これからの「因果応報」☆3つの指針その①「全てに宿る無尽蔵な愛
☆さて、全国的に梅雨真っ盛りで
雨がよく降りますね。
博多は、毎晩
雷が鳴っています。
雷は、カッコいい「神鳴り」みたいで好きですが
ここ毎晩、地響きするくらい大きな音で、ビビります。
梅雨は、はよスッキリした天気にならないかなーって
思っちゃいますね。
ですが、この梅雨もまた
自然界において、必要な巡りなんですよね。
易経を理解するようになってくると
全ての事象は、全て連携されており
バランスをとって「全」の調和が成り立っているのがわかります。
人の人生に起こる、ひとつひとつも
部分だけでは見なくなります。
「全」で見るという、俯瞰した視点が生まれます。
易経では、雷は「震」であらわされます。
震が二つ重なる「震為雷」なんかは、
って、書いているところに
たった今、めっちゃ、雷近くに、爆音で落ちました。
こわ・・・・!!( ゚Д゚)
パソコン打つ手が、止まりました・・・。
いや、そうなんです。
それを説明しようとしてたんです。
震(雷)の意味するところは、
人を物凄く驚かせるんだけど、大概は驚くだけで
恐れに値するようなことはない。
むしろ、それは物事を通す大きな力になる。
今の雷、ほんとうに大丈夫?(;'∀')
ってくらいでした。あまりにタイムリーで鳥肌たってしまった。
雷は、天から地にエネルギーが伝わっています。
電気ですからね。
私は、この雷が大地や海に流すエネルギーって
とても大事なエネルギーが秘められてるって感じています。
何かしら、自然界に必要なエネルギーなんだと思います。
この自然界に、無意味なもの、不必要なものは、何一つないですから。
もともと、雷の語源は、神鳴りであり龍神が天から地にエネルギーを運ぶようなもの。
福岡はもう、落雷マークで
地図が見えないほどに!
こんだけ、神鳴りエネルギーが大地にチャージされたってことは!
福岡のみなさん、きっと吉なり(*‘∀‘)
☆台風なんかも、人間には時に脅威にもなりますが
これも自然界のバランス。
台風があることで、海がかき回され、水温が下がる。
海水の温度が上がりすぎると、海の中の生態系が保てなくなりますから
自然な調整ですね。
サンゴの白化なんかも、最近の海水温度の上昇によるものと言われています。
台風が多いなぁ、なんていう年は
やはりそれなりの調整が必要ってことですね。
台風だけではなく自然災害が増える時というのも、そもそもまで辿れば
バランスを調整しなければならない要因が
どこかにはあるということ。
人類がバランスを崩す要因を持ちやすいですね。
人類は知恵をもったお利口さんでありながら
同時に、その知恵は、エゴも伴えてしまうので
全体の自然の循環はお構いなしに
人間だけの利便性を考えてその知恵を使ってしまうと
のちのちに、バランス調整が必要になっていく。
ともかく
全て、因果応報の世界☆
さて、これから
世の中、色んなことが起こってくると思われます。
どんな「報い」が起こってくるのか?
それは、個々私達のバランスのとり方によるでしょう。
そんな時、
1、黄金軸にその都度、その都度、立ち戻ること
2、赦し・受容の愛を忘れない
3、自分の反応のパターンを選ぶこと
という基本に戻りたいところです。
それぞれを
記事をこれから回数にわけて
お伝えしたいと思います。
今日はその①
その①が、最も理解しにくいかもしれないけれど
これから、何を中心軸にいれておくか?
ということが、より大事になると思いますので
まずは、そこから記事にしていきます。
☆「黄金軸」
さて最近は、黄金軸の本質(プルシャ)である
純粋性・サットヴァ・調和な、普遍的なシャンティな愛を
「見出せた!」という生徒さんのご報告が増え
私としては、なぜ同時期に報告が増えているのか?
