『夏子の冒険』三島由紀夫
不思議な物語である。
内容ではない。三島由紀夫がこんな「ガーリッシュ」な文学を書くことが不思議なのだ。
松浦夏子という「お嬢さん」が、男性にモテモテで、彼女自身は親をも困らせるほどの天真爛漫で奔放な性格であることから、さまざまな事件を巻き起こす、ややスラップスティックな物語である。
映画にすれば面白かろう(1953年に、映画になったそうだ)。
1951年(昭和26年)に上梓されたと解説にあるのだが、物語の背景はもっと後の世界のように感じるのだ。
なぜなら、戦後間もない頃に、こんな自由奔放なお嬢さんが、言い寄る男どもを振り切って「北海道の修道院に入る」なんてことを家族の前で宣言し、北海道への列車旅行をするところから物語が始まるので「戦後のどさくさと貧しさ」に、あまりにもかけ離れていると感じたからだ。
当時、この物語を読んだ人たちも「ぶっ飛んでるな」と思ったことだろう。
戦後の惨めな部分が皆無で、むしろ高度成長期のモーレツ社員時代か、若者の「太陽族」の時代を思ってしまう。けっして「アパッチ族」や「ささぶね船長」の世界ではないと感じた。
夏子に言い寄る男と言えば、彼女を愛車でデートに誘ったり、舶来の猟銃を携えて北海道に熊撃ちに興じる夏子の想い人など、お金持ち(?)のボンボンばかりが出てくる。
この物語の貧しい人と言えば、北海道で世話になる開拓民を父祖とする牧場主や、コタン(アイヌの部落)に住まうアイヌたちくらいだろうか?
話は、夏子の思いつきから、北海道は函館のトラピスト修道院に入るための珍道中で始まると前に書いた。
夏子可愛さから、祖母、母、同居の伯母(父方の)の三人が同行するので、この「いい所のご婦人方」の世間知らずなふるまいが、あちこちで迷惑行為を働いてしまう面白さも見どころかもしれない。
ところが、この気まぐれ「お嬢」は、旅の途中の青函連絡船で井田毅(いだつよし)という猟銃を携えた青年にぞっこんとなって、決めていた修道院に入る予定をドタキャンするのだった。
そのまま井田と二人で、「仇の熊」を仕留める旅に書置きだけを残してついて行ってしまうのである。
※この熊がだれの「仇」なのかは物語を読んでいただければわかる。この熊を仕留めるまでの長い物語ともいえるのだ。
驚いた祖母、母、そして涙もろい伯母は大騒ぎである。あげくに路銀として、旅の有り金全部を夏子が持って行ってしまったものだから、彼女らは函館のホテルに足止めだ。東京の夏子の父から為替が届くまで、動けない。
いちいち話の筋を書いてもおもしろくないので、時代背景を読み取ってみたい。
夏子の伯母は、姪の夏子が可愛くてしかたのない、涙もろい未婚の女性だが、髪を「二百三高地髷」に結っていると書かれている。
これは日露戦争後から大正時代までに流行した女性の「庇髪(ひさしがみ)」で日露戦争における「二百三高地」の激戦地で、当該地が「なかなか落ちない」ことで有名だったから、身持ちの堅い女性を象徴する髪型として名付けられ一般に広がったらしい。
そんなことよりも、洋装にも和装に合うので人気の髪型だったという。
ところが、もしこの話が戦後のものだとすると、夏子の伯母の「二百三高地」はいささか時代錯誤ではなかろうか?
夏子が井田と、函館山に初デートを企て、頂上付近の砲台遺跡で語らう場面がある。
調べると、この砲台跡は、明治の日露戦争から太平洋戦争まで、津軽海峡を航行する敵艦船を砲撃するために使われていたもので、はっきり「跡」と書かれていることから、これは戦後の話なのだと考えてよい。
※津軽海峡は、いかなる国籍の艦船も通過することができると国際条約で決められている。
また森山幸一という競走馬を育てている牧場主がもらった表彰状には、大正三年に載仁(ことひと)親王(「閑院宮」(かんいんのみや)、昭和20年没)の名で授けられていた。
もちろん戦後に、その賞状を夏子たちが見たという設定なのだろう。
ほかに熊を倒すための助っ人に「予備隊」の青年が参加しているが、警察予備隊が昭和25年に初募集されているので、まあその頃の話なら整合している。
「放出菓子」という聞き慣れない単語が出てくるが、調べても良くわからなかった。しかし考えてみると、GHQ統治下にあった日本で「放出」と言えば米軍から「放出」されたものと考えると腑に落ちる。米兵が持ってきたチョコレートなどの菓子ではなかろうか?子供たちが喜んでもらっているのもうなずける。
「千歳駐在の海軍一ヶ分隊」が、人食いクマ出没の報告を受けて出張って来ているのが、私は解せなかった。
この「海軍」とは何だ?
戦後の日本は武装解除され「帝国海軍」は潰えたはずだ。
すると「米軍の海兵隊か海軍(航空隊?)」と考えなければならない。
千歳空港の歴史を見ると、戦時中にすでに開港しており「海軍航空隊」が使用していた。
終戦後は米軍に接収され、B-29が太平洋横断飛行をここから出発して成功させている。
1951年に民間機使用が許され「もく星号(マーチン202A)」がテスト飛来している。「もく星号」はのちに消息を絶って、伊豆大島で機体が見つかり、乗客乗員全員が絶望的となったことは松本清張の『日本の黒い霧』に詳しい。
『夏子の冒険』は、資料調べで、私の本の冒険になってしまった。
熊退治を成し遂げ、夏子と井手は互いに「最良の伴侶」と意識して、恋が成就するかに見えたが…
三島由紀夫の筆が冴えて、予想外(私にはそんなに意外ではなかったが)の結末を用意するのだった。
二度とは読まないが、おもしろかった。
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