私は共謀犯★ブレーンワールド・膜宇宙を抜け出せ
★今日の記事は2つのテーマですが
最終的に繋がります。
宇宙の話と、精神分析のお話です。
サイエンスと、哲学や精神世界や心は、必ず繋がっている。
この世界は全部繋がっているわけなので。
でも、物理の話が入ってこない人は
後半の話まで、ざっと送ってください(*‘∀‘)
★ということでまず
宇宙物理のお話から。
私たちはブレーンワールドの中にいます。
まだ一説ですが
これは精神世界を説明するものでもあり
また、釈迦が語った宇宙や
曼荼羅で表現される空間にも通じてくる。
ブレーンてのは「膜」なので
つまり膜宇宙。
私たちの次元空間は
膜宇宙の中に埋め込まれている。
★私たちが認識している3次元・4次元は
更に高次元な時空(バルク)の膜の中に
埋め込まれた時空であるということ。
その膜が、いっぱいある。
私たちが認識できる次元以外って、
言葉でいうといわゆる「異次元」ですね。
それは、あるんかい?ないんかい?っていうと
「ある」
ないと、超弦理論が成立しない。
その理論は10次元以上でしか成立しない。
つまり、私たちは
3次元・4次元までしか認識できないが
認識できていないだけで
10次元以上の高次元の中にいるということ。
その中に既に、いるのです。
異次元っていうと、
何かどこか遠くにワープするような
イメージだと思いますが
そうではない。
すでに、その中にいる。
ただこの次元は小さすぎる概念なので、
私たちには認識できない。
私たちは、粒子の大きい、
粗雑な世界の中にいるからね。
まず、この体そのものの粒子は大きい。
しかし、そうではない側面もある。
意識や、エネルギーの
粒子は小さい。
★無限小の中に、私たちはいる。
そしてその無限小を辿っていくと
いつのまにか無限大の世界になってる。
クラインの壺みたいに。
なんで、私がはっきりそういえるかというと
私が得た
無限小の中にはいっちゃった変性意識では
それはどこまでもどこまでも、無限小の世界の中。
もちろん、肉体はこのままここにある。
意識だけは、そこに行っている。
それは宇宙の根源に近いような、愛のコア。
そして無限小の愛の中に、
大きな大きな愛みたいな宇宙が拡がっている。
「で、それ知ったから何?」と言う人がほとんどだろうし
「頭いっちゃったんだね」と言う人もいるだろう。
そう、行っちゃったのです。
そのサーマディな至福の中に。
それ以来、「最近どう?」といわれても
「幸せだよね」としか答えようがなく
「何で幸せなの?」と聞かれても
「何があるから幸せ」という
「何」なんか、別にどうでもよいという
何にも囚われなくなってしまった感覚。
自由になったのだ。
「何か」なんか、ないほうがむしろ楽なのだ。
そうすると、自ら生み出している
色んな悩み・葛藤への捉え方が変わってくる。
視座が、それ以来
変わっっていったといえばいいか。
この至福な感覚はなんなんだ?
の疑問は、すでにヴェーダやヨーガの教えの中にあった。
教えを読んだり、聞いただけでは
頭にあっても、まだ理解していなかったのだ。
体験でしか、腑に落とせないとわかった瞬間であった。
※ブレーンワールドの世界は
映画インターステラーでも表現されている。
まじ、面白い作品。
映画に出来たくらいだから、いつかこの地球上でも
認識されていくんだろう。
私たちに発想できるものは、実現可能。
インターステラーを書いたときの記事→上から目線!高次元から見てみよう&私のパラレルワールド同時体験はコチラ
※インターステラーでは、主人公は
5次元空間に3次元空間を作って、そこに収納されました。
ネタバレになるので、これ以上書きませんけど。
上記の記事では、フラットランドについても書いています。
★超ひも理論でいう
マルチバース(無数の宇宙・多元宇宙)の中の
10次元以上の高次の時空の中にある
振動する膜の上に、ブレーンワールドがある。
ということは
ある意味、私たちの感覚でいえばここは「制限」がある。
例えば・・
窓ガラスの上の水滴は、
何かの影響を受けなければ、ピョンピョン跳ねて
窓ガラスという膜の外には勝手に出ない。膜にくっついている。
しかし・・・水は蒸発し、その膜から出ることが出来る。
つまり、形態が変われば、その膜の外に出れる。
水滴である時には、何かしらの一定の制限をうけて
その膜に留まっている。
ちょっと理屈は違うけど、この3次元で説明するには
こんな感じで模写するしかない。
制限だらけよね、4次元にいる自分は。
時間・・物質の重さ・・
しかし、それは認識の問題。
それを超えた時空領域を認識できるのは
なんだ?
