小賢しく不安と付き合っていく
リビングのクラスペディアは今日も元気だ。
お世話らしいお世話もできてなくて、せいぜいお水をかえるくらいのものなのに。
ブーケとして一緒に飾られていた名前の分からない小さな草花たちが日に日にうつむき、しおれていく中で、彼女だけは連れて帰ってきた日と同じように凛としている。
このまま何日でも変わらずに咲き続けてくれるような安心感に、心からホッとする。もし、大きな花びらがついた花ならば、もっと目に見える変化があったのかもしれない。はらりと下に落ちているのを見つけたら、どんな気持ちになっていただろうと思う。
想像しただけで寂しい。
だから私は花びらの目立たないこの花を選んだ。
これは合理性ではなく、小賢しさなのだ。
萎れて枯れてしまうのが耐えられないから、出来るだけ分からないように目立たないものを選んだ。それは無意識での行動だったけれど、数日経ってみて必然的なものだったことに気づいた。
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つい、予防線をはってしまう。
保険だって、かけられるだけかけてしまう。
自分だけのことであればそうでもない。でも、自分以外のことには慎重すぎるくらい慎重だ。
大切なものほど、どれくらいの力で扱ったらいいのか分からなくなることがある。壊してしまうくらいならば、
少し離れたところで、好き勝手に愛でているだけでいい。そんな風に何歩も引いてしまう。
それ以上を望むと、心にぎゅっとブレーキがかかるのだ。いつか終わりが来ることを思うと、触れることさえ怖い。だから終わらないで欲しいのに、不安で仕方なくていっそのこと終わってしまえばいいのにとアンビバレントなことを考える。
極端だよね、と言われた。
その時はそんなことないよ、と答えた。
でもやっぱり、極端かもと今は思う。
本当に終わらせたりはしない。
心の中で時々思うだけ。不安を不安のまま持っておくことは、実はそんなに苦手ではない。
それに何より、私には圧倒的に衝動性が足りない。
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茎の太いクラスペディアは、背筋をぴんと伸ばしているように見える。どこから見ても元気そうでなにより。
明日も明後日もずっとそのままでいてくれそうだという安心感のおかげで、ゆっくり眠れそうだ。
どうかそのままで。