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アシタカをカッコ悪くしたらこんな感じ 『グリーンナイト』
ヤックルに裏切られるアシタカ
もののけ姫に似てると思った。
なぜなら主人公が怪物を倒したせいで、
変な因縁をつけられ、やむをえず旅に出るハメになるから。
だけど本作の主人公は旅に出た途端、超絶ピンチに陥る。満身創痍でフル装備した主人公が、
農民兵士に騙されて、見ぐるみ全部ひっぺがされる。そこはもののけ姫とは大きく違う部分。
それに途中でヤックル・・・じゃなくて馬が、
バリー・コーガンに乗っ取られてしまう。
ヤックルの忠誠心をみならってほしい。
そう考えると、もののけ姫は本作のように、
アーサー王伝説などの昔話から大きな影響を受けているのかも。
また、亡霊や呪術など、権利のよくわからない不思議現象がたくさん出てくる点からも(シェイクスピアもそう)、もののけ姫は昔話的な作品と言えるだろう。
ウラジミール・プロップ
ただ、『グリーンナイト』は、昔話を下敷きとしながらも、従来の昔話とは大きく異なる。
それこそ、ウラジミール・プロップが提唱した「31の機能」のように、主人公が「出立」をしたり、「呪具の獲得」をするものの、最終的には「結婚」してハッピーエンドという、近代的価値観の終わり方ではないから。
つまり本作は、もののけ姫やアーサー王伝説などの昔話の系譜に属しながらも、現代的価値観を取り込んだ作品と言える。
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似ている作品
『フォロイング』(1998)
主人公がヒロイックに活躍するのではなく、
ひたすらコブという男に翻弄されて、
ほとんど主体性を発揮できないから。
ノーランの作品ではいつも、
主人公が物語内で本当に主人公になっているか、
みたいな話が多い。
たいていの場合、物語の中盤あたりまでは
主人公は物語で主導権を握れていない。
だけどラストで「オレは主人公なんだ!」と決意する。
『ダークナイト』では、ジョーカーに美味しいところをもってかれてばかりだったバットマンがラストで、「アイツに勝たせない! オレが主人公なんだ!」と言って、いい感じで幕を閉じる。
『TENET』と『インターステラ―』では、
謎の存在に導かれていた主人公が、
実はその謎の存在は未来の自分だったと悟り、
自らが主人公であることを自覚する。
TENETの主人公の名前にいたっては、
そのまま「主人公」(protagonist)!!
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『クーリンチェ少年殺人事件』(1991)
『グリーンナイト』は画面全体が暗くて、
画面上で何が起きているのか分かりづらい。
『クーリンチェ』も同じように画面が暗い。
そうした演出によって、主人公が世界の中心ではなく、あくまで大勢のなかの一人にすぎないという一種の不条理性を表現していた。
『クーリンチェ』の主人公は、鬱屈とした日常の中で、「小明」という同級生に恋をする。
暗闇のような人生の中で小明こそが彼にとって明かりのような存在だった。
そして彼は、「小明、僕だけが君を幸せにできる!」とプロポーズする。
が、小明にこう言われてしまう。
「アンタ、私のことモノにしたいらしいけど、
私はこの世界と同じで、そんな簡単に変わらないのよ!」
こうした物語展開と画面の暗さは、
「人は決してこの世界の主人公にはなりえない」
という現実的かつ不条理な事実を突きつけてくる。
『グリーンナイト』もまた、こうした事実を突きつけてくる作品なのかもしれない。