考察中です。
そのポジションを、頭で解釈だけではなく
確かに内にも外にも見出せれば、
たとえブレても
立ち戻る場所をもう知っているので
大丈夫。
そして、ブレてもいいんですよね。
人間だもの。
ある程度色々、経験しにこの地球に来ているのだから
地球人ならではの、七情を感じてみたらいい。
むしろ、そのようなものを、押し込め抑圧してしまうと
心が閉じてしまう。
ちゃんと感じていることを、認めてあげることは大事。
あぁ、悲しいんだ。
あぁ、怒ってるんだ。
あぁ、コワいんだ。
あぁ、憂鬱なんだ。
あぁ、嬉しいんだ。
あぁ、楽しいんだ。
感じることは、大事な作業。
ただ、そこからです。
でも、そのまま暴走しないように
手綱をコントロールします。
それを感じた自分が、
次にどうするのか?
それをちゃんと、黄金軸に戻った自分で選択していきます。
☆感情という手綱を、うまくコントロールできないと
馬車の馬は暴走したり、全く動かなくなってしまう。
そうすると、馬車という肉体と、馬車に乗った魂は、
行きたい場所に、向かえなくなってしまいます。
場合によっては、馬車という魂を載せた肉体は、
故障したり、動かなくなってしまいます。
体に何か出たというのは、「最終サイン」です。
感情や思考という手綱をコントロールできず
馬を暴走させたり、動かせていない状態のままですよ。
だから、馬車が故障したり、停止状態になってますよ。
っていうお知らせです。
☆その手綱をコントロールしているのが
「意識」という運転手であります。
この意識は、今世の私という自我でもありますので
この自我が、自分の魂の行きたい場所を、ちゃんと理解していないと
魂の行きたい場所に連れて行ってくれない、運転手。
ということになってしまいます。
自我と魂が分離しないように。
いつも、その魂の本体である「宇宙意識・真我」と一致しておくこは
人生の旅路において、大事なことですね。
☆人は何かを信頼していないと、生きていけないもの。
もし、「何も信じれない!!」となると
いわゆる人生や、世界に「絶望」してしまう状態になりかねません。
世界を見渡してみます。
何をみな、信じて生きてますか?
会社?お金?家族?自分の力?神様?スピリチュアルパワー?
パートナー?子供?時間?立場?身体?健康?
みなそれぞれ、何かを信じて生きてます。
それがあるから「安心」出来る?
ところが
信じてたそれが、自分からなくなったら?
人によっては、もう絶望感に落とされる。
そして、大概は
そんな絶望を味わいたくないから
「なくなったら困る!」という発想になっていきます。
だんだん、信じてたものは
「なくなったら困るもの」になっていきます。
それを失うことに恐れをもつ。
そして、それを追い求め
やがては執着になる。
信じていたいものが
やがては執着になってしまうのです。
何かを信じれない人も同じです。
信じていたのに、なくなったらショックなのです。
信じていたのに、裏切られたらショックなのです。
だったら最初から信じない方が、ショックをうけずに済む。
人によって
人を信じない、社会を信じない、子供を信じない、自分を信じない、お金を信じない・・・
結局は、失うという経験をしたくないから
もはや「信じない」という二重構造になっています。
あるものを信じないとは、これいかに?
人の深層心理は、非常に複雑ですが
人それぞれのパターンがあります。
いずれにしろ、信じないというのも、不自然な執着の表れです。
恐れにしろ、信頼しないにしろ
それらの意識をもってしまうと
その意識からのオーダー通りの現実は、叶ってしまいます。
潜在意識にある情報は、その通りに具現化されます。
☆ヨーガ・ヴェーダの教えでは
それれは全て、「有限なものである」と説きます。
有限なものを、追い求めているということは
限りがあるものへの執着であり
それが例え、神であろうと、愛する者であろうと
それを「恐れ」や「執着」にしてしまうのが、人のエゴというもの。
もちろん、さきほどあげたようなものは全て
「有る」のです。
この世界に、人が発想できるものは
例え、姿かたちで表せなくとも「有る」
そして、「有る」ということは
この宇宙が「有る」と肯定したから有るのであり
不必要なものは存在できませんので
全ては有ると信じてよいもの。
ただ全て、「有る」だけなのです。
ところが、人はそれに「執着」してしまう。
☆「有る」ものは、有限でもあります。
限り有るものでもある。
有るものを、有り難く感じ、
触れて生きることも
この地球の楽しみ方です。
ところがせっかくのそれらを、
わざわざ「失う恐れ」や「執着」に変換するのが
人類は得意になってしまいました。
☆一方、無限なるものとは?