その制限を超越できるやつは
誰だ?
つまり
それを超えることの出来る
自由な粒子をもつ者
それは
超意識クンしか、いないだろう。
変性意識体験した人を、説明できるのはこれしかない。
でないと、ただのイカれた人ってことになる。
で、インターステラーのような映画でも
それを説明してくれたわけだ。
★私たちが認識している以外の次元は
余剰空間として拡がっているが
それは小さすぎて、私たちには見えない。
9次元を超えた、10次元以上の世界の中で
その9次元のうち、6次元までは
ひとつの空間に丸められて、振動している。
その空間を
カラビ・ヤウ空間と呼ぶ。
私たちは、その空間の中からの視座でしか
世界が見えない・認識できていない。
フラットランドの記事で説明したとおり
2次元の住民からしたら
「立体型の人が、そこにいるぞ!」
と言われたって
面でしか認識できない人にとって
立体的という概念自体、意味がわからないのだから
その立体型の人をイマジネーションできない。
認識できないのだ。
いくら説明しようが
「はいはい、君には何かが見えるんだね(頭おかしいんじゃね?いっちゃった?)」
と思われるだけである。
そして、もう2次元の人達からしたら
3次元の人とか、「神」なんすよ。
壮大な勘違い。
んで、この地球上の人たちも
そんな勘違いをしとる。
★さて、ここまで
私たちは認識できていないだけで
既に高次元の中にいるという話をしてきたが
それでも、私たちは
好き好んで
わざわざ、この次元にフォーカスしているわけだ。
パラレルワールドにいたとしても
「3次元・4次元に生きている」っていう視座で
フォーカスしてるわけです。
だから、この次元のことを
ちゃんとクリアするんです。ミッションです。
物事をこの次元の中で
理解し、
そして、
根源的な「調和」「真空」を理解しようとしている。
この3次元を、めいいっぱい生きることが大前提。
それも出来てないのに
この「膜」から、抜け出せない。
膜っていわゆる「カルマ」に通ずると感じるのです。
この膜の中の流儀で、別の視座をもって
クリアするというミッション。
フラットランドのシーンにありました。
2次元の世界の住民が、
3次元の世界という見えない世界の視座を
精神性ととも理解したとき
3次元から、お迎えがくると言う。
★私たちは、二極の対立した次元から、
それらが調和した、
純粋な無色透明の世界を知ろうとしている。
この3次元の一つ一つの経験の中で
それを理解しようとしている。
そして、「私」という存在は
普段はこの次元の視座でしか、自分を認識できていないだけで
本当はどの次元にも、マルチバースに存在していることになる。
すでに、普遍的に自分はどこにも存在している。
それが、今の時空を超えた
真空だろうが、ビックバンの前だろうが後だろうが、無の世界であろうが
それらを見ている「我」は、どこにも存在しうるプルシャ。
その「我」のことを、何と呼ぼうが、勝手。
そのサムシンググレートという何者かでもあり
「我」という自分は
存在しうるという可能性がある以上、普遍的に在るのだ。
サットチットアーナンダ。
そうなんだ。
★この3次元・4次元的な問題を解決しようとしたとき
「見えない世界、つまり認識できていない」ってことが
現実問題をクリアしていくキーになるだろう。
高次元は見えない・認識できない。
でも、在るのだ。
見えない。
つまり「盲点」
ここからは記事が毎度長くなったので
ページをわけますね。
こっからが、本題です。
自由に
本当の自分として生きていくために
さぁ、手をあげろ!('ω')ノ
続きはこちら→共謀者よ!手をあげて観念しろ!★精神分析からみる「シナリオ」
https://veenaroom.fc2.net/blog-entry-563.html
引き続き
TTTでよろしくお願いいたします(*‘∀‘)