軸の講座の中でも
この有限なるもの、無限なるものの
両側面をしっかり見て

自分のダルマ・天命を思い出し
本当の自分を生きるという在り方へ
目を向けてもらう。

その為に、時に自我との向き合いもあるが
それは、過去の自分を含め、
本当の自分へマインドフルネスするということ。

過去の時間すらも
無駄にするか、昇華させるのかは
今の自分次第だ。

本日の最後に一文だけ
セネカの言葉より

「自分自身を人生の主人として過ごしていくならば
あなたに待っているのは、最高の晩年である。
しかし、過去を忘れ、現在を無視し、未来を恐れる者は
極めて短い不安だらけの人生を歩むことになる」

ということで(*‘∀‘)
本日も小難しいお話になっておりますが

シンプルに言えば
TTTでいきましょう(*‘∀‘)

では引き続き
宜しくお願いします!

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