普遍的に偏在している、本質であるプルシャ。
つまり
宇宙の純粋な調和という
無尽蔵な愛。
それは本質なので、実体は無いのです。
無いということは、限り無く「有る」ということ。
有るということは、有限なので、いつかは無いということです。
無いということは、無限なので、ずっと有るということでもあります。
ややこしくなってきておりますが
これらは、頭で理解しようとすると確かに混乱します。
が、記事では文字でしか伝えようがないので
続けますよ。
無尽蔵なそれは
遍く(あまねく)有る。
それは本質なので、この肉眼に見えて有るわけではありません。
あたかも「無い」ように見えます。
その本質とは、正念(マインドフルネス)しないと、感じ取れないもの。
でも、必ず遍く在ります。
遍くとは全てという意味ですので
「偏在」とは、全てに在るということです。
日本の本来のアニミズムと同じです。
石にも、木々にも、あの人にも、自分にも、全てに宿るものです。
アニミズムも、ヴェーダの教えも、結局は同じで
古代文明から当然にあった宇宙の真理ですね。
ところが、分離の世界に入り
目に見える全ての中に
その本質(プルシャ)を感じることが
出来なくなってしまう時代がやってきました。
先ほどあげたようなものの、表面的な側面だけを
人々は信頼するようになりました。
目に見えて、肌で感じて、耳で感じて、手に感じて
その本質ではなく、表層だけを信じるようになってしまいました。
その有限なるものの中に、無限なものはありますので
それらは表裏一体なのですが
一方の目に見える物だけを崇拝する「陽の力が優位」な時代になりました。
面白いことに、日本の歴史や神話も、世界の神話も
それを物語っています。
その話をしだすと、もう話が脱線に向かうので
このお話は、またいずれ。
☆さて、そのように表層だけを信頼するようになると
その本質を信頼できないどころか
それを見失ってしまいました。
つまり、目を閉じてしまった時代。
遍く無尽蔵な愛?
何のこと?
それは、内なる目を開眼すれば、観ることが出来る。
それは、全ての本質で
全ては、ただ在る。
それが、見いだし
それを信頼の軸に置くことが出来ます。
それが「黄金軸」であります。
自分が信頼する中心の軸です。
☆それが、自分軸を超越した
宇宙と繋がっている黄金軸なのです。
先ほど羅列したようなものに対して
失う恐れや、執着をもつ必要がなくなります。
それらは、ただ私達の人生の質を
楽しいもの、喜び、豊かなものにしてくれるために
存在してくれているだけです。
それを失う恐れ、執着に変換などしなくても
それらの本質にマインドフルネスし、信頼していればいい。
今日は
黄金軸の講座の中で
ワークするような内容を、少しだけかいつまんで
1、黄金軸にその都度、その都度、立ち戻ること
こちらを、解説する為に、お話しております。
ワークで理解していかないと
文字だけで追うと、とても難しいのですが
この中の少しでも「点」として
情報の片隅に置いといてもらえると
良いかなって思います。
記事を分けまして
続いては
2、赦し・受容の愛を忘れない
こちらを、後日また解説していきますね。
最終的には
これしかない。
それが赦し・受容・愛。
これからの
人類が行きつくところ、向き合うところです。
避けてはきっと
通れないでしょう。
ビッグウェーブが来るならば、なおさら。
単純なようで
人類にとっての、最難関な「試験」
ここでまーす!(*‘∀‘)
ということで
2、赦し・受容の愛を忘れない
次回に続きます!
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